どうしたらいいの

「どうしたらいいの。」


それは私の頭にあふれ、つい、言葉になってしまったのでした。


「どうしたらいいの、って、なに、相談ごとかな?」


この前と同じ喫茶店で、向かいの席に座っている花奈さんが尋ねてきました。


「・・・花奈さんは、どこまで知ってるんですか。」

「もしかして、あの事件のことかな?それならぜんぶ知ってるよ。お兄ちゃんから聞いたから。」


花奈さんは周りの目を気にして、まだ何も載っていないテーブルに肩肘をついて、口に手筒を当てて、もう片方の手で私の耳を招きました。


「自分の娘を孕ませた性的虐待パパが火事で死んだ事件のことでしょ。しかもその被害者の娘さんは行方不明。由加ちゃんとお兄ちゃんは結婚してその娘さんの娘さんたちの養親になったってゆー事件のことだよね。」


花奈さんがちょうど全部を言い終わったタイミングで店員さんが来て、私にはホットのストレートティーを、花奈さんにはクリームソーダを机に置いて戻っていきました。


「それで、この事件について何か悩むことってあった?収拾は付いてる気がするけど。」

「それは、そう。ですけど、あの、私の中で解決してない問題が、いっぱいあるんです。」

「ふーん。たとえば何かなあ?」


そう言われて、私は改めて自分の疑問点を整理してみました。


包丁の送り主が乙子さんであることは事実です。でも、その送り先が幸雄さんであったと言い切るための証拠はまだ見つけられていません。


幸雄さんが火事で亡くなっていることも確実です。でも、あの人の口に詰め込まれていた紙らしき何かの正体はまだ分かっていません。


私たちが恵子ちゃんたちの養親になったことも確実です。でも、それで事件を解決として、私たちの次の仕事に、つまり養親としての役割に専念すべきなのでしょうか。


私は立ち上る紅茶の香りを味わいながら静かに啜って、温かく、小さなため息をはきました。


[「きっと、あなたに私の気持ちなんて分からない。」]


乙子さんが、私に告げたあの言葉。それは私の中で膨らんで、私の心を押し潰す呪いのようでもありました。あの人は、そう言ってから後は、私と会話することをやめ、娘たちを頼みますという懇願を繰り返すだけの人形みたいになってしまいました。


ティーカップはいつの間にか空になっていました。花奈さんの方を見ると、クリームソーダを1口に飲み尽くしてしまっていた前回とは大きく異なり、ストローを通じてちびちびと、時折、バニラアイス用のスプーンでグラス内の氷をかき混ぜながら飲んでいました。


「由加ちゃんもう飲み終わっちゃったんだ。熱かったでしょ。」

「いえ、このくらいで丁度いいです。逆に今日の花奈さんは随分、のんびりと飲むんですね。」

「まあ、たまにはクリームソーダをじっくり味わう日があってもいいよね。」

「クリームソーダって、一気に飲むのとじっくり飲むのとでは味が違うんですか?」

「うん。炭酸が抜けてシュワシュワが弱くなってく。」

「それって、おいしくなくなるってことですか?」

「まあ、そうかな?それだったらやっぱり、すぐに飲まなきゃもったいないね。」


花奈さんは、残っているジュースを一瞬で飲み干しました。


「よし、それじゃ、行こっか。」

「行くって、どこにですか?」

「火事の跡地。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


正午。火災現場は既に片付けられていて、瓦礫1つすらありませんでした。花奈さんと私は売地に躊躇なく立ち入って、看板の脇を通ってまっすぐ空き地奥のフェンス前まで歩き、立ち止まりました。花奈さんはお隣のご婦人宅に設置された防犯カメラに気付いて、指をさしました。


「あそこのカメラって映像見れないかな?」

「見れますよ。私が設置しましたから。」

「あっ、そうなんだ。」


私はその場でノートパソコンを開き、火事が起きた夜の模様を流し始めました。


静かな深夜の住宅街。爆発音。乙子さんの家は一瞬にして黄金色の火の玉に飲み込まれました。その炎は不思議にも、お隣の家や電線など、周りにあるものを燃やさぬようにどこまでも天高く背を伸ばしていくように見えました。


火の玉の音や熱や光で目が覚めた近所の人たちが集まってきて、やがて警察や消防や救急も駆けつけ、そして、日が昇るくらいの時間までにはなんとか消し止められたようです。


「さて問題。行方不明のお母さんは、いつ、家を出たのかな?」


火災が収まったのを見届けるなり、花奈さんは私に尋ねました。


「映像を見る限り、乙子さんは家を出ていません。」

「カメラに映らない裏口から出て、他の家の敷地を通って逃げていったのかもよ。」

「それはありえません。」

「その心は。」

「裏口から出ても、ご覧の通り背の高いフェンスがあるので、火の手から逃れるためにはこれを乗り越えるか、玄関側から出てくるかしかありません。」


空き地の三方を囲んでいるのは、先端が三角に尖った尺状の、高さ4mほどの木板がずらーっと並んだ、白ペンキでムラ無く塗られたフェンスです。取っ手はおろか、間近で観察してもネジの跡などは見つかりませんでした。


