第56話 先輩も甘やかして
図書室から出ようとしたとき。
「ねえ」
金髪ギャル、確か結月が平野さんとか呼んでたっけ。同じ中学だったらしいけど。
耳に装着したイヤホンを外して、相変わらずな不機嫌っぷりで話しかけてきた。
「えと、なにか?」
結月は先に図書室を出ていく。
いつもこの絶妙なタイミングで話しかけてくるんだよな。結月とは関わりたくなかったりするんだろうか。
「さっき、井上って名前聞こえたんだけど」
「え、聞こえてたの?」
そのイヤホンは盗み聞きバレ防止のためのフェイクとかなのだろうか。
「たまたま。タイミングが合っただけ」
「そっすか」
それでも、図書室の隅っこでの会話が受付まで届いていたことにと驚きだ。
会話内容もそうだけど、声のボリュームももう少し気を遣う必要があるかもしれない。
「それで?」
「あ、うん。井上の話はしてたよ。井上、健人だったかな。一緒に卒祭の実行委員をすることになって、どんな人なのか気になってたんだよ」
どういう意図があって話しかけてきたのかは分からないけど、一応軽く説明はしておいた。
平野さんはどちらかというとヤンキーみたいな感じがして、陽キャとは少し異なるかもしれないけど、もしかしたら何か情報が得れるかもと思ったのだ。
が。
「ふーん」
だけだった。
平野さんは興味なさげに呟き、そのまま視線をスマホに戻す。なんで話しかけてきたんだよ。
ていうか、これもう行っていいのかな。話は終わったっぽいよな。一声かけて立ち去るか、結月も待たせてるし。
「えっと、じゃあそういうことで」
「ねえ」
なんなんだよ。
俺は心の中で悪態をつきながら彼女を振り返る。顔はうつむき、スマホに落としたまま、視線だけを俺に向けてきた。
「井上ってあんまり良い噂聞かないから気をつけたほうがいいよ」
「というと?」
「さあ」
曖昧な情報源だなあ。
信憑性のない話ではあるけれど、一応頭の中に入れてはおくか。
平野さんはそれ以上のことを言ってくる様子が、今度こそなかったので俺は「じゃあ、失礼しゃす」と言って図書室を出た。
前で待っていた結月は少し不服そうな顔だった。
「遅かったわね」
「ああ、ちょっと」
「平野さんと何か話していたのかしら?」
「井上のことについて、軽く」
ふーん、と言うだけの結月。
ここまでの不満を抱くのであれば、会話の途中で割り込んできたりしそうなものだけど。
あんまり得意じゃないのかな。
タイプは違うっぽいし納得はできるな。
「まあいいわ。帰りましょう」
「あ、はい」
スタスタと歩き始める結月の二歩後ろをついていく俺。なんというか、不機嫌にさせてしまった手前、隣を歩くのが申し訳ない……というか、怖い。
昇降口で靴を履き替え、校門から出て駅に向かう。図書室で時間を潰したおかげか、この中途半端な時間帯に帰路を歩く生徒はいなかった。
「あのさ」
「なに?」
ちら、と後ろを振り返る結月。
俺はどうしようかと舌の上でまとまらない言葉を転がした。
「平野さんとは同じ中学だったんだよな?」
「そうよ」
「その、なんかあった?」
結月の雰囲気がどうにもピリピリしているように思え、尋ねてみることにした。
周りに興味のなかった以前の俺ならば、こんな些細なことにも気づかなかったかもしれない。
「別になにも。ただ同じ中学で、ただ同じクラスで、ただ彼女が私を良く思っていないというだけ」
顔を伏せ、結月は立ち止まる。
なので何となく俺も立ち止まった。
すると、「そんなことより」と、結月はくるりとこちらを向く。
「せっかく二人で帰ってるのだから楽しい話をしましょう。あるいは、えっちな話をしましょう」
にこり、と笑う。
彼女なりの冗談だろうか。いや、違うな目がまじだ。
俺とて、さっきのような雰囲気は好きじゃない。せっかく一緒にいるのならば、楽しい時間を過ごしたいと思う。
聞かない方がいいことなんて、この世にはごまんとある。聞くべきでないことだって。
言いたくないこともあるだろうし、言わせるべきではないことだってあるだろう。
「じゃあ、今度のデートの話をしようか」
「え、まさかのえっちな話題のチョイス!?」
「どう考えても前者だろ!」
はっとしたような顔をする結月。
どうしてそうなるんだ、と思いながらのツッコミに、本気か冗談か分からないような顔の結月が続く。
「だって、デートの日の夜にどうやってえっちな雰囲気に持っていくかの相談でしょ?」
「仮にその相談をすることがあった として、本人にしたら意味分からんだろ」
「手っ取り早くない?」
それはもはや相談ではなく、宣言である。
「私はいつでもオッケーよ。蒼くんの覚悟が決まれば、声をかけてちょうだいね?」
俺をからかうように笑う結月に言葉を詰まらせてしまう。
こいつめ、自分でなにを言ってるか分かってるのか?
