第33話 ただそれだけの理由


 十二月になると気温はさらに下がり、よりいっそう寒さを肌で感じるようになった。


 吐いた息が白く色づくのを見ると、ああもう冬なんだなと実感するのはきっと俺だけではないはずだ。


 クリスマスには結月と陽花里、三人で出掛けることが決まってから少し経つ。

 二人の間でどういう話があったのかは教えてくれなくて、ただその結論だけを伝えられた。


 それは決定事項らしく、俺の二部制の提案は却下されてしまう。一気に二人を相手にするのは俺のような恋愛初心者にはまだ早いと思うんですよ。


 しかし抵抗虚しくその予定は変わらないまま、刻々と時間だけが過ぎていき、着々とイベントが近づいていた。


 さすがに予定変更は無理だと悟り、俺は作戦を変更することにした。三人で出掛けるということを受け入れ、いかにその一日を上手く乗り切るかを考えるようにする。


「なんだって?」


 昼休み。

 相変わらず俺と日比野は向かい合いながら昼飯を食べる。最近では俺と日比野が一緒にいすぎて付き合っている疑惑が浮上しているらしい。陽花里が言っていた。


 どうやらクラスの女子は恋バナなら誰のものでも盛り上がれるらしい。


「女心が知りたい」


 レタスをむしゃむしゃと頬張りながら、日比野は俺の言葉に盛大な溜息をこぼす。


「寒すぎて頭がおかしくなったの? 私は桐島の心が知りたいよ」


「冗談言ってる場合じゃないぞ」


「一文字足りとも冗談は言ってないけどね。それで、どうして急にそんなこと言い出すわけ?」


 呆れたように吐き捨てた日比野がさらっと話題をもとに戻す。


「話したろ。クリスマスの」


「ああ。桐島の二股デート」


 感情の乗ってない声で日比野が言う。

 

「人聞きの悪い言い方するな。まだ付き合ってるわけじゃないから二股じゃない」


「だといいね」


「可哀想な奴を見るような目を向けるのやめて」


 なんか俺が間違ってるみたいじゃないか。え、間違ってないよな? 二股って二人の異性と付き合うことだよな?


「女心なんてのは幻想だよ。人それぞれ好みが違うんだから、マニュアルなんてないの」


「元も子もないこと言うなよ。そうは言ってもなんかあるだろ? 例えば、その、なんだ、なんかあるだろ?」


 何も出てこなかった。

 俺の雑なパスに日比野は面倒くさそうな溜息を漏らした。


「合流したら相手を褒めること。歩幅は必ず合わせること。スケジュールには余裕を持つこと。この三つを守っていればいいと思うよ」


「そういうのだよ。もっとないの?」


「ないよ。そもそも桐島は聞く相手を間違えてる」


 ぱくりとブロッコリーを口にしながら日比野は淡々と言う。


「日比野だって女の子だろ」


「それはそうだけど、なんか言い方が気持ち悪いな。私は男にときめいたりしないから」


「一度もないのか?」


「ないよ」


 即答だった。

 そこまで言うならこれ以上訊いても仕方ないな。俺はたまご焼きを食べながらそう思う。


「私が強いてアドバイスをするとするなら、桐島は女心を知るよりも先に、琴吹姉妹のことをもっと知ったほうがいいよってところかな」



 *



 これからお金が必要になるだろうということでアルバイトを始めるプロジェクトを始動させた俺は、いろんな人の話を聞いて(といっても話を聞ける人は限られていたが)二週間前、ついにアルバイトを始めた。


 いろいろと考えた結果、地元のカラオケ『ビッグカラオケ』で働くことにした。


 選んだ理由としては、時給がそこそこ良く、家からそこまで遠くもなく、駅からもわりと近くて、一度見に来た感じ環境も悪くなさそうだったからと、至極普通の理由だ。


 放課後は学校終わりの生徒で混雑するのかと思っていたけど意外とそうではなく、休日も想像よりは混まない、かといってめちゃくちゃ暇なわけでもないちょうどいい職場環境である。


 どちらかというと年配の方が多い気がする。学生はもっと他のところに行くのだろう。


「暇だねえ」


 客足が落ち着いたところでバックヤードに戻ると、ぐでっと溶けたようなだらけ具合の先輩がそんなことを言った。


 リラックスする、というのはこういうことを言うんだなというレベルの力の抜き具合も二週間経つと見慣れてくる。


 彼女の名前は伊地知詩織。

 藍色の長い髪と抜けた感じの雰囲気、そして何よりも大きな胸元が特徴の先輩である。


「またサボりですか?」


 机に突っ伏すようにしてだらけていた先輩は視線をこちらに向ける。

 彼女は二十歳の大学生だ。歳上なのに、顔立ちにはまだ幼さが残っていて、可愛らしい顔に上目遣いを向けられるとドキッとする。


「サボりじゃないよ。ちょっと休憩してるだけ」


「伊地知先輩の休憩時間もう終わってるでしょ」


 休憩時間外の休憩を世間ではサボりというのではないだろうか、などと思いながらの俺の指摘を受けた先輩はむうっとした顔をした。


「あぁ、また伊地知先輩って呼んだ。何度も言ってるけど、私のことは親しみを込めてしおちゃんって呼びなさいって言ってるでしょ? 伊地知は可愛くないんだよぅ」


「何度も言ってますけど、女性の……しかも歳上の人をしおちゃんなんて呼べませんって」


「それにしても伊地知は可愛くないよぉ」


「せめて詩織先輩とかで勘弁してください」


 最近は結月や陽花里を名前で呼ぶようになったから、異性を名前で呼ぶことには多少の耐性はできた。


 しかし。


「ん〜、じゃあ間を取ってしお先輩にしよっか。それならお互い納得できるよね?」


 あだ名で呼ぶことにも照れてるんだけどな。いや、まあちゃん付けじゃなくなっただけマシだけど。


 俺が名前と先輩呼びで折れたのに、わざわざ改めて提案してくるところ、きっとあだ名呼びには強いこだわりがあるのだろう。


 折れる気配ないし、ここはこれで納得しておくのが得策か。


「分かりました。じゃあそれで」


「おぉ、理解の早い後輩を持って私は幸せだよ」


 ここで長居すると俺までサボっていると思われるので、この辺で退散するとしよう。

 部屋から出ようとしたところで、俺は彼女を振り返り、最後に気になったことを質問することにした。


「なんであだ名呼びにこだわるんですか?」


 訊くと、しお先輩は「ん〜?」と俺の方を向く。にんまりと笑ったその顔は男を惑わす小悪魔のようだ。


「それはねぇ、その方が可愛いからだよぉ」


「……へえ」

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