第6話 ギミックとアングルは癖が強い
右側、自信満々に。左側、ダウナーで押され気味に。
陽光(右)「プロレスは健全でクリーンな格闘技の……ううん最高のエンターテインメントショーとしての道を突き進んだの」
月光(左)「ある種の開き直り?」
陽光(右)「そうかもしれない。でもそれが面白い。プロレスはただ強い者同士が戦うだけではない。ギミックと言ってね。戦うレスラー達には役割や設定が与えられているの」
月光(左)「ヒールとか聞いたことがあるかも」
陽光(右)「悪役レスラーだね。日本語だと悪玉。メキシコのプロレス、ルチャリブレだとルードと呼ばれている」
月光(左)「いろいろな呼び方があるんだね」
陽光(右)「うん。プロレスを盛り上げるために欠かせない重要な役割だから。お客さんを恫喝したり、ルール違反したり、凶器を使ったり、審判に攻撃したり、審判に賄賂を送って不正したり」
月光(左)「本当にやりたい放題」
陽光(右)「もちろん本当に悪い人ではないよ。ヒールは細やかな打ち合わせと演技力が必要なの。試合のないプライベートでもいい人だと見られないように、己を律して悪役のキャラ作りをしている職人たちなんだよ」
左側、笑いを含んで。
月光(左)「いい人に見られないように己を律する職人」
陽光(右)「ヒールのレスラーが実はいい人だとバレたらプロレスが成り立たないから大変なの。休みの日に夢の国に遊びに行くこともできない」
月光(左)「強面の悪役レスラー集団が耳つけて遊んでいるところを見てみたい気もするけれど、夢を壊してはいけないからね」
陽光(右)「もちろん本当に素行不良で問題を起こす人はヒールになれないんだよ。でも真面目でいい人だと本性がバレてもいけない。アメリカの団体だと色々と契約書を書かされるという話もある」
月光(左)「プロレスって本当にエンターテインメントショーなんだね」
右側、甘く囁く。
陽光(右)「うん。でもそういう裏側の話、お兄ちゃんも好きでしょ」
左側、むっとしながら先を促すように。
月光(左)「ん……それで悪役がいるということは戦うのはヒーローレスラー?」
陽光(右)「それが違うの。プロレスはあくまでリングで行われるエンターテインメントショーだからね。ヒーローとは呼ばれない」
月光(左)「それじゃどう呼ぶの?」
陽光(右)「ベビーフェイス。日本語だと善玉。ルチャリブレだとリンピオとかテクニコって呼ぶかな」
月光(左)「また色々な呼び方が。えーとベビーフェイスだから童顔?」
陽光(右)「ベビーフェイスはプロレス団体の顔だからフェイス。女性に人気がありそうな幼く見えて爽やかな顔立ちの人が多いの。ただもう一つ意味があって純真無垢な役割があるからベビーフェイス」
月光(左)「純真無垢?」
陽光(右)「ベビーフェイスのレスラーは絶対に不正をしない。鍛えあげて己の肉体と磨き上げた技術のみで、やりたい放題するヒールに立ち向かうの。そのためには立ち姿や技の全て華がなければいけない。フェイスがヒールに見劣りしたらプロレスは成り立たないからね」
月光(左)「ヒールも大変だけど、ベビーフェイスのレスラーも大変なんだね」
陽光(右)「そう大変なの。ご飯が激辛になっていたり、車を買ったら納車の次の日には壊されていたり」
左側、困惑した様子で。
月光(左)「車を壊される? ……なんか想像していたのと違う大変さ」
陽光(右)「アングルと言ってね。興行、つまり試合に注目してもらうために試合以外でフェイスとヒールに因縁を作るの。できるだけ話題になるように。面白おかしく。試合中の脚本がブック。試合以外の脚本がアングル」
月光(左)「試合以外にも脚本があるんだ」
右側、興奮した様子で。左側、押され気味で。
陽光(右)「アングルの出来で観客動員数が変わるからね。盛り上げるためならなんでもあり。ヒールレスラーが悪役集団を作るのは基本中の基本だし、ビジネスブラザーと言って義兄弟の契りを結んだり、テコ入れで海外武者修行に出てマスクマンとして帰ってきたり。本当に面白いんだよ」
月光(左)「う……うん。悪役集団にマスクマン。聞き覚えあるかも。プロレスラーはマスク被っている印象あるし」
