手紙を返しに行けば良いんだよ。

あれから私は、2週間くらいずーっと恵子ちゃんのお父さんについて調査をしていました。当カフェの常連さんであるご婦人にも捜査に協力していただいて、恵子ちゃんのお宅の玄関を撮影できる位置に、工事不要の広角防犯カメラを取り付け、24時間モニタリングしていたのですが、捜査は一向に進展がありません。


「うーん、誰がて…、チラシと包丁を送り付けたんだろう…。」

「まだそこで悩んでるのか。」

「え、探偵さんには犯人が分かってるんですか?」


ソファーでうずくまる私の向かいに腰かけている探偵さんは、私がさっきから睨めっこしている捜査手帳をお母さん指で指差しました。その手帳を受け取るなり、パラパラとページをめくっていきます。


「へえ、防犯カメラを設置したんだ。収穫はあった?」

「ゼロです。」

「そんなはずはない。ちょっと、映像って今ここで見れる?」

「あ、はい。このパソコンでいつでもリアルタイムの映像が見れます。アーカイブも、あります。」

「よし、オッケー。この機会に捜査の基本を学んでもらおうか。」


私はパソコンを立ち上げ、動画を流し始めました。探偵さんは家から1人の男性が出てきたところで動画を止めるように言いました。


「画質すごい良いね。実際にその場に居て、肉眼で見ているみたいによく見える。」

「もう何か分かったんですか。」

「まだ何も。これはいつの映像?」

「昨日の朝です。」

「いつから撮ってるの?」

「ここ2週間ずっと撮ってます。」

「上出来。他の日の朝も見せて。」

「分かりました。」


先々週の毎朝午前8時の録画を確認すると、男性がとても若い女性と仲良さげに笑顔で会話しながら家を出発している様子が記録されています。男性は[一般園芸]と書かれた作業服を、女性はよくいるOLらしき服装をしていたので、恐らく会社に向けて一緒に家を出ている光景の記録だと思われます。


毎朝一緒に家から出勤しているこの2人の男女が不倫関係にあるとは考えにくいですね。恵子ちゃんの両親であると考える方が自然です。


奥さんが思ったより若く見えます。とてもスレンダーな体型です。恐らく20代後半くらいなのに対し、旦那さんは50代後半に見えます。私の見立てが正しいとすれば、2人は親子レベルで年の差が離れた夫婦であることになります。そして2人とも指輪をしていないみたいです。とはいえ、最近は結婚指輪を外して生活するのも珍しくないらしいので、これには特に意味がないかもしれませんが。


1週間前から奥さんの姿が確認できなくなり、旦那さんだけしか家から出てこなくなっているのは気になります。旦那さんの表情日に日により暗く、険しくなっています。先々週の土曜日に帰宅する奥さんの姿が映されて以来、彼女が家から外に出た様子はありません。


カメラに気付いて家の裏口から出るようにしたとか、同様の手口で家を出て行ったきり行方不明になっているとか、仕事を休んで家の中に籠っているとか、可能性はいくらか考えられますが、推論を確定できるだけの証拠は未だに集まっていません。


