第62話 バレンタインデーは勝負の場


 二月上旬。

 バレンタインデーがまもなくに迫り、世間の男子はそわそわとし始める。


 これまでは関係のないイベントだと切り捨てていたというか、諦めていたというか、どうでもよかったんだけど、今年はそういうわけにはいかない。


 貰えるかどうか、というよりはどういうものになるのかって感じだけど。


「この時期から男子は声が大きくなるね」


「そうなの?」


 授業と授業の合間、移動教室からの帰りの延長線で俺は日比野と雑談を交わしていた。


 教室の中にはほとんどのクラスメイトが戻ってきていて、いつものグループ毎に分かれて楽しげにはしゃいでいる。


 そんな景色を俯瞰するように眺める俺と日比野。教室の窓側列にある自分の席に俺は座り、日比野はその前の席に腰掛ける。


「自分の存在を周りに知らしめるためだよ、きっとね。一週間前からアピールを始めても手遅れだろうに」


「そうとも限らなくないか?」


「そりゃね。義理チョコくらいならもらえるかもだけど、欲しいのは本命チョコでしょ? だとしたら日々の積み重ねじゃん」


「確かに」


「桐島はどんなのもらえるんだろうね?」


「分からないんだよな。本命チョコなんて貰ったことないし。ハート型のチョコとかなのかな?」


「本命だからハート型っていうのは安直な考え方だと思うけどね。まあ、男なら誰もが喉から手が出るほど欲しいであろう琴吹姉妹のチョコを、両方からもらえる時点で何であれ勝ち組だよ」


 日比野の視線は自然と友達と楽しげに喋る結月と陽花里の方に向く。俺もそれを追った。


 結月と陽花里は普段は別々のグループにいる。

 結月は女子二人と三人でいるのが基本で、陽花里は男女含めた七人グループにいることが多い。


 結月のほうはいつもと変わらない話題である一方で、男女グループであるが故か陽花里のいるグループではちょうどバレンタインデーの話が繰り広げられているようだった。


「陽花里は誰かにチョコあげるのか?」


 そう言ったのは橘だ。

 以前、陽花里と一緒に帰っていた男子生徒。見かけたあとで陽花里から弁解されたので気にしないようにはしてるけど、それでもやっぱり気になってはしまうものだ。


 陽花里のほうにその気はなくても、橘のほうがどうか分からないからな。

 俺が陽花里と付き合っていると公開していない以上、男の方からのアプローチは考えられる。


 じゃあ公開すればいいだろ、というツッコミが容易に想像できるけど、果たしてそう簡単に公開していいものか。

 最悪の場合、俺が彼女の評価を下げてしまう恐れがあるし、なにより俺の平穏な学生生活が失われる可能性が無限大だ。


「えっと、どうでしょう。家族のような大切な人にはあげると思いますけど」


「クラスの男子には渡さない感じ?」


「どうなんでしょう」


 あはは、と誤魔化す陽花里。

 嘘を付くのが苦手なんだろうけど、中途半端な否定は周りの疑念を促進させるだけだ。


「彼女が責められてるよ。助けにいかないの? そいつのチョコは俺のだぜって」


「俺にそんな度胸あると思う?」


「桐島はいざというときには覚悟決めるタイプだからね。ないとも言い切れないかな」


「結構評価高いんだな、俺って……」


「照れてるね」


「リアクションに困る」



 *



「もうすぐバレンタインデーね」


「そうだね」


 放課後。

 卒祭のミーティングを終え、俺と結月は二人並んで帰宅する。

 陽花里の狙い通り、卒祭実行委員になったこともあり、以前よりも結月や陽花里といることに違和感を抱く生徒は減った。だから、こうして一緒に帰ることも増えた。

 残念なのはその陽花里が部活の手伝いをしているせいで一緒に帰れていないことだろうか。


「私、バレンタインデーにチョコを渡すのって初めてなの」


「そうなの?」


 意外だ。

 一瞬そう思ったけど、本命チョコがって意味かなと思い至る。女子は友チョコなる文化を展開しているらしいし今どきチョコを渡したことのない女子なんていないだろう。


 ……。


 ……うん、いないはず。


「私、あの友達同士でチョコを渡し合う文化ってあまり理解できないのよね」


「友チョコってやつ?」


 聞けば、結月はこくりと頷く。

 顎に手を当て、神妙な顔つきをしていた。

 そんな話をしていると気づけば駅に到着していて、俺たちは改札を抜けホームへ向かう。


 これまでは明るい時間に帰宅することが当たり前だったけれど、日が沈み辺りが暗くなった時間での帰宅にも最近は慣れてきたな。


 景色に違和感がなくなってきている。


「どうして友チョコなんていうものが生まれたのかしら」


「バレンタインっていうのがそもそも企業側の策略なわけだし、本命チョコだけだと結局売上が伸びなかったから新しく作られた文化なんじゃないかな」


「夢もへったくれもないわね」


「俺にそんなの求められても」


 俺だってそっち側の人間なんだし。

 俺と結月は考え方がどこか似ているような気がする。なんか、ちょっと捻くれているというか、歪んでいるところとかが。


「てことは、友チョコも渡したことないのか?」


「いえ、女子は空気を読み合う生き物だから流れには抗えなかったわ」


 渡したは渡したってことか。


「けど、義理チョコはないわよ」


「そ、そうなんだ」


「父を異性にカウントしなければ、だけどね」


 さすがにお父さんには渡していたか。玄馬さん、娘のこと溺愛してるからな。多分、あの人からねだったんだろう。あるいはお母様の根回しか。


「だから、男の人は蒼くんが初めて。嬉しい? こうしてまた、私の初めてを奪えたわけだけど」


「言い方……」


 嬉しい、と表現するべきなのか。

 確かにちょっと安堵したというか、喜びはあったし、これは嬉しいと言ってもいいのか。


「けど、嬉しいよ。うん、嬉しい」


 噛みしめるように俺は言葉を繰り返した。すると結月はふふっと頬を緩ませる。


「楽しみにしててね、絶対に陽花里よりもすごいチョコを用意してみせるから」


「いや、別に勝負とかじゃないんだし」


「いえ、これは勝負よ。彼女として負けられない、女のプライドを懸けた戦いなの!」


 結月の表情は本気のもので。

 それを阻止する言葉を俺は持ち合わせていなかった。


「……ぶっ飛んだ展開だけはやめてくれよ、これ振りとかじゃないから。まじで」



 *



 もうじきバスケ部のヘルプ期間も終わる。


 困っていたみたいだから助けになればと思って引き受けたけど、タイミングが良くなかったなぁ。


 わたし、琴吹陽花里は帰り道に空を仰いで溜息をついた。空気は冷たく、吐いた息は白かった。


 蒼を卒祭の実行委員にしたのは我ながらナイスだったと思う。やや強引ではあったけど、わたしが蒼といても周りが違和感を抱かなくなってきているから、結果オーライだし。


 それが結月にも適用されているのが、ちょっとだけ腑に落ちないけど。


 わたしがこうしてバスケ部の応援をしている間に、結月は蒼と二人で楽しんでいるんだと思うと、溜息も出るよ。


「……どうしよっかなぁ」


 もうすぐバレンタインだ。

 本命チョコなんて初めて渡す。

 きっと結月も何かしら考えているだろうから、負けられない。


 わたしたちは蒼の彼女になった。

 けど、だからといって平等である必要はないよね。


 わたしは間もなくに控えたバレンタインデーのことを考えながら、校門を通って駅へ向かう。


 自然と漏れた鼻歌はバレンタインデーの歌だった。

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