死ねるとしても

「どうしたんですか!?」


ドアを蹴破る勢いで事務所の中に入ると、部屋の中央くらいにあるソファーにスーツ姿の若い女の人が座っていました。


「あっ、おじゃましています・・・。」

「あ、いえいえ、ごゆっくり・・・?」


事務所の奥の方を見ると、マスクをした探偵さんが手招きしていたので、応対は花奈さんに頼んで、すみませんと短く挨拶しながらお客さんの脇を横切ってキッチンまで行きました。


「ちょっと探偵さん、あの人は誰ですか?」

「ナツミ先生。タミコちゃんの担任。」

「タミコ、ちゃん・・・ですか?」

「恵子ちゃんの妹だよ。」

「え、何かしちゃったんですか?」

「別に。ただの家庭訪問だと思うよ。」


探偵さんは右手を小指から側頭部に押しつけて、大きく吸ってため息を吐いてから、私の目を見つめながら言いました。


「さあ、養親としての初仕事、頼んだよ。」

「・・・あの、探偵さん。」

「なんだい?」

「そんなことで私を呼び戻したんですか?」

「今日はちょっと風邪気味でね。」


ごほーっ、ごほっ。タイミングのいい咳をしながら、探偵さんはコーヒーの袋とミルを戸棚から取り出し、容器にザラザラと豆を入れ始めました。


はーっ。分かりましたよっ。私が対応すればいいんでしょう!もう!別に今に始まったことじゃないですけど!別にいいですけど!


応接スペースに戻ると、ありがたいことに花奈さんが場を繋いでくれていました。


「いえいえ、私じゃなくてですね、あっ、そちらの方が藤井由加さんです。」

「あっ、そうだったんですか!ごめんなさい、勘違いしていました・・・!」

「いえいえ。じゃあ、私はこれからバイトだから、あとは由加ちゃんよろしくね。」


私は感謝の返事をして、夏実先生の向かいに座りました。


「それで、あの、今日は何のご依頼で・・・?」

「えっと、家庭訪問です・・・。」


さっきそう言われたじゃん私のバカ。


私は ん”ん”っと咳払いをして、机に置かれたスケッチブックを手に取りました。名前欄には 甲野民子 と書かれていました。


「中を見てもいいですか?」

「はい。そのために持ってきましたから。」


私はそのスケッチブックをパラパラとめくってみました。タンポポや、ヒマワリや、スミレなど、身近に咲いているお花を1輪ずつ画面いっぱいに大きく描いた絵が続いています。クーピーで優しく明るい色に塗られた、やわらかそうな手触りの花々を見ていると、何か、とてつもなく深い愛情が感じられるようでした。


だから、雫の形をした白さを中央に残して、ほとんど画面全部を真っ黒なクレヨンで塗りつぶされたページにおどろいて、めくる手が止まりました。重々しい夜の、少し湿った冷たさが、私の指先へ移って来ました。私はその絵を先生に見せながら、尋ねました。


「これは・・・?」

「 [お家の絵] だそうです。」


次も、その次も、私がスケッチブックをめくる度に、私の指は黒くなっていきました。ページをめくって指が黒ずんでいくほどに、私はその底知れない悲しい気持ちへと、そして乙子さんの心へと近づいていける気がして、自分からお母さん指のお腹を擦り付けてみました。


手元の夜の暗さが滲み、少しだけ薄らんだのをじっと見つめていると、その真っ黒に塗りつぶされた背景の中に鉛筆で、


[お父さんたちに会いたい]


と書かれていたのを見つけました。


静かな深夜の住宅街。そして爆発音。家1つだけを焼き尽くした、あの炎の雫。この絵に描かれているのは、お家はお家でも、火事で燃えているお家の絵なのです。


次に、私は民子ちゃんの学校での様子について尋ねました。今の私、ちょっとお母さんっぽかったかもって勝手に盛り上がっている自分を、私は自分で不謹慎ですよと叱りつけました。


