第1章 『深紅の森』②
第1話 『クロエの旅立ち』
ー旅立ちとは、早いものだ。
クロエは、色々な荷物が入った鞄を背負いながら、そう思う。
つい1週間前に騎士団からアナルフィア共和国魔法学院への"異動辞令"が出たと思ったら、そこからの日々はまるで激流のように流れ去っていった。
(ウィル爺にしごかれたなぁ)
「ねっ、ねぇあの子大丈夫なの?」
「よすんだ!ああいう子には話しかけない方が良い!」
クロエが余程遠い目をしていたからだろうか。
そこを通り過ぎる人々は皆、一様にそんな反応をした。
"あんなに若い子が一人で遠い目をして途方に暮れている"。
もしかして家出少年なのでは?とか、きっと両親と
中でも特に
クロエは別に親不孝者ではないし、ギャンブルには手は出さないので借金もないし、生き別れた兄妹もいない。
急に騎士団を追い出されて、突然魔法学院の教師になれ というのが今現在の彼の状況な訳であり、当のクロエ本人といえば道行く人々の酷い妄想など耳に入っていなかった。
(はぁ、地獄の日々だった・・・・・・)
クロエはそう思った。
そう、この1週間、クロエはウィルネスにしごかれたのである。文字通り。
ー時間は1週間前に
ウィルネスがクロエに突然の手合わせを仕掛け、クロエが見事に負かされた直後。
『クロエ、久々に修行しましょう』
そんな事を言い出す育ての親、ウィルネスに。
『は?やだよ』
即座に拒否る親不孝息子のクロエ。
『これから1週間、貴方が異動するまでの間、急ではありますが徹底的に鍛えましょう』
その親不孝息子のクロエを無視し、ウィルネスはクロエ地獄の特訓開幕を宣言した。
『ちょっ、勝手に決めんな!』
『勝手では無いですよ、クロエ。魔法学院に異動するというのなら貴方がある程度は教師らしくなければまずいでしょう?』
『い、いや、確かにそうだけど』
ウィルネスの正論に歯切れの悪い返答をするクロエ。そんな彼にウィルネスは目を細めると
『残念ですが、貴方に拒否権はありませんよ?』
物凄い笑顔で一気にクロエを地獄へ叩き落としてきたのだった。
『嫌だぁぁぁ!死ぬ!殺す気か!』
途端、先程のように自身の脚力を全開にしたクロエは、肉食獣に睨まれた小動物のようにその場からの逃走を
(悪魔ジジイめっ!思惑通りになってたまるかってんだ!)
クロエは"風魔法"を唱える。
『ー吹き起これっ!』
瞬間、クロエを包む突風が彼の身体を前方へ強く押し出し、それに合わせて全力で駆け出す。
だが。
ー"トンッ"
不意に、クロエの背後でそんな無機質な音が響いた。
そして、クロエが(やべっ)と思った直後。
首根っこを掴まれたクロエはそのまま頭から床へ綺麗に突っ込み、派手な爆砕音を上げたのだった。
〜
『だから死ぬんだって!ウィル爺の修行は!』
それから数分後。やはりどうあっても超人司祭、ウィルネスからは逃げられないと
『ハハハ、そうですか』
対してウィルネスはそんなクロエを
『まずアンタ、結構な年いってんのに強すぎなんだよ!俺よりも《獣》なんじゃねぇの!?』
『いえいえ、それは心外です』
『もしかして、"これくらいじゃ死ぬ訳無い"って思ってないか?』
『当然でしょう。私が育てたんですよ』
『すげぇ自信だな、ったく』
2人、暫くの間軽口を交わし合う。
そして、クロエは息を整えると、真面目な顔をして言った。
『分かったよ。俺も元々騎士団にいた身だ、中途半端にはやらねぇ。やるからには全力でやるぜ。ー俺に修行付けてくれ、ウィル爺』
余談だが、クロエは所属していた騎士団にて、周りから《獣》等と呼ばれ嫌われ、遠ざけられていた。だが、任務に次ぐ任務というアナルフィア共和国一の過酷な環境下で生き抜いてきたおかげなのか、いざという時の決断力や、やると決めたら全力で取り組む姿勢が自然と備わっている。
