第20話 暴れ酒


 エルダの息が止まらないことを望みつつ、ひたすらに待つ。


「んっ」


 その時は急激に訪れた。

 さっきまで死んだように眠っていたエルダが、突然瞼を上げ、上体を起こしたのだ。

 素早い動き。だけど、半眼になっている赤い瞳から、いつもの煌めきは消えている。

 あたしは戸惑いながら、エルダに声をかけた。


「え、エルダ?」


 名前を呼んでも、あたしを見ることさえしない。

 まるでそこに何か見えているかのように、ただじっとまっすぐ前を見つめている。

 肩を揺すった方がいいか、もう少し放っておこうか。

 そんな判断が頭の中を過るのは、エルダの姿がある状態と被るからで。あたしはじっとエルダの動向を見つめた。


「……あちゅい」

「え?」

「あちょいのよ!」


 最初は小さかった声。聞き取れなかったあたしが聞き返すと、エルダは両手を上げてまるで小さい子のようにジタバタと何度も上下に動かす。

 大声と共に、何か見えない圧力が部屋を通り抜けていく。

 風ではない。はずなのに、あたしの髪の毛は後ろに流れ、部屋にある酒瓶もいくつか倒れた。


 魔法?

 でも、エルダは火属性以外使えなかったはずだし。

 どうしていいか分からず、アルビダさんを見る。

 アルビダさんはエルダにお酒を飲ませた時と同じように、腕を組みながら面白そうにエルダの姿を観察していた。


「こりゃ、たまげた。この嬢ちゃん、魔力量が人にしては多いんじゃないかい?」

「そんなこと、言ってた気もしますけど……これ、大丈夫なんですか?」


 冷静そうな言葉だけれど、アルビダさんは出会ってからずーっとお酒を口にしている。

 もはや水か、ご飯のようなものなのだろうか。

 白いはずの肌も、ずっと赤らんだままだ。

 子供の様にジタバタしているエルダが、不満そうに声を上げた。


「わたしは、大丈夫よっ」

「そういう人に限って大丈夫じゃないんだよねー」


 ぶんぶん動かされる腕を避けながら苦笑する。

 まさか、と思っていたけれど。

 半眼、赤い頬、支離滅裂な言動。

 あたしは確信した。これは、お酒に酔っている。


「だい、じょぶ……ほらっ」


 胡乱な瞳が部屋をぐるりと見回す。

 エルダが小さく肩を揺らしたかと思うと、手を無造作に前に差し出した。


「ぬぉっ、アリーゼ、避けいっ」

「ふぁっ」


 アルビダさんの言葉に反射的に横っ飛び。エルフの家は壁も柔らかいらしい。

 天井に続く壁に着地することになったあたしは、衝撃を殺しながら自分のいた場所を通り過ぎたものを見る。

 赤い、大きな、火の玉。それがアルビダさんが手を振ることでかき消された。

 今度こそ魔法に違いない。


「な、な、なに、今の?」

「特大火球じゃな。エルフの里は木ばかりだから燃えやすいというに」


 火球は一般的にはファイアーボールと呼ばれる。

 火属性の初歩魔法だ。だけど、それがあんな大きさで出されるところをあたしは見たことがなかった。


「やっぱ、大丈夫じゃないー!」

「あちゅいわぁ!」

「ほれ、次が来るぞぃ」


 頭を抱えてみたところで、エルダの酔いが醒めるわけでもない。

 死ぬかと思ってハラハラしてたのに、酩酊状態で暴れまわるとは予想外すぎる。

 まだ熱そうに服の胸元をもって扇いでいるエルダが機嫌悪そうに叫んだ。

 アルビダさんの言葉に構えた瞬間、エルダの周囲から細い炎の筋がたくさん飛んでくる。

 あたしはまるでステップを踏むように避けるしかなかった。


「わ、わ、わ……今度は小さいのがだくさんっ?」

「ふーむ、ファイヤーアローを量産したのか、火球を分散させたのか……興味深い」

「アルビダさんっ、感心してないで、止めて、ください!」

「アリーゼの逃げ足は、ひっく、相変わらず、凄いのぉ」


