第7話 夜

「明日の夜に欠員が出ちゃってねぇ、頼めないかな?」

課長が申し訳なさそうにそう言った。

「データーセンターの監視ですよね?いいですよ。」

明日の夜、特に予定がない僕は二つ返事でその依頼を引き受けたのだった。


「お先に失礼しますー。」

最後の残業者が帰っていった。

「お疲れ様ー。」

彼を見送り、時計を見る。

日付が変わるにはまだまだあるけど、僕の住む街は意外と終電が早い。

でも僕は、今夜このビルに泊まりだ。

僕以外誰もいないオフィスはあまりにも静かで、昨日安請け合いしたのをちょっと公開し始めていた。


僕の務める会社は雑居ビルの七階。他にも何社かがこのフロアには入居している。

しかし、僕の会社以外、人がいる様子はない。

このビルは、夜八時に玄関の自動ドアがロックされ、通用門のセキュリティは個人認証のICカードがないと開かない。なのでトラブルを避けるために残業を控える会社が多いからだ。

そういうわけで深夜ともなれば、残っているのはビルの守衛さんと十一階にあるデーターセンターの保守員だけになる。

ビジネス街は道路を走る車もめったにいなくなり、オフィスには空調が吹き出す静かな風の音くらいしか響かない。


ブンッ…

かすかに低い音。

同時に、オフィスと廊下を隔てる壁にある天井近くの小窓が突然暗くなった。

廊下の明かりが消えたのだ。非常灯の緑色のかすかな明かりだけがところどころに灯っている。

深夜になると廊下の照明と空調が切られるためだ。

「あー、もうこんな時間かぁ。」

仕事を中断して伸びをしていた僕の耳に妙な音が聞こえた。


サッ…サッ…

カーペットを踏む音。

七階の廊下はカーペットで、あまり音がしない。

それでも人が歩けば足音はする。

静かな真夜中だからだろうか、まるで直接耳に届くような音がする。

足音は北側の突き当りになる非常階段から聞こえてきて、僕のオフィスのドアの前で止まった。

すぐに足音は動き出し、エレベーターホールの向こうにある非常階段の方で消えた。

見回りの守衛さんだな。

そう思って、自分もデーターセンターのフロアに行く準備を始めた。


今夜の仕事は自動処理の監視。何もなければコンピューターの画面を眺めているだけだ。特に問題はなさそうだな。チェック作業は何度かに分けて行う。作業記録をつけてから、僕は一旦部屋に戻ることにした。


北側の非常階段は吹き抜けのガラス張りで外の景色が一望できる。

夜景は特に美しい。

それが見たくて、他の階に行くときはここを使うことが多い。

防火扉を押す。

ギー…

蝶番から大きな音がする。

防水ビニール張りの階段はコツコツとエコーが響く。

突然、ゴーン!と防火扉の閉まる音がして飛び上がりそうになる。

ふと記憶が蘇る。

そういえば、さっきの足音。

防火扉の音はしなかったな。

非常階段を使った音もしなかった。

使えば大きな音がするはずだが。


机に向かい、気がつけば深夜二時になろうとしていた。

そろそろデーターセンターに行く準備をしようとするとまた聞こえてきた。


サッ…サッ…

あの足音がする。

再び疑問が頭に浮かぶ。

防火扉は開かなかった。

防火扉の閉まる音はしなかった。

非常階段の音は響かなかった。

あれはどうやってこの階に来たのだろう。

あの足音はなんだろう。

考えてはいけない。

気にしてはいけない。

足音がドアの前で止まる。

僕の息が止まる。

冷たい汗が背中を伝う。

気づかれてはダメだ。

いるとわかったらドアをノックされるのではないか。

何かが入ってくるのではないか。

嫌な想像ばかりが起きる。

オフィスのドアに目が釘付けになる。


ピンポーン!

痛いくらいの静けさを破り、突然軽やかな音がフロアに響く。

エレベーターのドアが開く音がした。

懐中電灯の光が明かり取りの高窓から見える。

どうやら今度はさんらしい。

気がつけばドアの向こうにあった気配が消えていた。

懐中電灯の光は北側の非常階段に向かっていた。

僕はデーターセンターに行こうと慌てて部屋のドアを開けたのだが。


そこには誰もいなかった。

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