第37話 エルダと宝玉の覚醒
龍谷の泉は何度来ても気持ちいい。
エルダはそう思っていた。
緑が目に優しく、泉も綺麗で、優しく吹く風は涼しい。
これがあの険しいドラゴンの巣の奥にあるなんて、アリーゼに連れてきてもらうまで少しも想像できなかった。
(アリーゼのおかげね)
彼女と出会う前は、自分が宝玉を手にすることになるとさえ思っていなかった。
ルーンフェルの宝玉は王が管理するもの。
生まれたのが一番最後で、魔法も下手な自分が手にすることはない。
そう思って、小さいころからその小さな白い石を眺めていた。
それなのに今その宝玉はエルダの元にある。
「それじゃ、行くね」
エルダは握っていた受信機をアリーゼに渡した。
忙しなく点滅を続けていた受信機はすでに沈黙している。
もうすぐそこまでレイフルは来ているということに他ならない。
アリーゼは自然体で笑っている。
だけれど、攻撃魔法も使えない彼女がレイフルの足止めに向かうのが無茶だと、それくらいエルダにもよくわかったいた。
「絶対、無事で待ってなさいよ」
アリーゼの姿が掻き消える。
エルダもいない。荷物もない。
そんな彼女の身軽さは、ただの人には捉えられないほど。
消えた姿に届くことを願って、エルダは声を出した。
「人っつーのは、大変だな」
「ドラゴンにも大変さがわかるの?」
龍谷の泉に残されたのは、フィンブルとエルダの二人だけ。
することをしなければとエルダは泉に向かい合う。
「ドラゴンの世界は単純だ。強けりゃいい」
フィンブルが肩を竦める。エルダは顔をしかめた。
「一番強いドラゴンがとんでも無い奴だったら、どうするのよ」
弱肉強食は分かりやすい生き方だ。
だけれど、強者ばかりで国は成り立たない。
そこが自分一人でも生きていけてしまうドラゴンと人間の一番の違いかもしれなかった。
「自分がいいと思ったら従うし、嫌だったら従わない。つーか、ドラゴンは生まれた時からすべきことがわかる」
どこ吹く風といった態度で、フィンブルは空中に寝ころんだ。
「すべきこと?」
「世界の調和をとることだよ。どうにも調和が崩れてると、気持ち悪くてな」
エルダは驚きに目を見開いた。
アルビダからも聞いた話だった。ドラゴンの仕事は、世界の調和だと。
だけれど、それは人間の王がするように、エクイブリウムが調和をとるという意味だと思っていた。
上に立つものだけでなく、ドラゴン一人一人がその役割を担っているらしい。
羨ましい。そんなの、とても治めやすい国ではないか。
「目的もわかる、基準も単純。そりゃ、人間が大変に見えるわね」
「その点、アリーゼはドラゴンみたいな奴だな。自分で選らんでる」
「そうかもね」
フィンブルの言葉にエルダは同意した。
同い年くらいのはずなのに、アリーゼはエルダから見てもとても自由だ。
身分の話ではない。
アリーゼは魔法が使えないという不利を持っているのに、少しも気にせず人生を楽しんでいる。
何より魔法が使えなくても彼女は不自由など感じていないだろう。
気持ちを切り替える。
エルダは宝玉の入った泉に視線を向けた。
「この充電はどれくらいかかるの?」
「百年だ」
「は?」
「だから、百年」
思わず聞き返した。だけど答えは同じ。
百年。
足止めするのさえ馬鹿らしく思える時間だ。
普通の人間は死んでいる。
「かかり過ぎでしょ!」
「んなこと言われてもな」
フィンブルは風に漂う様に泉の周りを移動する。
その揺れる裾を掴んで、エルダは引き寄せた。
「早くしないと、エルダがいくら凄くても倒されちゃうわ」
できれば入れた瞬間に充電されるのが良かった。
ちょっとでいいのだ。
宝玉が初代が残した言葉のように、白く輝きエルダを認めてくれれば。