陽光(右)「そうマスクマン。実はプロレスも歴史を取り入れているんだよ」
月光(左)「プロレスが歴史を? アメリカ開拓期のカウボーイ的な?」
陽光(右)「ううんアステカ文明」
月光(左)「まさかのところから取り入れていた」
右側、落ち着いたトーンで。
陽光(右)「メキシコのプロレスのルチャリブレ。発祥は千九百三十年頃。元々のブックがメキシコ先住民対侵略者のスペイン人の構図なの。先住民がテクニコで侵略者がルード」
月光(左)「本当に歴史的」
陽光(右)「メキシコの辺りでは日本の土器やはにわ感覚で仮面が出土してね。仮面には力が宿ると信じられているの。一族代々で仮面を継承したり」
月光(左)「はにわ感覚だったの? 南米の石仮面」
陽光(右)「アステカの戦士は仮面を被り、素顔を見られたら相手を殺さなければいけない。みたいな掟も言い伝えられている」
月光(左)「いろいろなところで流用されている仮面の掟。アステカ文明発祥だったんだ」
陽光(右)「ルチャリブレでは仮面のはく奪をかけた戦いが一番盛り上がると云われるぐらいだからね」
月光(左)「すごい世界観」
陽光(右)「メキシコでは副業レスラーが多いから、素顔でプロレスしても盛り上がりにくいという事情があるらしいけど」
月光(左)「現実的な理由もあるんだ」
陽光(右)「ほら例えば市場で野菜を売っている八百屋の長兵衛さんがメキシコにいるとするでしょ」
月光(左)「長兵衛さんの国際進出だね」
陽光(右)「その長兵衛さんが副業で夜になるとルチャリブレのリングに立つ」
月光(左)「長兵衛さん肉体派の八百屋さんだった」
陽光(右)「ルードの長兵衛さんが素顔のままリングに立つ。そして緑色の毒霧を吹いたら、観客は毒じゃなくて青汁かな? ってなるでしょ」
月光(左)「なる。それも吹くぐらいマズそうだったら長兵衛さんの野菜も売れなくなっちゃう。大問題」
陽光(右)「そう大問題。だからルチャリブレにはアステカ伝統の仮面がつきものなの」
月光(左)「アステカ伝統の仮面必要だった」
右側、落ち着いたトーンで。
陽光(右)「ちなみに本場アメリカのプロレス。初期は『筋肉は力』『力こそ正義』のアメリカンスタイルで発展したんだよ」
月光(左)「本当にアメリカン」
陽光(右)「打撃も投げ技も関節技もなんでもあり。世界一強い俺に挑んで来いみたいなノリだったの。ある意味総合格闘技の祖だね」
月光(左)「日本書紀の野見宿禰と當麻蹶速の天覧相撲みたいな?」
陽光(右)「言われてみれば近いかも。ただそのあとテレビの普及と共にショービジネス化の道を辿ってね。最高のエンターテインメントショーとして様々なブック、アングル、ギミックが発明された。そして今も発展し続けている」
月光(左)「今のアメリカのプロレスはマッスルよりもショービズなんだ。本場なのに」
陽光(右)「うん。各国で特色がわかれているのもプロレスならではだね。メキシコのルチャリブレはベビーフェイスのことをテクニコ、つまり技術の達人と呼ぶぐらい空中戦などのド派手な技を売りにしてる。格闘技兼サーカスみたいな感覚かな」
月光(左)「ルチャリブレは魅せプと」
陽光(右)「日本のプロレスは……紆余曲折あった。最初は強いレスラーを決める総合格闘技的な位置づけだったんだけど、アメリカのショービズ。ブックとギミックとアングルが来航して、ファンの反発を招いたり、団体が分裂したり。八百長と呼ばれると過剰に反発する人が続出するぐらい複雑」
月光(左)「日本のプロレスは複雑と」
陽光(右)「いやアメリカのプロレスも色々と複雑なんだけどね。日本はアメリカのショービズを取り入れつつも、ルチャリブレのようなテクニックとド派手な技で魅せるスタイルが好かれる傾向があるかな」
月光(左)「つまり中間?」
陽光(右)「そうだね。ただどこの国のプロレスも観客を喜ばせるためには純粋だよ」
右側、耳に触れる距離感で甘く囁く。『推し』の発音を小さく。
陽光(右)「どう? 陽光の推しのこと好きになってくれた」
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