俺がその気になれば……。
いやいや、恋愛には順序というものがあるのだからして。まだ付き合って一ヶ月も経っていない俺たちが、そういうステップを踏むのは早すぎる。
うん。
まだ早いな。
まだまだ早い。
*
「ふう」
結月と分かれたあと、バイトに励むべく出勤した俺はいつものように仕事をこなす。
夕方五時から夜の九時までの業務を終え、帰る前に一息つこうと休憩室でカフェオレを飲んでいると、疲れたような溜息をつきながら、先輩である伊地知詩織さんが入ってくる。
「ふぅー、つかれたぁー」
ふらふらと入ってきた先輩は俺の隣に座り、そのまま机に突っ伏す。この人、パーソナルスペース狭いんだよなあ。
なんの躊躇いもなく隣に座ってくるし、それにしても距離が近いし。
「後輩くんはもう終わり?」
「はい。あとは帰るだけです」
「いいなぁー。まだコキ使われる私を置いて帰るの?」
「しお先輩より早く仕事始めてますんで」
俺がぴしゃりと言うと、先輩は「そんなこと言わないでよぉー」と相変わらず間の抜けたふわふわした声を漏らす。
「今は休憩ですか?」
「そう思う?」
「いや」
この人、堂々とサボるからな。
しかもそのサボりを店長が容認しているのがたち悪い。可愛い女の子に甘いんだよ。
「せいかーい」
「サボりか」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。サボりなんかじゃないってば」
「じゃあなんですか?」
「シエスタ?」
「ほぼ意味一緒だろ」
しお先輩はくすくすと笑う。
バイトを始めてしばらく経つが、随分と慣れたものだと思う。仕事もそうだけど、こういう人付き合いは特に。
これまではできる限り不要な人と関わることを避けていたけど、バイトを始めるとそうもいかない。
いろんな人がいる場所で、そういう人たちと関わらなければならないのだ。
一つのコミュニティの中にいろんな人と一緒にいる、という点では学校と同じだけど、そこが大きく違う。
いろいろと学ぶことは多い。
「なにか話して?」
「休むのでは?」
「私に取っては後輩くんとお話することが心のリフレッシュに繋がるんだよぉ」
こういうこと平気で言ってくるんだから、怖いよなあ。これ結月や陽花里がいなかったら普通に勘違いさせられるぞ。
まあ、二人がいなければそもそもアルバイトを始めていなかっただろうから、しお先輩に会うこともなかったんだけど。
そう考えると、世の中のいろんなことって繋がってるんだなと思う。
「今度、彼女とデートするんですけど」
「お、惚気かぁ?」
「相談です」
先輩にはクリスマスの一件から、彼女ができたところまでは話している。こんな感じなのに、相談相手にはもってこいなのだ。
有意義なアドバイスが返ってくるというのもあるけど、なんというかこの人って不思議と話しやすいんだよな。
「付き合って初めてのデートなんですけど、どういうところに行くのがいいと思います?」
「んー? その子のタイプによるだろうけど、あんまりあっちこっちに行ったりせず、余裕のあるスケジュールでゆっくり過ごすのがいいんじゃない?」
机にぐでっと倒れながらしお先輩がつらつらと喋る。
「どうしてですか?」
「初デートは楽しかったっていう思い出だけがあってほしいんだよねぇ。疲れた、みたいなのはごめんなのだよ」
「なるほど」
いろんなところに行けばそれだけ思い出は積めるけれど、それだと時間的な余裕はなくなるし、どうしても疲れてしまう。
それを避けたい、ということか。
しお先輩らしい答えだなと思った。
「それにさ、最初なんだし気張らずにのんびり、お互いのことを知りたいでしょ?」
「……なるほど」
初デートだし、気合いを入れて遠くへ出掛けた方がいいのかなとか考えていた。
けど、そうだな。
これからまだまだ時間はあるわけだし、無理せずありのままで挑むのも悪くないのかもしれない。
それが正しいのかは分からないけれど、この人は不思議とそう思わせてくれる。
「どう? お姉さんのアドバイスは参考になったかなぁ?」
にま、と笑いしお先輩は俺に上目遣いを向けてくる。俺より歳上なのに、無邪気な顔が可愛くて、思わず視線を逸らす。
「はい。助かりました」
言えば、彼女はふふんと得意げに笑う。
「そういうことなので、あと一時間頑張ろうか?」
「それとこれとは話が別なので失礼します」
「あぁ、後輩くん待ってよぉ! 彼女ができても、私にも優しくしてよぉ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます