第63話 異様な空気の原因は


 チョコはどんなのがいいんだろ、と考えながら歩く駅までの道はあっという間だった。


 蒼は甘いものが苦手って感じではないと思うけど、じゃあ好きなのかと言われるとその答えを知らない。リサーチ不足だ。


 それに甘いもの好きな人にも甘さの好みがある。バレンタインまでまだ時間はあるから、リサーチを実行しよう。うん、それがいい。ナイスだ、わたし。


「おーい」


 ぼうっと、駅のホームで電車の到着を待っていると向こうから男の子の声がした。


 わたしに呼びかけている、という確証はなかったけれど一応、というかついそちらを振り返ってしまう。


「おっす。陽花里、一人か?」


 こちらにやってきたのは橘くんだった。バスケ部に所属するクラスメイトで、クラスでもわりと話す方。バスケ部の応援を始めてから、よりいっそう声をかけてくるようになった。


「うん。橘くんもですか?」


「ああ」


 彼は自然と隣にくる。

 少しだけ近いと感じるけれど、そう指摘するのもどうかと思い言葉を飲み込む。


「今週だっけ。練習試合」


「そうですね。なので、バスケ部の応援ももうすぐ終わりです」


 そもそも、この状況自体があまり良いものではない。

 わたしは蒼と付き合っている。

 だから、蒼以外の男の人と二人きりでいることは彼女としていかがなものか。


 けど、わたしたちの関係を伏せておきたいというのが蒼の望みだ。蒼の言うことは分からなくもない。


 それに。


 ただでさえ目立ちたくないと言っているのに、わたしと結月、二人と付き合っているなんてことが広まれば間違いなく蒼の望んでいない結果に繋がる。


「そのまま入っちゃえばいいのに。陽花里レベルの実力なら入部してそのままレギュラー確実だろ」


「あはは、どうでしょう」


 わたしは笑ってごまかした。

 ちょうど、そのタイミングで電車がホームに到着した。

 もちろん、乗り込んだとて彼がそこにいることは変わらない。どころか、イスに座った分、その距離はさらに近く感じる。蒼と座りたいな。


 部活終わりの大幕生がちらほらと見えるけれど、知っている顔はない。わたしは社内を見渡してから、なんとなく視線を外の景色に向けた。


「でさ、どうよ?」


 橘くんがそう言って、わたしは彼を見る。


 一応、ううんと唸っておく。

 けど、答えは決まっている。

 

「女バスのみんなもそう言ってくれるんですけど、わたしは応援だけにしておこうかなって思ってます」


「なんで?」


 橘くんは眉をひそめた。

 単純に気になっているような顔をする。


「バスケは好きです。楽しいです。けど、それよりももっと、大切にしたい時間があるから」


「家族?」


「えっと、まあ」


 咄嗟に言葉が出なかった。

 ここでハッキリとそうだよって頷いておけば、これ以上の詮索はされなかったんだろうけど。


 やらかしたな、と思ったのは彼の次の言葉を聞いたときだ。


「彼氏、とか?」


「え、や」


 動揺してしまう。

 以前、結月に言われたことがある。陽花里は嘘を付くのが下手くそだって。


 自分としてはそんなつもりはないんだけど、見る人が見れば分かるらしい。


 それにしても、今回の動揺はひどいと我ながら思うけど。


「チガウヨ?」


「え、うそ、彼氏いんの?」


「い、いないってば」


 ようやく頭が動き始めた。

 わたしは普段通りの調子で否定することができたけれど、もうすでに手遅れだった。


「絶対嘘じゃん。誰だよ? 井上とかか? 卒祭実行委員一緒だし」


「違うよ!」


 わたしは慌てて否定した。

 橘くんは神妙な顔をして、なぜか納得したように口を閉じた。そして再び考える。


 わわわ、これはよくない流れだなぁ。


 なんとかして話を逸らさないと。


「じゃあ北園?」


「違います」


「まさか平岡とか?」


 わたしは大げさに首をぶんぶんと振る。


 すると橘くんは腕を組んで唸った。


 さっきから並べられてるのはみんなイケメンで女子からの人気が高い男子生徒だ。


 イケメン好きだと思われてるのかな?