「そうですね・・・。民子ちゃんはよくお庭の花壇とか、学校の色々なところでスケッチブックを開いて、お花の絵をいっぱい描くような子だったんです。」


フィールドワークをする子だったってことですね。何となくお絵かきってインドアな趣味だと思っていたので、少し意外でした。


その先入観を抜きにしても、このA3サイズのスケッチブックを抱えて校内中のあちこち歩き回っていたのですから、けっこう行動的な子であったようです。


「あっ、あと給食の後に歯を磨く習慣をクラス全体に広めてくれたのも民子ちゃんだったんですよ。あの子は本当にご両親のことが大好きで、お母さんに褒めてもらってからずっと、毎日3回、朝昼晩、きちんと歯磨きしてるって言っていました。」


大好きな母親、の言いつけを守って給食の後にも歯を磨く。そしてその習慣を同級生の子たちにも広めていくバイタリティ。おどろきです。


「でも、あの火事があってから、明らかに元気がなくなっているんです。あの日から毎日、教室で自分の椅子に座って、スケッチブックを開いて、その真っ暗な絵を描いてばかりになっちゃったんです。」

「なるほど・・・。」


返事をする私の中で、とある不満が膨らんでいくのが感じられました。


・・・ [お父さんたちに会いたい] とは?


この民子ちゃんの絵に宿る悲しみは、家事で亡くなってしまったお父さんに向けられているとでもいうのでしょうか。


そんなの、おかしくないですか。


だって、お父さんは自分の娘を孕ませた性犯罪者だったんですよ?その火事で幸雄さんが亡くなって、乙子さんは現在行方不明です。そうやって私に3人の娘さんたちを押しつけて無責任に消えていった夫婦なのですよ。


どうしてそんな、子育て上手なご両親であるかのような。子どもから慕われていた模範的な親御さんであったかのような言い方ができるのか不思議でたまりません。


「・・・民子ちゃんは、お父さんとお母さんのことが大好きだったんですね。」

「そうなんです。」


私は確認の意味を込めて、改めて自分の口でも言ってみました。しかし、先生から同意の返事が帰ってきたにも関わらず、私はやっぱり納得することができませんでした。


ようやく、探偵さんがコーヒーを持ってきてくれました。夏が終わり、秋が深まるこの事務所で、マグカップから立ち上る湯気に息を吹きかけて揺らすと、水面に小さな水の粒が浮いて、数秒するとポッと弾けて消えていきました。


探偵さんは手の平にグラニュー糖とコーヒーフレッシュを1包ずつ載せて、先生の側にしゃがみました。


「あっ、ありがとうございます。」


先生が探偵さんの手から両方を取ると、探偵さんはその場で立ち上がって言いました。


「本日のコーヒーはフレンチプレスでドリップしました。紙のフィルターで淹れる時にくらべて豆の油分が多めに出るので、まったりとした味わいになっています。」


探偵さんがしゃべった!?


「ナツミ先生。民子ちゃんのことなら、私たちにお任せください。私たちは探偵です。人々の不安を解くのがお仕事ですから。」


今、探偵さんは [私たち] って言いました。私も探偵ってことですか。それって、私のことを探偵として認めてくれてるってことなんですか?そうなんですよね?なんて1人で盛り上がっている心が飛び出してきそうな口を、私はコーヒーで塞ぎました。


やっぱり、探偵さんのコーヒーはとても香りが良くて、とってもコクがあって、どんなカフェで頼む1杯よりも、ずっとおいしいです。


海凪夏実先生は帰り際に、連絡先が記載されている名刺と水族館のペアチケットと、そしてメモを1枚を置いていきました。


[民子ちゃんは海の生き物が好きみたいです!]


