第48話 正誤の秤


 ただならぬ雰囲気に俺は言葉を詰まらせる。


 連絡をした時点で様子がいつもと違うことはなんとなく察していたけれど、想像よりもどんよりしていた。


 それでも髪を整えて、服もしっかりおしゃれなものを選んでいるところは、さすが女の子って感じがする。


 結月はいつものようにロングスカートにブラウス。その上からコートを着てマフラーを巻いている。

 陽花里はショートパンツにタイツ、ハイネックセーターの上にもこもこの上着を羽織っていた。


 結月は長い髪を二つ括りにして下ろしていて、いつもよりも大人びた雰囲気を感じさせた。

 陽花里も毛先がうねうねとねじれている。パーマっていうんだろうか。ウェーブがかっていて可愛らしい。


 少し会っていなかっただけだというのに、二人と会うのが懐かしく思えて、自然と心が跳ねてしまう。


 それくらい、俺の気持ちは彼女らに毒されていたらしい。


「わざわざ呼び出してごめん。ちょっと話がしたくてさ」


 努めて明るく振るまう。


「……もう大丈夫なの?」


 そんな俺とは裏腹に、結月は不安げな声を漏らす。いつもクールな表情を見せる彼女だが、今日はそんな雰囲気はなかった。


 なにを問われているのかは訊くまでもない。


「ああ、うん。この通り。心配かけてごめん」


 俺は手を広げてもう大丈夫だとアピールする。それを見た二人は一瞬、表情をゆるめたものの、すぐに暗くなってしまう。


 そして、ちらと結月と陽花里は目を合わせて、再び俺の方を向いた。真剣な眼差しにこちらもつい構えてしまう。


「ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」


 見事に重なった声。

 俺は再び言葉を詰まらせてしまった。


 なんて声をかければいいのか分からないのだ。


 二人が謝る必要なんてないよ、とでも言えばいいのか?

 俺としてはその通りなんだけど。ただ自分の気持ちに従って動いただけであって、二人のせいだなんて微塵も思っていない。


 けど、それはあくまでもこちらの視点での話なんだよな。


「私たちを助けようとして、蒼くんは大怪我をしてしまったわ。どうやってこの責任を取ればいいのか分からなかった」


「合わせる顔がなかったんです。わたしたちのせいで蒼が怪我をして、どんな顔でどんな言葉をかけたらいいのか……」


 やっぱり責任を感じていたのか。

 ふう、と俺は息を吐いた。


「謝るのは俺の方だよ」


 あれやこれやと考えたところで、経験の乏しい俺が正解に辿りつけるはずがないじゃないか。


 だったら。


 せめて、取り繕った偽りの言葉ではなくて、本当の気持ちを言葉にするべきだ。


 それがきっと、誠実であることに繋がるはず。


「二人に心配をかけたから。結月と陽花里が自分を責めるきっかけを作ったのは俺だよ」


「ち、違いますよ! あれは蒼のせいなんかじゃないです! あれは……」


「二人のせいでもないだろ」


 雪のせいで地面が滑りやすくなっていた。周りを見ずに騒いでいた男たちは良くなかったけど、結月と陽花里に責任はない。


 二人が責任を感じるのなら、俺にだって責任がある。


「大事に至らなかったから言えることかもしれないけど、俺は二人を助けて怪我したことを後悔してないよ。むしろ、あの場で動けなくて目の前で二人が大怪我をした方が後悔しただろうな」


 俺が考えたこの気持ち、二人はそれを抱いているのだろう。誰に何を言われてもその自責の念は払拭できないのかもしれない。


 自分自身が納得できない限り。


 じゃあ、どうすれば彼女たちは自分を許せるんだろう。


「俺の親父はさ、子どもを庇って車とぶつかって命を落としたんだよ」


 俺がそう言うと、結月と陽花里は俯いていた顔を上げる。縋るような瞳はゆらゆらと揺れていて、不安げな表情をしていた。


「なにやってるんだよって思った。家族を残して一人で死んでいくなんてどうかしてるって。そんな親父のことを母さんは、理屈じゃなくて本能で体が動いちゃうんだって言ってた。反射行動だとか言われても、正直納得できてなかったよ」


 俺は空を見上げた。

 そこに父さんはいないけれど。

 まるでそこに父さんがいるように。


 ゆったりと動く雲のもっと先を見つめた。


 ちらと二人を見ると、話の意図が汲み取れず戸惑いの表情を浮かべていた。


「けど、クリスマスに二人を助けたとき、初めて親父の言葉の意味が分かった気がしたんだよ」


 顔の向きを二人に戻す。

 暖房も効いていない場所で、激しい運動をしているわけでもないので本来ならば寒さにやられて体が震えたりするもんだろうけど、不思議とそうはならなかった。


 慣れないことをしているせいか、むしろ暑ささえ覚えるほどだ。


「分かったっていうのは?」


 そう口にしたのは結月だった。

 陽花里は何も言わず、ただ結月の問いを受けた俺の言葉を待っていた。


「理屈じゃないっていうのはこういうことなんだなって」


 ふう、と息を吐く。

 白く色づいた息はすぐに空気と馴染んで消えていく。


 伝えよう。


 そうすることで彼女たちの心を楽にできるかは分からないけれど、俺にできるのはそれくらいしかないから。


「俺は親父みたいに正義感が強いわけじゃない。だから、見ず知らずの人に命をかけれるとは思えないし、よっぽど大切な人じゃないとあそこまではできなかったと思う」


 一拍置いて、二人は微かに目を丸くした。

 

「蒼くん……」

「それって」


 二人の頬が朱色に染まった気がした。

 寒さのせいじゃないだろう。

 いや、もしかしたらそうかもしれないけど、そうではないと思いたい。


「命をかけてでも守りたいって思ったんだよ。それくらい、いつの間にか俺は二人のことが好きになってた」


 二人は驚き、顔を見合わせ、そして再び俺の方に視線を戻す。

 陽花里の揺れる瞳からは次第に涙がこぼれ落ちた。結月も同じような顔になっている。


「いつだったか、二人が俺のことを好きだと言ってくれた。これがあのときの答えだ」


 俺の気持ちは伝えた。


 問題はここからのような気がするけれど。


 なにせ俺の選ぼうとしている道は……。

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