第3話 ややこしいことが起きる一方、探偵はにやりと笑う。

 翌日の昼休み、僕たちは塔屋へと赴いた。塔屋というのは、学校の屋上階にある、あの謎の小屋みたいな場所のことだ。立ち入り禁止の屋上への扉は鎖と南京錠で施錠され、使われていない机やら椅子が雑に置かれている。


「高井、来るかな」


 ここで僕らは高井を待っているのだった。わざわざ屋上の塔屋に呼びつけたのは、きっと話が話なだけに、高井は他の人に聞かれたくないだろうと思ってのことだと、蓮見は言っていた。斜に構えたようなところのある蓮見だけれど、ちゃんと人を気遣うこともできるのだ。


「来るだろ。煽っておいたし」


 煽っておいた。もしも、僕がその場にいなかったら、今の言葉はとても違和感を覚えたと思う。相手のやった後ろめたいことの話を聞くために呼び出すときは、普通脅すところだと思う。

 けれど、そうではなく、本当に煽ったのだ。


 朝、先に登校していた僕が、高井になんて声を掛けるか迷っていると、後からやってきた蓮見がズカズカと高井の席に向かっていった。


「コンビニことで話が聞きたい」


 コンビニのこと、と曖昧な言い方はしているけれど、高井にとっては直裁な物言いだったろう。


「なにを言っているのかわからない」と言う高井の声は震えていた。


 そんな高井の言葉を無視して、蓮見は言う。


「逃げたらクソだせぇからな。昼休み、階段の屋上前んとこに来いよ」


 まさに煽りだった。高井は特に言い返すこともなく、ただ蓮見をにらみつけていた。


 しばらくすると、塔屋に登ってくる足音が聞こえた。階段の手すりから高井の頭がぬっと出てきたのが見えた。

 高井は挑発されると我慢できなくて乗ってしまうらしい。僕ははじめて聞いた話だったけれど、本当のことのようだ。


「で、話ってなんだ」


 高井は昼食を買ってきたところだったのだろう。なんのロゴもない購買の白いビニール袋を下げていた。


「コンビニのことだよ。おまえ、なんであんなことしたんだ」


 明らかに不機嫌な高井の声に対して、蓮見は平然としている。僕だったら、怖くて気を遣ってしまうところなのに、蓮見は度胸があるなと思う。


「蓮見になんか関係あるのか?」と高井は至極当然のことを言う。

「いや、関係ない」と蓮見はその当然を認めて「でも教えろっつってんだ」と宣った。


 あまりにもふてぶてしい物言いだ。高井は面食らったのか、言葉を失った。

 蓮見自身、高井が黙ってしまうことを考えていなかったのだろう。蓮見もどうしていいかわからないみたいで、黙り込んだ。

 えぇ……と思いつつも、僕が蓮見の代わりに核心を突いた。


「高井さ、青田となんかあった?」

「え、あ、いや」


 見事にあからさまな反応だった。


「なんで言わなきゃいけないんだ。おまえらに関係ない」

「でも、高井さ、話をしに来てくれたじゃん。コンビニの話って言ったら、そのことを話すに決まってるのに。だから教えてよ。なんか嫌なことあったんじゃないの?」


 高井がうつむく。言おうかどうしようか悩んでいる様子だ。あともう一押しすれば口を開くことができそうに見えた。

 ところが、だ。


「ここまできて言わねぇってのはねぇだろ。そりゃダセぇわ」


 蓮見が僕の言葉を引き継ぐように煽った。

「は?」高井の表情が一気に冷めたものに変わって「なんでもそう言えば乗ると思うなよ」と吐き捨てると、購買のビニール袋を振り回すように、階段を降りていってしまった。

 今度は僕と蓮見の間に沈黙が訪れた。

 放心したようにしばしぼけっとしたあと、


「すまん。やらかした」

「仕方ないよ」


 ヘコんだ顔した蓮見をなだめた。

 放心したあとは、方針転換だ。

 高井と青田の間になにかあったのは確実なのだから、それなら青田の方に尋ねればいい。

 僕らはそのまま塔屋から降りて、教室に戻った。いつも青田が参加している蓮見言うところのきたねぇモザイクの塊が、教室中央を陣取っていた。しかし、昨日と同じく青田の姿はそこになく、離れた自分の席で突っ伏していた。