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の日は朝から、私と民子ちゃんで一緒に水族館に行きました。今は水族館を出て、近くの臨海公園でお散歩中です。そして、少し疲れたので、私たちはベンチに座りました。民子ちゃんは海をみつめて、放心していました。


海は水平線まで曇り通しでした。潮風が民子ちゃんの悲しげな表情から、さらに温かさを奪っていきました。


そして民子ちゃんは、穏やかな波の音に消されそうなほどの小さい声で言いました。


「どこにもいなかった」

「誰がどこにもいなかったの?」

「お母さん、どこにもいなかった」


そういえば、民子ちゃんは水族館の中で、ずっと落ち着きなく周りをキョロキョロしていました。海の生き物が好きという割には展示を見てないなあって、不思議に思っていたのです。


「この水族館にはよく来てたの?」

「うん、いつもお父さんといっしょ」

「でも今日はお母さんを探してたの?」

「お父さんはしんじゃったから

 わたし、ちゃんと分かってるよ

 お父さんはしんじゃったってこと

 でもお母さんはいなくなっただけ

 けいさつの人がそう言ってた」


民子ちゃんは私の方を見向きもせず、ただ海の方を見つめ続けていました。


「民子ちゃんは、海が好きなの?」

「わかんない」

「・・・わからないの?」

「いつもつれて来てくれた、お父さんがすき

 お魚のこと、教えてくれたお母さんがすき

 だからわたしは海がすき」


夏実先生は間違っていました。


民子ちゃんは、お父さんが連れてきてくれるこの場所が好きだっただけです。お母さんが教えてくれたお魚たちが好きだっただけです。


「波の下にも、みやこはさぶろうぞ」

「・・・読んだことがあるの? 」

「うん、前にテレビでやってた」


平家物語。源氏によって都を追われ、壇ノ浦まで逃れてきた安徳天皇は、ついに母と共に海へ飛び込みました。民子ちゃんの言葉は、その際に母親が安徳天皇へ告げた言葉なのです。


「波の下に行ったら、お父さんに会える?」


民子ちゃんは、ようやく私の方を向いて、まっすぐな眼でそう尋ねてきました。


私は、民子ちゃんを止めていいのでしょうか。

民子ちゃんの気持ちを理解できていない私に。

乙子さんの気持ちを未だに分かってない私に。

全責任を探偵さんに背負わせちゃってる私に。


ありません。


私がその場にうずくまりそうになったその時、なぜか花奈さんが通りすがりました。


「えっ!?どうしてこんなとこいんの!?」

「えっと、花奈さんこそどうして・・・。」

「ごめん!急いでるから話はまた今度ね!」


そのまま全力で走り去っていった花奈さんは、雲の切れ目をすり抜けてきた光に照らされて、その小さくなっていく背中を眩しく、そして美しく煌めかせていました。


それを見ていると、急に背筋が伸びました。


私には乙子さんの気持ちなど分かりません。

私は恵子ちゃんたちの母親にはなれません。

私には民子ちゃんの気持ちは分かりません。

私には民子ちゃんを止める資格がありません。


だからもう、ばかばかしくなっちゃいました。


誰かの気持ちを分かろうと悩むよりも。

誰かの代わりになろうと苦しみ続けるよりも。


ただ、民子ちゃんの願いを受け止めたい。


その気持ちの方がずっとずっと、分かる。

その気持ちの方がずっとずっと、なれる。


分からないものを分かろうと悩むよりも、

なれないものになろうと苦しみもがくよりも、

今の私に理解できる心のすべてを使って、

民子ちゃんの気持ちを受け止めてあげたい。


「・・・私は民子ちゃんを止めないよ。」

「止めないの?」

「うん。民子ちゃんがどうしてもお父さんたちに会いたい時は、私も一緒に行くよ。」


その気持ちは本当なはずなのに。


「じゃあ、今日は帰ろっか。」

「・・・帰っちゃうの?」


情けない大人は、覚悟を決めきれないのです。


「今日はまだ。海の底に行くのが怖いから。」

「・・・うん、私も、まだ怖い」

「そっか。」


私はベンチから立ち上がり、そして民子ちゃんの前に背中を向けてしゃがみました。


「久々に歩き回って疲れちゃったでしょ。今日はもう、一緒に帰ろ?」

「うん」


民子ちゃんは、私の背中に乗ってくれました。


とてもずっしりとしていました。太っていて重いというわけではありません。託された責任の重さに、押し潰されそうなのです。


 そのことの中に私は

 あなたの命の輝きを見るだろう

 私たちの生きる証を見るだろう


私は、好きな詩をそらんじました。


民子ちゃんは、私の背中で眠っていました。

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