そのすぐあとに充電切れになってもいい。
「早くする方法はないの?」
「ないな、必要なかったし」
「なんてこと……この泉に魔力を流してみようかしら」
ドラゴンの子供が生まれるのが三百年に一度くらいなら、充電期間が百年でも気にならないだろう。
フィンブルの言葉にエルダは唇を噛む。
そっと泉に手を浸す。そとから魔力を流すことで、充電を早めたりできないか。
そう考えたのだが、フィンブルがすぐに肩を掴んできた。
「止めとけ、ここは」
珍しく切羽詰まった顔。
なんだろうと思ったら、黒い影が泉に落ちる。
見上げれば白い巨体が下りてくるところだった。
『騒がしいと思ったら、またあなたたちですか』
フィンブルが頬を引きつらせて後ろに下がった。
どうやら泉に触るとドラゴンが飛んでくる仕組みらしい。
アリーゼも龍谷の泉でドラゴンに会う確率はかなり高いと言っていた。
練習用のゲートとはいえ、大切なものには代わりないのだろう。
エルダは慌てて泉から手を離し、頭を下げた。
「エクイブリウムさま、すみません! 宝玉をはやく復活させたくて」
『それは宝玉ではないと言っているでしょう』
呆れたような声。前も聞いた。だけど、エルダにしてみれば、あれは宝玉なのだ。
「宝玉が使えれば、私も初代と同じ魔法が使えるかもしれないんですっ。そうすれば、ドラゴンの巣で不埒をしている人間を取り締まることもできます」
レイフルの望みは宝玉に認められ王座に立つことだ。
エルダが宝玉を使えれば、その大義面文は使えなくなる。
『そういうことですか……同じでなくても良いなら、練習用のゲートは泉の底に転がっています。必要なら取ってみなさい』
「いや、ここの深さは人にしたら」
エクイブリウムが泉の底を指さす。
その先は先が見通せない深さがある。
だけど、この先に宝玉が転がっているならば、エルダが取るべき行動はひとつだけだ。
どれくらいの深さだろう。だが、初代も潜れたなら、自分にだってできるはず。
アリーゼの得意とする身体能力強化の魔法だって、使えるようになった。
使った所で彼女と同じようには動けなかったのだけれど。
ここを潜るくらいなら、自分にもできる。
「宝玉があるなら、とってきます」
「エルダっ?」
軽く息を吸って、身体能力の強化を行う。
それからフィンブルの言葉を振り切って、泉に飛び込んだ。
すぐさま冷たい水が洋服にしみこんでくる。同時に重くなった衣服が引きずり込まれるように底に連れて行ってくれた。
『人の子とは、本当にーー』
エクイブリウムの呟くも遠くなる。
泉の底は何も見えない暗闇だった。
だけど、所々に白く揺らめく輝きが見える。
(どれ?)
揺らめく白い光に手を伸ばす。
息は不思議と苦しくない。
きっと目の前に欲しいものがあるからだ。
(もうちょっと……!)
水の圧力を掻き分けて進む。
距離感も分からない。だけど、確かにそこにあった。
指先だけでいい。
練習用のゲートならば、きっと魔力を通すだけでいいはずだから。
つん、と指先に石の感覚が触れた。その瞬間に視界が白くなり、水の圧力もかき消える。
次に感じたのは浮遊感だった。
「うわ、本当に取ってきたよ」
『これも人間の面白さですよ』
フィンブルとエクイブリウムの呆れたような声が聞こえた。
気づけば泉の外に尻もちをついていた。
不思議なことに服も身体もすっかり乾いていた。
「これが、初代が見た宝玉」
宙に浮かぶ宝玉。白く輝く姿は、先ほどまで自分が持っていた白い石と同じものには思えない。
エルダはしばらく宝玉を見上げるように呆けてしまっていた。
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