「青田、少しいいか」


 蓮見が話しかけると、

「なんだよ」

 突っ伏したまま答える青田の声は、どこか沈んでいる。昨日は嘆いていたものの、これほど落ち込んでいただろうか。


「なにかあったの?」

「いや、マジヤバいかもしんねぇ。マジで彼女怒ってる。本当に別れなきゃなんねぇかも」


 顔を上げた青田は、この世が終わってしまうかのような表情だった。

 一時的なものだと思っていた彼女の怒りが、本格的なものだと悟ったということだろうか。昨日は災難を嘆くような、まだ余裕を感じたが、今日はもうそれどころじゃないようだ。


「リングも見つからねぇし、ライン既読無視されるし、どうすりゃいいんだよ」

「じゃあ、俺の質問に答えてくんね」


 またぐちぐちと続きそうなのを蓮見が打ち切る。


「なんだよ」

「お前、高井となんかあったの?」

「高井ィ?」


 すっとんきょうな声を上げて、青田は首をかしげた。どうしてここで高井の名前が出てくるのか、まったくわかっていないらしい。「青田、知らない? 高井さ、一昨日、青田がバイトしてるコンビニで悪戯したんだって」


「は? なにそれ」


 虚を突かれたように青田が言う。


「なんか、商品の位置をめちゃくちゃにする悪戯ってあるんでしょ? 川島さんって、あのおじさんが言っていたけど、最近それが多くなってたって。その犯人が――」


 青田は、僕が説明するのを遮って「高井か?」と引き継ぐ。

 それに頷くと、急に青田の目が鋭くなった。


「それ、マジ?」

「マジ。俺ら、昨日コンビニで川島っておっさんから聞いたから」

「は? じゃあ、あいつしかいねぇじゃん」

「は? なんだそれ」


 今度は蓮見が虚を突かれたように言う。


「いや、だからよ、高井しかいねぇんだよ」

「えっと、なにが高井しかいないの?」

「ペアリング、あいつが盗んだ」


 青田は完全にそう言い切って立ち上がる。

 今にも走りだそうとする青田の肩を蓮見が掴む。


「どういうことだ。説明しろ」

「ちょい度胸試しにうちで万引きでもしてみろって高井に話したんだよ。俺らに見つからねぇように。あいつ、嫌だっていうから、めちゃくちゃにダセぇって煽ってやったんだよ」

「はぁ? なんでそんな話になってんだ」

「憶えてねぇよ、流れなんか。別に本気じゃなかったし。あいつ、煽られたら乗るんだろ? マジでやりやがったらバカで笑えるし、そもそも普通やらねぇだろ」


 つまり、青田が面白半分で高井を焚きつけたところ、高井は煽りに乗るどころか、青田に対して復讐ふくしゆうのためにリングを盗んだ。青田はそう言いたいらしい。


「もういいだろ。離せ、オタク」


 蓮見の手を払いのけて、青田は教室を飛び出していった。


 とにかく青田を追わないと。ぼーっとしている場合じゃない。

 ところが、走りだそうとした矢先に、肩をがっちり掴まれた。青田を逃がした代わりに今度は逃がさないと言わんばかりの力の強さだった。


「いや、待て待て。お前まで行くな」

「このまま放っといたらややこしいことになるでしょ」

「だからってどう止めるつもりなんだ」

「でも、高井がやったってまだ決まったわけじゃないのに」

「頭に血が上ったをやつを理屈で説得する気なのか?」


 それはそうだ。

 僕の納得したのを認めて、蓮見が頷くと、肩から手が離れた。。


「それに、逆にいっちまえば、犯人じゃねぇとも言えねぇじゃん」

「じゃあ、高井が犯人ってことなの?」

「そこまでは言ってねぇよ。疑う理由はあるって話だ」


 疑う理由。たしかに、僕は自分でも高井の様子を見て青田と結びつけていたし、青田の話を聞いていて、高井がリングを盗んだ可能性はあると思っていた。だから、僕自身も疑っていたのだけれど、でも、それだけじゃ決めつけられないと思った。