「でも、火事場の馬鹿力っていうでしょ?フェンスを跳び越えちゃったのかも。」

「それはありえないです。乙子さんは幸雄さんからの暴力のせいで全身の骨を折っていました。損傷が酷いことは、私の手で触って確認もしました。」

「乙子さん、から触ってきたの?」

「いえ、腕の骨もボロボロに折られていたので、乙子さんは腕を動かせない様子でした。私が触診して、骨の形が残っていないのを確認しただけです。」

「ふーん。それじゃあ、そもそも家から逃げ出すことすら無理そうだね。」

「そうです。なのに焼け跡から遺体は見つかっていないですし、カメラにも映っていないですし、ご近所の人からの目撃情報もありません。あんなにも目立つ黄色の髪の毛なのに、ですよ。」


私の話にうんうんと頷きながら、花奈さんはその場にしゃがんで、雑草が生えかけた土壌に手を触れて、何かを嗅ぎとっているような仕草をしました。


「由加ちゃん、その場で動かないで。」


私は突然、金縛りにあったかのように動けなくなって、返事の声も出せませんでした。花奈さんは、私の足元を指さしながら、言いました。


「これ、足跡だよ。ピンヒールの。点と三角。ほら、見て。」


私は首を動かして、今たっている場所からして2時の方向の、裏口があったらしき場所から連綿と続いている点と三角の足取りを目で辿りました。どうしてさっきまで気付かなかったのだろうと思うくらいにくっきりと、一定の間隔で足跡の溝ができています。そして、その足跡は私のスニーカー右足の真下で途切れています。


「乙子さんは、自分の足でここまで歩いてきて、そのフェンスを跳び越えたんだよ。じゃないと、足跡がここで途切れてる説明がつかなくないかな?」

「でも、そんなこと人間には不可能ですよ。」

「不可能かどうかを決めるのは由加ちゃんの常識じゃなくて、足跡がここで途切れてる現実であるべきだと思うけど。じゃあさ、どうして足跡がここで途切れてるのかな?」


私は花奈さんの足元を見ました。


「花奈さんがピンヒールを履いてるからじゃないですか?」

「えっ。うわぁ忘れてた!いやでも!この足跡は私のじゃないってば!」

「そうと言える証拠はあるんですか?」

「うぐっ、うぐぐぐ、なーんにも思いつかないけどもぉ~!でもでもっ!そしたら乙子さんはどこに消えちゃったのかな?」


あまり深く考えたくないような可能性が、ポンポンと頭の中に浮かんできます。カメラが一時的にハッキングされて記録が飛んでいた。乙子さんはフェンスを飛び越えて難を逃れていた、爆発に巻き込まれて跡形もなく木っ端微塵に吹き飛んだなどなど。


もし、カメラがハッキングされていたとして、一体誰が、何のために、そして乙子さんが無事に家を脱出できているとして、そこからどこに消えてしまったのかなどなど、謎の解決という点では何も進展を与えてくれません。


乙子さんがフェンスを跳び越えた、という仮説に現実味がないことは明らかです。


遺体が残らないほどの威力を持つ爆弾を用意できたとも思えません。もし持っていたとしても、幸雄さんの遺体が残されていた事実との競合が起きてしまいます。


そもそも、火災が数時間も消えずに残る火の玉の形を保っていたという点も不可解です。爆発を伴って発生した火災が、近くの建物に燃え移ることなく、数時間に渡って火の玉状を保ち続けることなんて、できるのでしょうか。


私はまた何も分からない状態に逆戻りしたような気持ちになって、その場にしゃがんで、頭を抱えて、うずくまってしまいました。


「どうしたらいいの。」


そう口に出して問いかけてみても、誰も、花奈さんも、私も、納得のいく答えを与えてくれる人は現れません。理解の及ばないことだらけです。泣いて拗ねている子どもみたいな私の肩を叩いて、花奈さんが言いました。


「由加ちゃん、あなたは糸の端をしっかりと握りしめているよ。」

「・・・糸、ですか?」

「うん。解決の糸口。これから、一緒に考えていこうよ。」


花奈さんは私の手を取って、私を立ちあがらせてくれました。


「何も思いつくことがないなら、ひとまずはフェンスを飛び越えた線で色々調べてみるのはどうかな?」


その提案に私は急に吹き出して、笑いを止められなくなってしまいました。


「えーっ!!なんで笑うの酷いなぁ!」

「そっ、そんな、ドヤり顔で言うから・・・ひっ、くるし・・・いき、できなっ・・・!」

「あーっ!由加ちゃん深呼吸!はい吸って―!はいてーっ!落ち着いてー!」


すると、すぐに息が整いました。


「あ、花奈さん、ありがとうございます。」

「いえいえ、どういたしまして。あれ、電話来てるよ。」


そう言われてスマホを確認すると、探偵さんからの着信がありました。スピーカーをオンにして、花奈さんにも会話が聞こえるようにしました。


「はい、もしもし由加です。どうしました?」

「悪いけど早めに戻ってきてほしい。事情は事務所で話す。」

「あっはい。分かりました。」


電話は切れました。深刻そうな探偵さんの声色に、私と花奈さんで顔を見合わせ、そして何かとてつもなく嫌な予感を感じながら、急いで事務所へと向かったのでした。

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