メンタル面は相当鍛えられているのだ。不屈の精神力。彼の持っている"強さ"の一つなのだが、きっと本人は無自覚かつ気付いていない。
『・・・・・・』
そんな覚悟を決めた愛息子を見たウィルネスは、一度目を閉じると、噛み締めるように深々と頷いた。
そして、そのまま暫く顔を上げなかった。
『おい、ウィル爺・・・・・・?』
何事かと心配したクロエが声をかける。
『ああ、すみませんクロエ』
ウィルネスは顔を上げると
『やはり、間違いだらけでは無かったのだなと思ったのです。クロエ、貴方は普段の態度は粗暴で
少し、涙ぐんでいた。
親として純粋に子の成長が嬉しいのか、寄る年波には勝てず、涙もろくなっているのか。どちらなのかはクロエには分からなかった。
『・・・・・・ていうかさ』
間違い無く感動的な場面なのだが、クロエはどうもウィルネスに抱きついて感謝しよう なんて気持ちにはなれなかった。
正直、一つだけ、物申したかった。
『ーすぅー』
『ーはぁー』
息をゆっくり吸って、ゆっくりと吐き出す。
そして、言ってやった。
『俺の態度の話はいらねぇだろっ!!』
ー。一瞬の静寂。
『ハハハ!これは一本取られました!』
大笑いするウィルネス。
"座布団1枚"!なんてぬかしやがった。
『てんめぇ、やっぱ悪魔ジジイだぁぁぁーっ!!』
"今度こそぶっ倒してやらぁ!!"
そう意気込み、悪魔ジジイへ突撃していく。
ーそして僅か数秒後、廃れた大聖堂内に2度目の派手な爆砕音が響き渡ったのは言うまでもない。
◇◇◇
(そっからはマジの地獄だったわ)
時は現在へ戻り。
クロエはここ1週間の修行の日々を想い返していた。
ー朝は毎日、日が昇る前に起床。大聖堂周りを100周もランニングし、水が入った
朝食を食べ終わったらそこからお昼までウィルネスによる魔法基礎の座学を受けさせられ、(しかも正座)足が
『自習しなさい、クロエ』
超笑顔のウィルネスがトレーニング器具と魔法基礎のテストをこれでもかと用意しており、ノルマ達成まで就寝は禁止。
そんなアホの極みのような修行を7日間も続けたせいで、クロエの身体は筋肉痛だらけになり、終盤辺りはウィルネスとの組手で面白い程攻撃を喰らった。何回死ぬと思ったか。このクソジジイ、頭のネジどっか外れてるだろ。何度もそう思った。
今のクロエの服装は、本人に似つかわしくない白のシャツと黒の長ズボンスタイルだ。教師なんだから服装は絶対コレです、いやこれ以外あり得ないとやけに張り切ったウィルネスが用意してくれたものだが、服を脱げば、絶賛傷だらけである。修行による傷ではあるが、ふと冷静になると何なんだこれ という気持ちになる。
恐らくだが、クロエがウィルネスに対して修行ありがとう と心の底から口に出来るのは相当先になるだろう。
今は、あの悪魔鬼ジジイ覚えてやがれというちっぽけな負け惜しみしか出てこなかった。
(けど、今日で暫くお別れ か・・・・・・)
クロエはふと、寂しいという感情に襲われた。
今までは少しの事で憎み、軽口を叩き合ってきた親代わりの司祭は、今ここには居ない。
出発の見送りが最後だったろうか。
別にいつもと変わらなかった。
クロエもそれに対して別に気取る事無く、素直に"行って来ます"と言った。
別れの挨拶はしっかり済ませたはずだ。
それなのにいざ離れてみれば、これだ。
クロエにとって、何よりも頼りだった、強くて優しい親代わりの司祭。
(不思議なもんだな・・・・・・)
クロエはその瞬間心に決めた。
