第16話 寄り道迷路

「みなさんお疲れ様です。本日はイミビです。定時退勤ですからね、残業は認められません。従業員の皆さんは、ご自宅にまっすぐ帰ってくださいね。」

突然オフィスのドアが開き、社長がフロアにいる人たちの帰宅を促した。

なんだか妙なことを言っている気はするけど、最近しばらく残業が続いていた僕らは、喜んだ。

比較的若い従業員は、遊びに行こうかなんて笑いながら部屋を出ていく。

年配の者たちは、浮かれた者たちに早く帰れよと、声をかけて帰っていく。

僕は、途中で買い物をして帰ろうとオフィスを出た。


いつもより少し早い電車が到着した駅前の商店街は、夕方の買い物客で賑わっていた。

駅前にはロータリーがあり、その真ん中は花壇になっている。

花壇の中の小さな時計塔が指す時刻は、アパートに戻るには少し早く買い物の寄り道には十分だった。


ロータリーの横断歩道を渡って、僕は商店街へ向かう。

駅前の商店街は、ロータリーを囲むように広がるお店と駅の正面から大きな赤い鳥居までの百メートル程の道両脇に並ぶ大小様々な店の集まりだ。

僕の住むアパートは、この商店街を通り、大きな赤い鳥居をくぐったその先にある。

夕餉の準備の買い物客で賑わいを見せる商店街の様子は、夜八時にはシャッターが降りる音とともに人通りどころか生き物さえ消え去る道と同じものとは到底思えなかった。


「甘い桃のいいのが入ったよ!どうだい?」八百屋のおじさん。

「今日は鶏肉の特売だよ!安くしとくよ?」精肉店のおばちゃん。

「サラリーマンのお兄さん、栄養ドリンク試供品、飲んで行かないかい?」白衣を着た薬剤師さんも調子の良い声。

明るい呼び込みの声に惹かれてお店に目を向ける。

僕はアパートの冷蔵庫には何があったかなと、買い物のリストを頭の中に思い浮かべていた。


お店の品々を眺め、買い物客の流れに合わせて移動する。

八百屋の野菜を眺めていたら客の流れとともに角を折れた。

しばらく野菜を眺めながら歩く。

あれ?お店が途切れていない?

違和感を感じ、顔を上げる。


いろんなお店が並んでいた。でもこんなところ知らない。

買い物客は賑わっていた。でもだれも顔が見えない。

ここはどこだろう?

曲がったはずの角まで戻った。

角の先は駅正面の道のはずなのに、鳥居が見えない。

振り返るが駅もない。

振り返る。

つい曲がってしまった路地も、様々な品物が並ぶ商店街。

引き返してさっき通ったはずの道を歩く。

さっき曲がったはずの路地に向かう。

でも、また知らない店の前にいた。

多く人たちが、店店の品物を覗き込んでいた。

誰もが顔を見せず。

誰もがこちらに背を向けて…でもこちらの気配は気にしているような…。


「腿〜!腿の美味しいのが入るよ!若いのが入るよ!もうすぐだよ!」

「にくまん!にくまん!ができるよ!もうすぐ!もうすぐだよ!」

「若くて生きの良いのがくるよ!胸肉!もうちょっと、もうちょっとだよ!」

「今はちょっとスジは多いけどお買い得なのがあるよ!」


肉屋だろうか。その声だけが何故か冷たく響く。

僕はそれを見てはいけない気がした。

足早に商店街を行く。

お客はなぜか皆、店を覗き込む。

こちらを見るものはいない。

ただそれだけなのに心臓の鼓動は速くなる。


角を曲がる。

また角を曲がる。

商店が続く。

だんだんおかしくなっていく。

途切れずに続くなんだかわからないお店が並ぶ。

読めない文字ののぼりが並ぶ。

引き返す。

また角を曲がる。

引き返す。

同じことが続く。


息が上がる。

耳鳴りがする。

心臓が痛い。

でも、止まれない。

足を止めてはいけない。

そんな気がする。


「もうすぐだよ!もうすぐ!」

「無駄だよ!無駄!」

「諦めたら楽になる!」


聞いてはいけない。

無視しろ。

引き返す。

また角を曲がる。

そうやってどのくらいの時間が過ぎたのか。

諦めそうになったとき、商店街の屋根の向こうに霞む大きな赤い鳥居が見えた。


「そっちはダメだよ!」

「ダメダメダメ!」

「そっちは行き止まりだよ!」

「行くな!こっちへ来い!」

「あー!」


聞こえる声は怒りのような悲しみのような悲鳴のような惜しむような。

そんな叫びを僕は無視して、屋根の越しに見える大鳥居を目指した。

霞んでいた鳥居は、近づくとはっきり見えてきた。

反対に叫び声はだんだん遠くなる。

そして路地の隙間から大きな赤い柱が見えたとき、商店街に飛び出した。

ザワザワと沢山の人の声が聞こえた。


「揚げたてコロッケ!いらないか?」

「もうすぐ閉店だ!惣菜割引するよ!」

「夕飯のおかず、もう一品!」


僕は大きな赤い鳥居の前にいた。

商店街の端。

出てきたはずの路地はない。

相変わらず買い物客は多く、商店街は賑わいを見せていた。

通りを歩く人々の、その先には駅があり、駅前のロータリーには花壇があり、時計塔があった。

その時計塔は僕が路地に迷い込んでから十分も経っていないと教えてくれる。


お腹が空いた。

僕は角を曲がらぬように、路地に入らぬように用心しながら買い物をした。

そして大きな赤い鳥居に一礼してからアパートに戻った。

なんとなく肉を食べる気にはならなかった。


翌日、僕の会社では四人が出社しなかった。

僕の住む街では、百八人が行方不明になっていた。

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