「……じゃあ誰だ」


 橘くんは真剣に悩んでいる。


「えっと、だから、そもそもわたし彼氏なんて……」


「もしかして、桐島とか?」



 *



「朝だよお兄ちゃん起きて起きないと妹のだいしゅきダイブくらわせるぞこらー!」


 ぼふ、とお腹の辺りに重みを感じて目を覚ます。最悪の寝覚めだ。何事だと思い、お腹の方を見ると朱夏がバンザイをしながら倒れ込んでいた。


「なにするんだよ。びっくりするだろ」


「いつまで経ってもお兄ちゃんが起きてこないから、しかたなーく起こしにきてあげたのになんだその物言いは!」


 今日は朝からテンション高いな。

 寝起きでこれに付き合わされるの大変だよ。

 朱夏はぷんすかぷんすかと大きなリアクションと共に物申してくるので、俺は諦めてごめんなさいと謝った。


 なにが悪いのかは分かっていない。


「起きるから。これ以上騒がないで」


 そんなわけで朱夏をとりあえず部屋から出して制服に着替える。時間を確認すると、確かにいつもより遅かった。

 いつの間にかアラームを消してしまっていたようだ。朱夏に感謝だ。


 リビングに行くと朝食ができていた。母さんはすでに家を出ているらしく、兄妹二人での時間だ。


 朝のニュース番組はちょうどコーナーに突入し、間近に迫ったバレンタインを特集していた。


「今年はお兄ちゃんのバレンタインも安泰だね。なんてったって可愛い彼女がいるんだもん。それも二人、しかも双子」


「まあ、そだな」


 トーストをかじりながら朱夏に応える。


「毎年お母さんと心配しながら手の込んだチョコを用意するのめんどっちいなって思ってたけど、なくなるとそれはそれでなんか寂しいよね」


「わざわざ面倒だったこと暴露しなくてもよくない?」


「そんなわけだから今年もちゃんと用意するね」


「なおさら言わなくて良かったじゃん。面倒なら別にいいよ」


「面倒な気持ちを超える作りたい欲が内側から溢れ出てるから」


 ぐっと拳を握り、気合いの入った姿を見せる朱夏。そういうことなら何も言わないけど。美味いしな、ちゃんと毎年。


「そういうわけだからホワイトデーの三倍返しよろしくね?」


「……それが本音か」


 これがなければ純粋な気持ちで喜べるのに。



 *



 妹との朝食を終えて登校していると、この時間にしては珍しい日比野を見かけた。


「おはよう」


 後ろから声を掛けると、日比野は気怠げな顔をこちらに向ける。それは朝が弱いからだよね? 相手が俺だからじゃないよね?


「おはよ」


「この時間なの珍しいな」


「たまにはね」


 くあ、と日比野はあくびをする。眠そうだな。夜更かしでもしたのだろうか。


「そういう桐島は元気だね」


「朝からテンション高い妹に絡まれたから」


 そんな会話をしながら日比野の隣に並ぶ。こうして二人で登校するのは実に珍しいことだ。年に五回もないだろう。


 今日はなにかいいことがあるかもしれない。


 俺が本日の幸運を予感していると、スマホがヴヴヴと震えた。最近は珍しくもなくなり、驚くことのなくなったメッセージの通知だ。


 相手はだいたい結月、陽花里、朱夏のうちの誰かなんだけど。


「……んん?」


「どしたの?」


「いや、これ」


 俺はメッセージ画面を日比野に見せる。


「ちょっ、彼女との会話履歴なんか見せないでよ……んん?」


 スマホの画面を見た日比野が怪訝な表情になる。俺も似たような顔になっていただろう。


 陽花里からメッセージが届いていて、その内容が『本当にごめんなさい』という一言だけ。

 それについての詳細は送られてこない。


「この謝罪に心当たりはないの?」


「……ない。あったら困ってないよ」


「だね。じゃあ本人に直接確認するしかないね」


 俺はこくりと頷いた。

 そんなわけで学校に到着する。靴を履き替え、教室へと向かう。

 心臓がやけにうるさかった。

 一体、なんの謝罪なんだろう……。


 次第に大きくなる不安を抑え込みながら歩き、ついに教室前に到着する。

 ドアを開ける前に一度深呼吸をして落ち着こうとしたんだけど、日比野がなんの躊躇いもなくガラガラと開けた。


 しかたなく日比野のあとに続く。


 と。


 教室の中にいるクラスメイトの視線が俺に集まった。入室者が誰かを確認するいつもの一瞥とは違う、明らかに俺を捉えている視線。


「え、なに」


 その異様な空気感に思わず呟く。

 ぐるりと見渡し、結月と目が合う。彼女はどうしてか、すっと視線を逸らした。


 そのあと、陽花里を見た。

 彼女は深々と頭を下げてきた。


 なんだ?

 俺の知らないところでなにがあったんだ?


「じゃあね、桐島。がんばって」


 ちらと俺を見て、それだけを言った日比野はスタスタと足早に自分の席に向かっていった。

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俺が心肺蘇生をしたことで一命を取り留めた婦人の娘が、クラスで人気の美人双子姉妹だった。 白玉ぜんざい @hu__go

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