次に会う時は、今よりも成長した姿で と。
ーその時だった。
コンクリートで固められた通りに、"ガラガラガラ"という音が聞こえてきた。
クロエがそちらを見ると、1頭の黒馬がその
(おっ、意外と早かったな)
ー
クロエが今いたのは、都市と居住区を往来する馬車を待つ停留所だ。
アナルフィア共和国は、人々が暮らす居住区と娯楽施設やクロエの行く魔法学院がある都市部に別れており、単純に移動距離が長い為に馬車での移動が必須なのだ。
馬車は停留所の前で止まると、御者台から男性が顔を覗かせた。
「乗られますか?」
クロエは頷き、財布から通貨を1枚取り出すと男性に手渡し
「都市までお願いします」
と言った。
「まいど」
男性の短い商売言葉と同時に乗り込み口の扉が開く。
(ーいよいよだな)
クロエは馬車に乗る前、一度だけ後ろを振り向いた。クロエがウィルネスと生活を共にした大聖堂は遥か彼方にあるかのように、停留所からはもう見えなかった。
(ーそんじゃ、やってくるぜ。ウィル爺)
クロエは表情を引き締めると。
魔法都市へと、旅立ったのだった。
◇◇◇
「ー本当に、お昼御飯はいいの?」
「大丈夫です!購買で買えますから!」
ーそう言って、私は扉を閉めた。
もう何度、このやり取りをしただろうか。
下宿先の宿屋の人には悪いと思ってる。だけど、学院には私の居場所は無い。
充実した学生生活を送っている風に見せているけど、所詮は
一緒に勉強したり、お昼御飯を食べたりする友達なんて一人も居ないし、何よりあのクラスに所属してるなんて知られるのも嫌だった。
この国では私は上手くやっていけない。
幼い頃からそれを痛感しているはずなのに、15歳にもなって、私はまだ、この国にいる。
とっとと出ていくべきなのに。
まさか、私は何か"希望"を見つけようと
国の外に出ても生きていく自信が無いから、何か自分にとっての依存対象を見つけて、意地汚く生きようとしているの?
「ーっ」
毎日のように行う自問自答。
私はその度に馬鹿馬鹿しくなって。
今日もだった。
私は一瞬だけ制服のスカートを"ぎゅっ"とつまむと、一目散にとある場所へ走り出した。
通りに面した宿屋から薄暗い路地へ入る。
すると、路地の真ん中に一つだけ大きなマンホールがある。
私は、その入口を音を立てないよう、そっと開ける。
マンホールの中は共和国の地下水道になっていて、かなり暗い上にじめっとしていて少し臭い。
だけど、何度も通る内に慣れてしまった。
ショートカットというやつだ。道は複雑だけど、学院に通じるルートを私は見つけていた。
宿屋から持ち出したランタンを片手に、私はひたすらに地下水道内を進む。その先に自分にとって"絶望"しか無い学院があっても。
他にやりようが無いのだから、仕方が無い。
例え友達が出来たとしても。
どうせ私の正体を知れば遠ざかるに決まっているから。
どうにかしたい気持ちは直ぐに出口の無い迷宮に閉じ込められてしまうから。
「ー着いた」
やがて、私はある箇所で立ち止まり、そう呟いた。
ハシゴを登って、ホールを開く。
丁度、学院裏に通じるルート。
人もほとんど来ないので、私はいつものようにマンホールから出て、本校舎とは違う建物へ向かっていく。
結果的に言えば、その建物も学院裏にあるので人にはほば見つからない。
ー私が向かうのは、落第者だけを集めた最下層クラス。
ー全てに見放されて、生きる希望が無い私にとって、これ以上ない適した場所だった。
◇◇◇◇◇
ヒロイン全員が登場するのは、数話後になります!
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