「なるほど。君が今挙げてくれたことは、君の無意識が直感的に拾い上げた重要な情報だ。きっと事件解決の役に立つよ。」

「分かりました!」


気持ちの良い返事をして、再びパソコンと睨めっこを始めようとした私を、探偵さんが「もう十分。」と言って止めました。


「そんなに張り切って色々探すと、カメラに写ってないものすらも読み取っちゃうから。そうなると迷宮入りまっしぐらだよ。そこまで。」

「分かりました。」


私はページからログアウトして、パソコンを閉じました。探偵さんは顎に右手を当てて革靴をカツカツと鳴らし、安楽椅子に静かに腰かけてから口を開きました。


「決めた。じゃあ、こうしよう。手紙を返しに行けば良いんだよ。」

「えっ?返すんですか?」

「うん。ここからは現場検証のフェーズだよ。」

「現場検証、ですか。」

「うん。」


私は探偵っぽいワードを聞いて、ちょっとテンション上がってます。


「でも、なんで手紙を返すんですか?」

「犯人の思考を辿るには、犯人と同じことをしてみるのが1番だからね。」

「そこまでやるべきことが分かっているなら、自分でやれば良いんじゃないですか?」

「これは君に任せるべき仕事だもの。」

「・・・ただ怠けたいだけですよね?」

「まあ、それも否定はできないけど、」


探偵さんは立ち上がって、事務机の隣にある本棚から1冊取り出しました。


「シャーロック・ホームズの冒険、読んだことある?」

「あります。当然です。読んだことがない人は文字が読めないのと同じです。」

「急に思想強いじゃん。まあいいや。 A Scandal in Bohemia の話は分かるよね?」

「分かります。」

「ホームズが失敗するお話といえば他にも The Yellow Face がある。あれは Memories のほうだけど。」

「『ノーバリ』ですよね。」

「その通り。そしてどちらのエピソードも女性の秘密が重要になっている。化学と犯罪にしか興味が無いホームズには、乙女心など分からない。だから事件を解決できなくても当たり前。そういう物語だったんだよ。」

「なるほどです。」

「推理というものは、元を辿れば何かしらの根拠に基づく想像に過ぎない。だから知らない秘密が隠されている状態で考えても、間違った推論に行き着くだけなんだよ。」

「でも探偵さんの推理はいつも当たってるじゃないですか。」

「お褒め頂いて嬉しいよ、ありがとう。でもね、今回の事件は君も気付いている通り、性犯罪が絡んでいる可能性があるんだ。」

「ホームズみたいに乙女心が分からない自分には事件を解決できない、と言いたいんですか?嘘です。探偵さんは人の心を見抜くプロフェッショナルじゃないですか。」

「自分で言うのもなんだけど、僕は男性社会の中で割とエリートな人生を送って来てしまったからね。性被害にあった女性の気持ちなんて微塵も分からない。」

「そんなの、私にも分かりませんけど?」

「でも僕よりはずーっと乙女だよ。可憐で素敵で、魅力的な女性だ。ほら照れた。」

「照れてないです。」

「それに、君を暴漢たちから助けたときのこと、僕は忘れてないよ。ごめん、まあ、とにかく、僕の出る幕じゃない。でも君にはこの事件を解決できるはずだから。協力は惜しまないよ。」


私はほんの少しの恐怖と嫌な記憶を思い出させられて、そして自分の推理の限界を情けなく言い訳する探偵さんにイライラして、事務所の窓すべてが割れそうなくらい甲高い声で怒鳴ってしまいました。


「それじゃあ探偵さんの出番はいつ来るんですか!?依頼人さんの前だとひとっ言も喋りませんし、この事務所から1歩でも外に出たところを見たことないですし、今回も私に任せっきりで思わせぶりなアドバイスばっかりして、でも分かんなくなっちゃったから助けてって言ってるんですこの分からず屋!!!」


探偵さんは安楽椅子に座り直して、肩をすくめて申し訳なさそうな表情を作るだけでした。


「ほら、一緒に来てください、私だけじゃこの事件は無理なんです、本当にお願いします!」

「ホントに無理なんだよ。きっと君だけで大丈夫だから。」


探偵さんの腰を両腕で抱き掴んで、事務所の外に引っ張り出そうとしました。探偵さんは、私を怪我させないように配慮しながらも全力で抵抗してきました。私は腕を離して、探偵さんの目を睨み付けました。


「なんでそこまで嫌がるんですか!」

「無理なんだよ。僕には1歩でも外に出たら死ぬ呪いがかかってるんだ。」

「なんですかそれ。」

「まあ、見せた方が早いね。」


探偵さんが事務所入口の扉を開け、右足のつま先だけを建物の外に着地させた瞬間、菫色の N-BOX が事務所の屋根やドアをバキバキ壊し、6番目に降ってきた車両が探偵さんを暴力的に押し潰しました。


「これで分かったでしょ。」


廃車の山の影から、探偵さんがヌルリと出てきました。


「名探偵である僕が事務所の外に出るとき、それはゲームオーバーを意味すると考えてもらって問題ないよ。」

「・・・・・・はっ?えっ、探偵さん、なんで車が、あれ?えっ?なんで生きて・・・・・・?」


修繕費どうするのとか、どう運転したら降ってくるのとか、なんで外に出られないのとか、押し潰されたように見えたのはなんだったのとか。状況の理解も私の感情も追いついていないまま、車が降ってきたことにびっくりして、探偵さんが死んじゃったことに悲しくなって、でもケロッと元気そうに出てきたのでちょっと安心して、訳も分からず泣きだしてしまうのを止められませんでした。


「すごい音がしましたけど、大丈夫ですか!?」


その時です。恵子ちゃんが事務所に入ってきたのは。ねぇ、待って。

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