第46話 芽生えていた気持ち
目を覚まして、数日間様子見として病院に残り、俺が退院した頃にはもう年は明けていた。
まさか自分の人生、病院で年越しをするようなことがあるとは思わなんだ。
冬休みの終了までもう一週間もないというのに、俺の前にはどっさりと宿題が残っていて家に帰るなり盛大な溜息が漏れた。
「……これ、終わるかな」
「終わるかどうかじゃなくて、やらなくちゃいけないんだよ。冬休みの宿題っていうのはね」
リビングで項垂れる俺に、キッチンでカチャカチャとお皿を洗う朱夏が言ってくる。
「それはそうなんだけども」
皿を洗い終えたのか、水を止めた朱夏が手を拭きながらリビングへとやってくる。
入院中は過去に類を見ない優しさを見せてくれていた朱夏だったけど、退院するといつも通りに戻ってしまった。
「それに」
「ん?」
「冬休みの宿題のほかにも、お兄ちゃんはやらなくちゃいけないことあるでしょ?」
「……ああ、まあ」
*
現実逃避をするように外に出た俺は当て所なく歩きながら、やらなければならないことについて考える。
『ほんとに心配したんだからね。お母さんなんてもう取り乱して大変だったんだから』
容体も良くなって入院生活にも暇を感じ始めた頃、お見舞いにやってきた朱夏とそんな話をした。
『悪かったよ』
『お父さんのことがあるのに車道に飛び込むなんて、家族泣かせにも程があるね』
そう言った朱夏はどこかおかしそうで、けれど嬉しさというか喜びというか、そういうものが滲み出ているように見えた。
『……ごめん』
『まあ、いいけどさ。結月さんや陽花里さんの為だったんなら、納得だし』
『それ誰から聞いた?』
『詳細は聞いてないよ。ただ、あの二人の取り乱し方と落ち込み方を見てれば、ああお兄ちゃんはこの二人のために動いたんだなっていうのはお察しだった』
『……そうなんだ』
俺が気を失っていたときのことは俺には分からない。果たして、どんな取り乱し方をしていたのだろうか。
そういえば母親が倒れたときにも、結月と陽花里は随分と取り乱していたっけか。
『元気になったら、ちゃんとフォローしてあげるんだよ』
『分かってるよ』
退院してから二人とはまだ会っていない。というか、目を覚ましてから顔を合わせてすらいない。
一応、元気になったという連絡はしておいたんだけど返事があったきり、これといって音沙汰もない。
なので、俺は『今日会えないかな』という内容で二人に連絡を入れる。三人のグループを作ったのでもうどちらに送るか悩む必要はなくなった。これは実は二人とやり取りをする上でめちゃくちゃ助かっている。
さすがにすぐに既読がついたりはしないだろう。しばし、散歩の時間としようじゃないか。
冬真っ只中ということで気温は低く、息を吐けば白く色づく。
厚着をしているので寒さは感じず、むしろ段々と体が温まっている。けど脱ぐと寒いんだよな、これ。
家から少し離れたところにある大きな公園の中を通り抜けようとしたけれど、何となく気が向いたので自販機でホットカフェオレを買ってベンチに腰を下ろす。
こんな寒空の下でも元気に走り回る子供の姿を見て感心してしまう。今どきの子どもは家でテレビゲームに熱中する人が増えたのか、こういう光景は見なくなっていた。
俺も朱夏に連れられてよく遊ばされたもんだよ。
朱夏は遊び出すと止まらず、コミュ力があるからそこら辺にいる人たちとすぐに仲良くなり、じゃあ俺はいらないかと帰ろうとするとめちゃくちゃ怒る面倒な妹だった。
それも今となっては良い思い出なんだろうけど。
ふう、とカフェオレを飲みながら、子どもの頃を思い出しているとスマホが震えた。
手袋を外してスマホをいじる。
さっき送ったメッセージに対しての返事だった。結月から『分かったわ』とあり、そのあとすぐに陽花里からも『大丈夫です』という内容が送られてきた。
どうやら今は家にいるらしく、となるときっとあっちは出掛ける準備もあるだろうということで、俺が向こうの最寄り駅へ向かうことにした。
確か琴吹家の近くに公園があったはずだし、そこでいいだろう。寒いからお店に入るのもありかもしれないけど、周りに人がいると気を遣うし、それに長時間にはならないだろうから。
二人からは自分たちが行くと言われたけど、確実にもう外に出ている俺が向かった方が早いと言うと納得してくれた。
そんなわけで俺は駅へと向かう。
歩いて十分もかからず、タイミングよくホームに到着したのと同時に電車がやってきた。
ちらほらと席は空いていたけど、どうせ数駅なので俺は開かない方の扉にもたれかかり、小さな窓から外を見た。
背の高い建物がずらりと並ぶ。
下を見れば厚着をした人たちがまちまちと歩いていた。そういえば、二人と知り合うきっかけになったあの一件も、あの辺で起こってたんだっけ。
結月と陽花里。
俺みたいな人間が、まさか彼女たちのような可愛くて人気のある女の子と仲良くなれるとは思いもしなかった。
目の前で人が倒れれば、そりゃ誰であろうと助けようとする。その結果、助けた人の娘が二人だっただけで、もともとそんなつもりはなかった。
けど。
お礼がしたいっていうところなら始まって、なんだかんだと関わるようになって、最初はちょっと避けていた俺だけど、いつの間にかその考えすら彼女たちによって変えられていた。
いつしか、俺の日常に結月と陽花里がいることは当たり前になっていた。
ちょっと前まではほとんど一人だったのにな。
電車がホームに到着する。
空いたと扉から出る人は他におらず、俺だけが電車から降りる。
別に意味はないけど、なんとなく出発する電車を見送ってから、他に誰もいないホームで小さく息を吐いた。
白い息が風に吹かれて消えていく。
「……」
そんな様子を見上げながら、俺はもう一度ゆっくりと息を吐いた。
「そっか」
俺は二人のことが好きなんだ。
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