4つの答えを決めるアウトロダクション

私は、美雪さんの代わりなんですか。

 「違う。」

違うって、どう違うんですか。

 「とにかく違う。違いすぎて違いを挙げていたらキリがない。」

1つだけでいいです。聞かせてください。

 「彼女は僕の頭脳に釣り合わない。」

すごい言い様ですね。

 「僕に人を見る目がなかっただけだよ。さあ、この話はおしまい。1週間後にこの事務所をカフェとしてリニューアルオープンする。そのチラシを配りに行ってもらいたい。」

・・・ちょっと待ってください、今なんて言いました?

 「そのチラシを配りに行ってもらいたい。」

その前です。

 「僕に人を見る目がなかっただけだよ。」

違います、その後です。いつにカフェをオープンするって言いました?

 「1週間後に。」

1週間後って、いつの1週間後ですか?

 「今日の1週間後。心配しなくても、準備は済んでるよ。明日にでも開店できるくらいだ。」

えぇ・・・いつの間に・・・。

 「まあ、ずっとお客さんが来なかったからね。時間はいくらでもあった。」

そのチラシを新聞広告に挟んでもらうように頼む時間はなかったんですか。

 「ここ最近、新聞を購読している家庭は減少の一途を辿っている。」

そうですか。

 「それに、ポストから取り出すよりも、ダイレクトに手渡す方が確実に相手に届く。」

それは、そうですけど。その負担を背負うのは私なんですが。

 「そう。これは君に任せるべき仕事だ。君の力を借りないと遂行できない仕事だ。」

最近そればっかりじゃないですか。別に私も暇じゃないんですけど。

 「私もって、君が知らないだけで、僕は忙しいんだよ。だってほら、開店準備の仕事に君は関わっていない。ついさっきまで、この事務所をカフェに改装することすら忘れてたでしょ。」

分かりました。チラシを配ってこればいいんですね。

 「助かるよ。ありがとう。」

はいはい、どういたしまして。


そんな流れで探偵さんからチラシの山を渡されてから時間が経ち、カフェのオープンを翌日に迎えた今日になっても、私は未だに恵子ちゃんとの仲直りがしっかりできていませんし、探偵さんは私に向けて断続的に睨みの鋭い視線を突き刺してきます。


あの、そんな怖い顔ばかりしてると、カフェにお客さん、来なくなっちゃいますよ。


カフェの営業周りで忙しくて後回しな問題がどんどん増えている今、私は恵子ちゃんと一緒に山ほどのチラシを持ってお宅訪問をしていて、急に吹いてきた強い風に飛ばされた、恵子ちゃん分のチラシ2枚を私が拾いました。


「ごめんなさい、すみません。」

「ううん。何枚飛ばされても拾ってあげるからね。」

「いえ、大丈夫です。もう飛ばしませんから。」

「そっか。」


恵子ちゃんは手に持っていたチラシ全てを持っていた紙袋にいったん戻して、その口を折って塞いでしまったので、さっき私が拾った恵子ちゃんのチラシ2枚は、私の手に渡ったまま残っている状態です。


「・・・あの、由加さん。」

「どうしたの?」

「この前の授業参観のことなんですけど。」

「あー、その時はごめんね。ついでしゃばっちゃって。」

「あの後、他の親さんも一緒に話し合いに参加し始めて、授業がすっごく盛り上がったんです。」

「そ、そうだったんだ・・・。あの時の恵子ちゃん、すごく嫌そうな顔してたから、てっきり私やらかしちゃったのかと思ってた。」

「やらかしちゃってはいました。そこは反省してください。」

「はい。ごめんなさい。」

「でも、楽しい授業になったよって、先生も、他の親さんも、クラスメイトのみんなも、由加さんに感謝していたんです。」


恵子ちゃんはぴょんぴょんと私の前に躍り出て、私の進路を塞いで、私の目をまっすぐに見つめて、今までに見せてくれたことのない柔らかい笑顔をしてくれたのです。


「私からも、お礼を言わせてください。由加さん、ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


私たちはチラシの入った紙袋を胸に抱えたままお互いに深々と腰を曲げてお辞儀して、それがいつの間にか頭を上げちゃダメな我慢比べに変わっていて、私が吹き出してしまったのに釣られて恵子ちゃんも一緒にしばらく笑って、私は2枚のチラシを自分の紙袋に入れました。


「それで、由加さん。訊かなきゃいけないことがあるんです。」

「うん。なあに?」

「授業参観の日、由加さんはどこにいたんですか?」

「えっと、どうしてそんなことを聞くの?恵子ちゃんの教室にいたでしょ。」

「そのはずです。でも民子と和枝も、授業の最初から最後まで由加さんが教室にいるのを見た、と言っているんです。」

「見間違いとか、人違いだったんじゃないかなあ。私が3人に増えるなんてありえないし。」

「・・・民子や和枝が由加さんを見間違えていたとしてもですよ。あの日、由加さんは事務所にいたんだと、探偵さんが証言しているんです。」

「それは、私が恵子ちゃんの授業を途中で抜け出して帰ったからでしょ。勘違いだよ。」

「いえ、探偵さんは、由加さんが授業開始の時刻になっても学校に行かず、ずっと事務所の中にいた、と証言しています。改めて聞きます。授業参観の日、由加さんは誰のところに行ってたんですか?」

