第6話 バイバイ

 ルーク様に解放され自宅へ戻ると、私は最低限のものだけをカバンに詰めた。

 時刻は既に夕刻。

 空は茜色に染まっている。

 

「これから私、どうなるんだろ……」


 荷物をまとめるまでは慌ただしく、色々な事を考えることから目を逸らせていた。

 でも、やる事がなくなってみると急に虚無感と不安がやってくる。


「アッシュに会いたい……」


 床に転がって鬱々としていると、自然と私の口からはそんな言葉が漏れ出た。

 でも、今アッシュに会っていいのか分からない。

 ルーク様は、今私が誰かと接触することについて否定的だった。

 貴族の手が、その人物にまで手が及ぶ可能性もあると……。

 十分考えられることだ。

 

 アッシュは鍛冶仕事をするから力はある。でも、戦いに関しては素人だ。

 襲われてしまえば、どうなるか分からない。

 

 ――けれど、もしかしたらアッシュにはもう会えないかもしれない。

 

 これから私はルーク様の屋敷に入る。

 どうしたら出られるようになるのかも分からない。

 いったい何をされるのかも良く分かっていないのだ。


「話せなくても……一目だけ…………」


 話しかけなければ、きっと迷惑はかけない。

 深めのフードを被って、私と分からないようにすれば……。

 

 思い立った瞬間、私は家にあるローブを身に纏って家を飛び出していた。


 ◆


「ねぇ、アッシュ君……。今度、アタシと一緒にご飯とかどうかな……」

「……? 別に良いけど、急にどうしたんだ?」

「アハハ……やっぱり察し悪いなぁ……」

「飯に誘われたくらいで、俺は何を察してやればいいんだ?」

「ホント、そういう所が勿体ないんだよね……。でも、おかげでお手付きになってなくて良かったかな」

「何の話だ?」

「今は内緒。また今度、話してあげるね」


 来なければ良かった……。

 

 アッシュが工房を閉めるまで、彼の姿を少し遠目に眺めていようと思っていただけなのに、嫌な現場を見てしまった。

 この辺りで服飾店を営む商家の娘さん。名前は忘れた。

 まぁ、かなり美人で男連中が狙いまくっているマドンナだ。

 実家が太く、本人も真面目な働き者だとか。

 平民の中では最優良物件と言っていいだろう。

 そんな子が、明らかにアッシュをデートに誘っている場面に出くわしてしまった……。


 ちょっと遠めに見るだけ……のつもりが、アッシュのお店に彼女が入っていくのを見て、自分を抑えられなかった。

 私は二人の声が聞こえるところまで自ら足を運び、盗み聞きなんて浅ましい行為をした挙句に自滅している。

 

「じゃあ、約束だよ。忘れないでね?」

「……ああ、分かった。じゃあな」

「うん! またね!」


 ホクホク顔でアッシュに別れを告げ、私が隠れている方へ駆けてくるマドンナちゃん。

 陰で立ちつくしている私になど気づかず、彼女は軽快なステップで私の側を通り過ぎていく。

 その顔はどう見ても恋する純粋な乙女だった。


「……おめでと、アッシュ」


 仕事バカのアッシュは、女っ気なんてないと思っていた。

 まさか、アッシュがいつの間にかあんな子を虜にしていようとは……。

 業態は違っても、互いに商売をする家で若手の稼ぎ頭ということもあって、何かしら縁があったのだろうか。

 戦場を行ったり来たりしていた私に二人の馴れ初めは知る所ではない。


 ルーク様の件がなかったら、もっと思うところがあったかもしれない。

 少なくとも、こうして黙って見ては居られなかっただろう。

 でも、今の私があの2人の恋路に口を挟んでも何もできやしない。

 私は、明日にはこの場所を去るのだから。


「良かったよ。変に希望を持ったまま別れずに済む……」


 私は、フードを深くかぶり直し家へ帰った。

 もはや涙も出ない。


「バイバイ、アッシュ。あの子とどうなるかは分からないけど、幸せにね」


 清々しい程に完膚無く、私の今世の初恋は終わりを告げた。




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