第9話 久留麻先生
久留麻先生は、身長が190センチ近くある、とても端正な顔立ちの先生だ。映画の俳優にだってなれたであろうルックスをしているのに、人助けの道を選んだのだから、わたしは尊敬せずにはいられない。
現代人は、特に、心の病に罹る人が多くなっているから、一人でも多くの人の心を治療してやるのだ、という久留麻先生の意気込みを、ひしひしと、わたしは感じることが出来た。
今回のグループセラピーは、この久留麻先生が企画して、行われるもので、久留麻先生以外にも、何人か、別の先生が来るらしい。久留麻先生が、いないのなら、不安だが、久留麻先生がいるのだから、何の不安を感じることがあるだろう。
わたしは、今日、サイコドラマを通して、生まれ変わるのだ。
過去のトラウマから解放され、新しい人生を歩み始める。
今日、この日から。
わたしは、そう、信じて疑わなかった。
三階の受付では、真っ黒いローブのようなものを着た女性が、長テーブル越しに椅子に座っていた。その女性のすぐ側では、香が焚かれ、うっすらと煙が立ち昇っていた。何かの花の、甘い香りが、わたしの鼻孔を擦るように刺激する。うっとりと、眠くなるような匂いだった。
それが、お香の匂いなのか、それとも、女性から発せられる匂いなのか、わたしには分からなかったが、これも舞台装置の一部なのだろうか。女性は、フードを目深にかぶっているので、その表情までは見えなかったが、どこか妖艶で病的なオーラを発している。
と、フードを被った女性の顔が、ふいに上向いた。その内側から、刺すような視線が、わたしに向けられた。美しい顔だった。その、美しい顔が、ぐにゃり、とねじれるように歪んだ。
え・・・・・・?
笑った?
女性の、口の端が、わずかに三日月の形を描いた。
「名前を」
女性は、そう言って、ペンを差し出した。わたしと麟は、名簿に名前を書くと、三階のホールへと、向かった。一度、気になって、わたしは受付の方を振り向いた。黒いローブの女性が、じっと、わたしの方を見ている気がしたのだ。
魔女にいすくめられるような。
「どうしたんですか?」
梢麟が、心配そうな顔をして、わたしに尋ねかけてくる。わたしは、ぶるぶるっと顔を振るった。全部、気のせいだろう、とわたしは自分に、言い聞かせた。心の片隅にある不安が、少しだけ顔を覗かせただけだ。
「では、携帯のほうを預かりますので、こちらに。久留麻先生に、演技の邪魔になるといけないからと、言われています」
女性が、ボックスのほうを指さした。ボックスの中には、すでに、いくつかのスマホが、入れられていた。わたしと、燐は、言われた通り、スマホをボックスの中へ入れた。
フードの女性が、それを見て、ゆっくりと頷いた。
「では、ホールの方へ、どうぞ」、と右腕で指し示す。
わたしは、つられるように、そちらへ視線を向けた。
「行きましょうか」
わたしは、落ち着き払った声で、そう言うと、麟のいまにも折れてしまいそうな細い手を握って、引っ張った。なぜか分からないが、漠然とした不安が、頭をもたげてくる。麟が、少しだけ驚いた表情を見せる。
大丈夫、大丈夫だから。
わたしはまた、木慈の口癖をまねるように、ぶつぶつと呟き、笑顔を見せた。
そういえば、木慈は、昨日からいっこうに、わたしに会ってくれなかった。
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