民子ちゃんの未練

ソファーベッドの上で日差しを浴びる日曜日の朝は、スマホのロック画面を見ると正午を過ぎていたので、私は飛び起きて階段を登って2階にある子どもたちの寝室に向かい、既に誰も寝ていないベッドのシーツと枕のカバーを回収して階段を駆け下り洗濯機に投入して洗剤と柔軟剤を入れてスタートを押しました。


あとは洗濯が終わるまで横になっていようと、私は応接スペースのソファーベッドの上に左腕の側からぼふんと倒れ、ふわふわの毛布を体にかけた状態で、いつものトレンチコートを羽織った探偵さんのことを目で追っていました。


まるでおもちゃ売り場の商品ひとつひとつを手に取って回る子どものように、探偵さんは事務所の中にあるテレビや机や窓や本棚など、あらゆるものに指をさしたり手で触れたりしながら、ウロウロと歩き回っていました。


「なにしてるんですか?」

「なにしてると思う?」

「分からないから聞いてるんですよ?」

「君が答えを持っていると考えた上で訊き返したと思う?」

「思わないですけど。それで?なにしてるんですか?」

「命のありかを、探しているんだよ。」

「はい?」

「僕らが命と呼ぶものは、指で示した先に常にある。暗いテレビの画面にも、物を言わない机や窓にも。その気になれば、そこら辺に転がっている石の1つ1つにすら、命を与えてしまえるってわけだ。」


そう言って探偵さんはふらふらと安楽椅子に歩み寄って座り、未だ新しい事務机が届いていないせいで事務所に不自然な空間を作り出してしまっている修繕済みの床に視線を注ぎ続けた後、つい昨日の夕方頃に届いた仏壇に向けて顔の正面をずらし、それに手を触れるために立ち上がりました。


しかし探偵さんは手を触れることなくそのお仏壇の前に膝を立て、目を閉じて合掌した両手の上に頭を垂れ、その間は何も言わずにただ黙り込んでいて、あまりの静かさに息をしていないのではないかと心配になるほどでした。


「昔のことを、思い出した。」

「美雪さんのことですか?」

「違う。飼っていた猫が死んだときのこと。」


探偵さんはずっと目をつむって、埃が宙に舞っている音をかき消さないような落ち着いた声で私と会話し、人としての尊厳と幸せと愛情で満たされているような表情をたたえている甲野幸雄さんと甲野乙子さんの遺影の前で、膝を立てたままの姿勢を保っていました。


「親に、親に。うーん。親にね、頼んだんだよ。猫を剥製にしてって。」

「へえ。そうなんですか。」

「まったく、やるべきじゃなかった。」


探偵さんは急に目を開いて立ち上がり、いつもの安楽椅子に腰掛けて、机を挟んだ向かいにあるソファーの上に寝転がっている私の顔を、じっと見つめた後に顔を逸らしてから口を開きました。


「君は人形に話しかけたことはあるかい。」

「ないですね。」

「僕は、ある。その人形の背中を撫でながら。」


私は寝転がったまま、うごうごしている内にズレ始めた毛布を自分の背中にかけ直して、そのふわふわのやわらかい毛の手触りを感じながら、探偵さんの横顔を見つめて話を聞いていました。


「血が流れていなくて、生き物の形をしているものに対してでも、僕らはそこに命を見い出すことができる。でも、気付いてしまうんだ。どれだけ見た目や手触りを似せたところで、そこには血が流れていない。そこには本当は命なんてない、ということに、否応なく、気付かされてしまうんだ。」


探偵さんは手を伸ばして、無抵抗な私から毛布を剥ぎ取り、私の体を暖房の効いた空間に露わにさせ、その毛布で仏壇を覆いました。


「なんで取るんですか。」

「必要ないからだ。」

「それはそうですけど。というかなんで仏壇を。」

「あの仏壇を買ってきたのは、子どもたちのためだ。」

「そうですか。そうじゃなくてですね。」

「どっちなんだい。」


なんか、今日の探偵さんは、なんか、うざいです。


「なんで仏壇に毛布をかけたんですか?」

「なんで仏壇に毛布をかけないんだい?」


探偵さんは仏壇を覆っていた毛布を取り上げ、起き上がりかけていた私の所まで持ってきて、私のお腹の上にトサッと、毛布を落としてきました。


「どうぞ。」

「・・・どっちの意味ですか?」

「どっちの意味だと思う?」

「うっざっ!今日の探偵さんいつもより数十倍うざったいですよ!なんなんですか!」


探偵さんは楽しそうに笑いをかみ殺しながら安楽椅子に座り直し、私もソファーに腰を据え治して、私たち2人は応接間の中で机を挟んで、お互いに睨み合いました。


「あの、質問には1度で答えてください。」

「分かった。」

「なんで仏壇に毛布をかけたんですか?」

「仏壇から毛布を剥ぎ取るためだよ。」

「なんで毛布を剥ぎ取るために毛布を被せるんですか?」

「被せなければ剥ぎ取ることができないからだよ。」

「なんで仏壇から毛布を剥ぎ取らなくちゃいけないんですか?」

「邪魔だからだよ。」

「は。馬鹿にしてるんですか。」

「してないしてない。普通に考えて毛布で仏壇が覆われていたら邪魔じゃないか。」

「それはそうですけど。分かってるならなんで仏壇に毛布をかけたんですか?」

「仏壇から毛布を剥ぎ取るためだよ。」

「やっぱり馬鹿にしてますよね。」

「してないしてない。僕の一連の動作にはまったく意味がない。それだけのことだ。はい、この話はこれでおしまい。」


探偵さんは、右手の手刀を左手の受け皿にストンと落として、この毛布を被せて剥ぎ取るのはなんでなんで問答を、強制的に終了させました。


「なぜ仏壇を買ったのか、という問いには単純明快な答えがある。」

「なんでなんですか?」

「子どもたちがいつでも両親に会えるように、だ。」

「両親って、甲野乙子さんと甲野幸雄さんのことですか?」

「そうだけど。そうに決まってるけど、なんで今そんなこと確認したのさ。」

「なんとなくです。特に理由はありません。」

「ふーん。じゃあ、この話もこれでおしまい。」


このお仏壇を通じて、子どもたちはいつでも、会いたいときに、お父さんとお母さんに会える。


「ねえ、探偵さん。」

「なんだい?」

「人間の剥製が作れるとしたら、作りたいですか?」

「・・・可能なのであれば、作りたくない。」

「どうしてですか?」

「死んだ命は、死んだ命として、弔って、早くお別れをするべきなんだ。本当は。」


お別れをしたのに、私たちのすぐ傍にいて、すぐ傍にいるのに、お話相手にはなってくれない。


乙子さんと幸雄さんのことを今でも大好きでいる民子ちゃんが、仮にこの仏壇に話しかけていたとしても、それは民子ちゃんが乙子さんや幸雄さんと会話をしていることにはならないことを、私は知っています。

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