 アルビダさんは手を振るだけで消せるからいい。

 だけど魔法の使えないあたしは、ひたすら飛んでくるものをよけるしかないのだ。

 しかもエルダの魔力量が多いからか、少しも減る気配を見せない。

 家が燃えないようにぶつかる寸前に消すとかいう神業をみせるくらいなら、助けてほしいところだ。


「心配せんでも、そろそろ止まるぞ」

「あっちゅいのー!!」


 アルビダさんがあたしの気持ちを読んだように、そう言った。

 もはや火の呪文なんじゃないかと思う掛け声とともに、エルダが両手を上げた。

 ――目の前に現れたのは床から天井までを覆うような炎の壁。

 それがじりじりと少しずつあたしの元に近づいてくる。


「ひゃっ!」

「おお、ファイヤーウォール……大きさも密度も申し分ない」


 アルビダさんが炎の壁に目を輝かせる。

 なるほど、いつも酔っ払っている姿しか見なかったが、確かに魔法使いとしても凄腕なのだろう。

 これだけの命の危機を笑いながら見つめていられるのだから。

 あたしはアルビダさんの隣にぴょんと飛び移り、彼女の腕をとって揺すった。


「いやいや、燃えますっ、これはさすがに燃えますって!」

「あっはっはっはっ、アリーゼ、中々面白いのを連れてきたじゃないかぁ」

「嬉しいですけど、その前に止めて下さーい」

「しょうがないのぉ」


 炎の壁が迫る。

 熱せられた空気が上昇しようとして、室内なのに風が巻き起こっていた。

 前髪が焦げる音が聞こえそうな距離になって、アルビダさんはやっと動いてくれた。


「それっ」

「んひゃ」

「エルダ!」


 やった動作は、ただのデコピン。

 おそらく、見えない何か――空気とか、魔力とかそういう類の物を、エルダに向けて放った。

 それだけで炎の壁の一部に穴が開き、エルダが大きく仰け反る。

 意識を失ったのか、エルダの体がそのまま地面に落ちそうになるので、あたしは慌てて地面との間に滑り込んだ。


「ナイスキャッチじゃ、アリーゼ」

「もう、びっくりするじゃないですかぁ」


 ふーっと額の汗を拭う。少しあたし自身が焦げ臭い気がした。

 エルダはまた寝てしまったようで、さっきよりは安らかそうな寝息が聞こえてくる。

 アルビダさんは、また酒瓶片手にのんびりと歩いてくるとエルダの顔を覗き込む。


「ふむ、あの酒を飲んだとはいえ、人間にしては中々やるではないか」

「エルダは火属性しか使えないんです」

「ほ、それほどの魔力がありながらか?」

「ええ。なんか、爆発するって言ってました。それでアルビダさんに魔法を鍛えてもらえたくて」


 やっと、理由を伝えることができた。

 魔法を教えて欲しいと言っただけで、あのお酒を出されたから、きちんとした理由は伝えられないままだったのだ。

 あたしの言葉にアルビダさんは瞼をぱちぱちと閉じたあと、にんまりと笑った。


「ふーむ……興が乗った。見てみるか」


 大したことでないようにアルビダさんはそう口にする。

 あたしは少し汗をかいているエルダの頬を拭った。


「原因がわかるんですか?」

「まぁ、属性を確かめる方法なんぞ、いくらでもあるが……」


 知らなかった。あたし自身にはあまり関係のない話だったので、スルーしていたのだ。

 アルビダさんは指折り数えて、何個か思い浮かべている様子だった。


「他の属性を使うとき、爆発するとなると普通ではない」


 爆発姫とエルダは言われていた。

 魔法は失敗すると発動しない。ならば、爆発するエルダの魔法は、何か特殊なのだろう。

 結局はそこになるのか。エルダが知ったら、また面倒なことになりそうだ。

 あたしは苦々しい思いを胸に天井を見上げた。

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