第5話 公爵様の愛人(仮)
貴族の中でも王族を除けば最上位の地位にある公爵家。
若手ながらその当主の座を正式に継いでいるルーク様の提案だ。
平民の私が断れるはずもない。
これは貴族であっても同様だ。
むしろ爵位に縛られる貴族たちこそ、ルーク・バルディアという男の言葉を易々と無視することなどできはすまい。
果たして彼の言う専属文官とやらが、いったいどのような役目を担う仕事なのかも分からないまま、私の次の就職先は決定してしまった。
自分が死ぬまで生活するだけの金を得て、「これで早期退職! あとはアッシュとくっついてハッピーエンドじゃー!」と息巻いていた私。
その儚い構想はあっけなく塵となって消えていった。
「じゃ、諸々の手続きは僕の方でやっておくから。あと、君は明日から僕の屋敷に住みなさい」
「は⁇」
さらっと凄い事を言うルーク様。
理解が追いつかない。
「当然だろ? 君が妊娠したなんてバカな嘘を吐いたものだから、仕事の度に貴族街と平民街を行き来させるわけにいかないんだ。君は無駄に顔が売れているから、そこらを歩くだけで目立つ。君の姿を見た誰かに嘘がバレたら、騒ぐ貴族もいるかもしれないだろ?」
本来は軍を辞めたら人と会わずにひっそり隠居生活を楽しむ予定だった。
貴族街になんぞ一生足を踏み入れる気も無かったし、嘘がバレる云々の心配はしていなかったのだ。
それが、今になって話を余計に拗らせてしまった。
でも、それにしたって……。
「いや、いやいや! 何を仰っているんですか! そんなのダメに決まってますよ!」
「ダメって……。君に拒否権はないよ。僕は大貴族、君は平民。分かるかな?」
マジでこの国終わってる!
貴族の中では非常にクリーンなイメージを持っていたけど、やっぱりこの人も大概だ。
思わず彼に反抗的な視線を送ってしまうけれど、ルーク様は少し困った顔になるだけ。
「あのねぇ……。僕が君を匿わなかれば、どの道君は軍の誰かからつけ狙われることになるんだよ?」
ムノウ伯爵も同じことを言っていた。
けれど、一番私に危害を加えそうなムノウ伯爵は既に瀕死の状態。
今は私のことなどより、自分の今後をどうするか考えるので精一杯なはずだ。
仮に別の誰かが来たって、私は多分困らない。
「今は姿を晦ませて極力誰にも会わない方が良い。どうなるか分かったものじゃないよ」
「私は軍の前線で戦ってきた人間ですよ。そう易々と危害を加えられるとは思っていません……」
「その様子だと、いまいち事態を理解していないね……。僕たち貴族は陰湿な嫌がらせが得意なんだ。本人ではなく、その家族や想い人を狙う輩も多い。君にはそういう人物はいないのかい?」
……居る。
実のところ、両親は他界してもういないのだれど、想い人は居る。
アッシュのことを思って頭から血の気が引いていく。
蒼白になる私の顔を見て、ルーク様は溜息混じりに言葉を続けた。
「ちょっと考えたら分かりそうなものだけど……。君、能力がある割に頭はあまり回らないね」
さりげなくディスられたけど、何も言い返せない。
私には全然思慮が足りなかった。
のほほんとアッシュの元へ行き、仮に彼と結ばれていても、私には悍ましい未来が待っていたかもしれない。
「そういうことだから、これから家へ戻ったら引っ越し準備をするように。明日の早朝になったら可能な限り人相が分からない格好で街門近くに立っていてくれ。僕から迎えを出すから」
街門というのは、貴族が住む街と私たち平民が住む街を隔てる門のことだ。
私たち平民は、貴族の許可証無しにその門を通ることは許されていない。
「……わ、私……想い人が居るんです。彼は……」
「今は近づかないことだね。……君は明日から僕の庇護下に入る。これは内々に済ませる話ではなく、僕の口からさり気なく噂を広めていくから。そうなれば、
おかしな勘違いというのは、私がルーク様の愛人になったとか、まあそういう類の話だろう。
そして、私が身籠ったという話に妙な尾ひれが付くに違いない。
けれど、それで立場が安定するのは私だけだ。
「あの、それだとルーク様が困るのでは?」
彼はまだ未婚のはず。
それが平民の愛人を囲っているとなれば、外聞は良くないだろう。
「ハッハッハ! 僕はこれでも公爵家の当主。大抵の問題は強制的に握り潰すことができるんだ」
やっぱりこの国は腐っている。
朗らかに笑うルーク様へ、私は引き攣った笑みを返すので精一杯だった。
果たしてこれから私はどうなってしまうのか……。
それはまだ、ルーク様のみぞ知る所だ。
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