 蓮見の言う通りだ。冷静になってみると、疑う理由自体はあるし、青田は今冷静じゃない。だから追いかけていくのもわかる。


 ちらと、教室の時計を見ると、昼休みはあと十分もなかった。それならば、高井を探しに行っても、五限が始まるまでに間に合わないだろうし、仮に見つかっても、時間切れだ。チャイムが鳴ったあとに騒いでいたら、先生たちも気付くはずだ。

 ただちに大事にはならないだろう。

 ただ、自分のなかで整理しきれていないものにも気付いた。


「そもそも高井はなにが目的なんだろう」

「そりゃあ、青田への意趣返しだろ」


 どうやら蓮見は付き合ってくれるらしい。意趣返しということなら、コンビニでの悪戯で十分だったように思う。川島さんに捕まったときに、青田からやれって言われたと話せば、バイト先で十分な処分が下るはずだ。

 いくら、昨今コンビニでの働き手が不足しているからといって、まさか問題を起こしたバイトを処分せずに許すなんてことはないはずだ。

 そうであれば、十分に高井は意趣返しができたはずだ。

 僕の話に蓮見は反論をする。


「いいや。店長に捕まったならともかく、あの川島っておっさん、青田からすると気が弱いって話だ。要するに、おっさんは青田にビビってる。高井は悪戯するのに何度もあのコンビニに出入りしていたはずで、おっさんのそんな様子をしっかり見ていたはずだ。それなら、さすがにあんなおっさんに話したところで、意趣返しが成功するだなんて思えないだろう」

「だから、もっと青田にダメージが入るリングを狙ったってこと?」

「まぁ、そう考えられるってことだな。ついさっきのことを思い出してみても、高井は別に相手の言うとおりに動くわけじゃねぇみたいだしな」


 蓮見は気まずそうに目を伏せて言う。

 塔屋で高井と話したときのことを言っているのだろう。蓮見は白状するように煽ったけれど、高井は怒ったものの、蓮見の思い通りに動くわけじゃなかった。当然だ。高井だって人間だ。


「まぁ、それがリングを狙う動機ってわけだな」

「じゃあ、どうやってリングを盗もうとしたんだろう」


 そもそも、青田がバイト中にリングをどこに保管していたかなんてわかるはずがない。本人に尋ねるくらいしか思いつかない。


「いや、それはざっくりだが、推測できるぞ」

「どうやって?」

「青田、学校ではいつもリングを指につけてたろ」


 僕は全然憶えていなかった。青田にそこまで興味がなかったし、いつも自慢話が聞こえてくる程度だし、まったく話さないわけではないけれど、親密だったわけじゃない。蓮見だってそのはずで、よく観察しているものだと思う。


「学校で指につけていて、コンビニでつけていなかったら、そりゃあ、ポケットのなかとか、あるいはバッグのなかにでも入っているって考えるのが普通じゃね」

「じゃあ、ポケットに入っている可能性もあるじゃないか」

「いや、昨日の朝のこと思い出せ。青田はポケットに穴が空いているって言ってたろ。購買で小銭をぶちまけたって。さっき、高井も購買の袋を持っていたし、青田が小銭をぶちまけたのを見ていたとしてもおかしくない」

「じゃあ、高井は青田のバッグのなかにリングが入っていると考えた。で、そのバッグの在処ありかは――」

 蓮見が頷き、「ロッカーのなかってわけ」と答えた。

「つまり、高井はバックヤードに侵入するためだけに、コンビニで悪戯をしたってこと?」

「まぁ、そういうことになるな」

「ただ、煽られただけなのに?」

「そうだな。煽られただけなのに、そうしたってことだ」

 なんか、なんというか――

「高井、かわいそうなのか、そうじゃないのか、よくわかんないね」

「青田にクソ煽られたってのは、カスに引っかかって、まぁ大変だったなって話だな。だからといって、そこまでやるんなら、話は違う。要するに高井も高井でカスってことだ」

「じゃあ、やっぱり高井が犯人ってことなのかな?」


 蓮見がにやりと笑った。


「さてな。まだ疑いってだけだ」


 そう言って立ち上がった。


「え、もう昼休み終わるよ?」

「まぁ、放課後までには戻るわ」

 僕が教室を出ようとして止められたはずなのに、今度は蓮見が教室を出て行った。

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