タヌキングと1リットルのカフェオレ

タヌキング

高校時代=一リットルのカフェオレ

1リットルというのが大事なのである。

500mlだと少ないし、紙のカフェオレなんて高級品。

ゆえにスーパーに並べられた1リットルの牛乳パックのカフェオレが貧乏な高校時代にはベストの選択である。

タヌキングの高校時代の月の小遣いは3000円(高校一年生の時は2000円)であり、一日100円しか使えない、まぁまぁな制限生活であった。

せめて5000円は欲しかったところだが、今更嘆いたところで仕方ない。

ゆえに1リットルのカフェオレを飲むのが最適解である。100円も無い時は友人に一口下さいと土下座も厭わない姿勢を見せる。生きるためには仕方のない事であった。



ココはあえて赤裸々に語るが、自転車でカフェオレを飲む際、右手片手運転の左手にカフェオレを飲み、そのまま下校していた。道路交通法違反かもしれないがタヌキングの若気の至りとして大目に見て欲しい。

しかしながら片手運転で1リットルのカフェオレを飲むのは中々に技術がいることで、最初の内はよくこぼして、手元や学生服のカッターシャツにカフェオレをぶっかけていたものである。技術が進歩して、ほとんどこぼすことは無くなったので、自分の成長を肌で感じて嬉しかったのを覚えている。

番外編としてリンゴを食べたり、自転車かごの中の弁当を食べたりと色々やったが、話の主題と関係無いので割愛させて頂く。



1リットルのカフェオレというのは水っぽく、私の作品のキャラの黒野さんに言わせれば「お前がどれだけ水っぽいカフェオレを飲もうが知ったこっちゃないが、私から言わせればロマンが足りんな」と言われそうだが、それでも高校時代はそれが美味しかったわけである。もっとも部活終わりで喉が渇いていたことも美味しかった要因としてはあるだろうけど。

美味しいカフェオレにも問題点がある。それは1リットルのカフェオレは大量摂取したことによる下痢である。毎日のようにカフェオレを飲むので、毎日のように下痢をしていたタヌキング。だがやめらない止まらない、この頃からカフェインの奴隷に成り下がってしまっていたのだろう。



大人になった今でもカフェオレは飲むが、高校時代ほどの美味しさは感じられない。

あれは期間限定の青春の味だったのだと、しみじみ考え、もう戻れない高校時代に想いを馳せて、ノスタルジックな気分に浸るタヌキングなのであった。



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タヌキングと1リットルのカフェオレ タヌキング @kibamusi

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