「私は民子ちゃんと和枝ちゃんのクラスがどんな授業をしてたのかを知らないし、私が学校にいたのは恵子ちゃんも見たはずだよ。」

「それは、そう、ですけど。じゃあ探偵さんも含めて、私たちはみんなで集団幻覚を見てたってことですか?」

「そうとしか考えられないよね。」


それから私は物静かになって、俯いて紙袋を見つめて唸っている恵子ちゃんの前では一言も、一単語すらも口にしないまま、事務所が近づいてくる帰り道の夕暮れを一緒に散歩していました。


ふと私の頬をちょんと雨の滴が叩いて、それはあっという間にどしゃ降りになって、私たちはどちらも傘を持っていなかったので、雷が鳴り始めた中を事務所まで駆け込みました。


「お、恵子ちゃんお帰り、どうもありがとう。由加もお疲れ様。」


探偵さんはびしょ濡れで入って来た私たちにタオルを渡して、恵子ちゃんにはシャワーを勧め、私には応接スペースの暖炉の前にへ行くように言って、それから濡れてふにゃふにゃになったチラシを全て暖炉の中へ投げ入れました。


「え、全部燃やしちゃうんですか。もったいなくないですか。」

「別にチラシなんて、いくらでも刷りなおせばいい。」

「それは、そうかもしれないですけど。」

「そんなことより、さっきの恵子ちゃんとの会話、全部聞かせてもらったよ。」

「え。」

「彼女に盗聴器を持たせていたんだ。僕は君の幻覚を見ていたそうじゃないか。」

「私は学校にしかいませんでしたよ。途中で帰って来ただけです。」

「君は自分を4人に増やして、僕や子どもたちの目の前に遣わした。そうでもないとこの現象の説明がつかない。」

「待ってください。そんなこと、人間には不可能です。」

「不可能かどうかを決めるのは君の常識じゃなくて、同じ時間に別々の場所で君が観測されている現実であるべきだ。じゃあ逆に訊こう。どうして僕たち4人は君を目撃できたのかな。」


探偵さんは鋭く冷たい青色の瞳を光らせ、鬼の形相になって肩を震わせながら私を睨み、トレンチコートの腰ポケットから拳銃を取り出し、その銃口を私に向けてきました。


「ちょっと、なんでそんなの持ってるんですか。しかもこっち向けないでください。」

「我らを護る者よ今こそ汝の役割を遂行するべし。」

「ねえ!?聞いてますか!?探偵さん!?その銃を下ろしてください!!」

「我らを眺めし者よその姿を現し彼女を守り給へ。」


銃声。









目の前が真っ暗になって、酷い耳鳴りがして、酷く口の中が渇いて、全身の神経が消える。


思わず痛いって声に出しちゃいましたけど、致死的なダメージを食らった時って、本当は痛いって感じる暇もなく、簡単に死んじゃうんだなあって思いました。


自分が倒れているのか立ったままなのか。死んでしまったのかどうか。目蓋を上げてみるだけで視界が開けるのだということさえ、私には何も分かっていませんでした。


カツカツと鳴る革靴。すぐ傍で屈んだらしい衣擦れとその後の静寂。目を開くとそこには、私の遺体、厳密には藤井由加の分身の遺体と、くるくる広がったパンチパーマな探偵さんの頭がありました。


「驚かせて悪かった。この子は随分と、君を気に入っていたらしいね。」


探偵さんは顔を上げないままそう言いました。


「なんで、私を殺したんですか。」

「これは君じゃなくて、君の分身だよ。」

「なんで私の分身を殺したんですか。」

「どうして君の分身を殺してはいけないんだい。」

「だって。だって、ジョイは私のことを何度も助けてくれたんですよ。川で溺れた時も、地下室で迷子になった時も、今回の授業参観だって!私が頼んだんです!私を増やしてって!」

「だからと言って、同じ存在が4人、同じ時間に別々の場所で観測されていい理由にはならない。それは自然の摂理に反している。アンフェアだ。」


探偵さんは右手の手袋を外して、素手で私の遺体に触れ、触れられた私の遺体は、ポンと弾けるような音を立てて消えました。


「ともかく、これで僕は外に出られる。」

「え。」

「本当にありがとう。僕の助手が君でよかった。」


探偵さんは銃をしまい、立ち上がって、ついさっきまで常連さんと談笑していた喫茶店のマスターみたいな柔らな表情で、私に微笑んで続けました。


「因みだけど、甲野家が燃えたのも、書庫が爆発したのも、全部ジョイの仕業だよ。」

「・・・どういうことですか。」

「1から説明しなくたって、君は薄々気づいていたはずだ。自分の記憶を辿るといい。」


探偵さんは、雷鳴轟く冬の嵐の中へと事務所のドアを開けて踏み出し、甲高い風の笛の中でコートを脱ぎ捨てて、シャツを剥いで上半身を露出させ、目を瞑って天を仰ぎ、両腕を器のようにして広げ、雨に打たれる自由を全身で受け止めていました。


[名探偵である僕が事務所の外に出るとき、それはゲームオーバーを意味すると考えてもらって問題ないよ。]


ダヴィドの描く肖像画のような探偵さんの姿を眺めながら、私は探偵さんがそう言っていたのを思い出しました。

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