第25話 始まりの一歩
わたしと結月はよく似ていた。
近所のおばちゃんはいつまでも見分けがつかなかったみたいだし、小学校のクラスメイトもよく間違えていたから。
容姿は似ているわたしたちだったけど、性格や考え方は意外と違っていて、小学生のときからうっすらと見え始めていた変化が、中学生になったには顕著に現れ始めた。
具体的に一つ挙げると、わたしは運動系の部活に入って、結月は文化系の部活に入部した。
だから生活に大きな変化があったかというわけではないのだけれど。
姉妹仲は良かったし、学校での立ち位置も別に変わらない。
ただわたしは運動をするのに邪魔だと感じて長い髪を切って、結月は本を読みすぎたせいか視力が悪くなった。
そういう些細な変化が始まりで、これまで同じ道を同じスピードで歩いていたわたしたち姉妹の行く道は少しずつズレていった。
だからこそ、以前より結月のことを意識するようになった。多分、結月もわたしのことを意識していたと思う。
わたしはどちらかというと負けず嫌いで、何でも、誰にも負けたくないという気持ちはあって。
でも、中でも結月には負けたくないという気持ちが一番強く心の中にあった。
*
隣の芝生は青い、なんて言葉があるけれど、つまりどういうことかというと人間というのはどこまでも欲張りだということだ。
私はあれもこれも全部欲しい。
一つだって取りこぼしたくない。
お洋服も。
ぬいぐるみも。
両親の愛も。
勝利も。
大好きな人の心だって。
全部ぜんぶ、私は手に入れたい。
その為ならば何だってするつもりだ。
小学生のとき、自分で言うのもなんだけれど私は何でもできた。何をお願いされても卒なく熟していたし、それが確かな自信に繋がっていた。
私に取って、勝利というものは常に手のひらの中にあったのだ。
違和感を覚えたのは小学五年生の運動会。それまではかけっこでも負けることがなかった私は、初めて一位の座を譲ることとなった。
それも、私に敗北の味を教えたのはあろうことか陽花里だったのだ。
『やったぁ! はじめてゆづきにかったぁ!』
無邪気に笑い、ぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶ陽花里の姿は今でも忘れない。
中学生になると、陽花里はバスケ部に入部した。かけっこで私に勝った頃から運動能力が上がっていったからその選択は極々自然なものだった。
逆に、私は自分が運動に不向きだと感じたこともあって文化系の部活を選んだ。
陽花里は運動が得意だったけれど勉強はからきしで、逆に私は運動が得意じゃなかったけれど勉強は頑張った。
これまでずっと隣にいたからこそ。
これからもずっと隣にいるからこそ。
陽花里には負けたくなかった。
高校生になった今でも姉妹仲は良好だ。これまで以上に仲良くなったと言ってもいい。
それでも、私の中にはその気持ちが静かに眠っていた。
得意な分野も好きな食べ物も、趣味も好みも、結構違うというのにどういうわけか男の趣味は一緒だったらしい。
この世界の恋愛において、勝者は常に一人。
かけっこで負けるのは悔しい。
でも、大好きな人を誰かに奪われるのは悔しいどころでは済まない。
だから。
この勝負だけは絶対に負けたくない。
*
「……疲れた」
琴吹家での会合を終えた俺は駅までの道を歩いていた。桐島家と琴吹家は自転車で行き来できる程度の距離ではあったけれど、徒歩となるとさすがに厳しく、俺は電車で帰ることにした。駅数にして二駅。それを徒歩でとなると少し骨が折れる。
結月と陽花里が自転車で送ると言ってくれたけど、ちょっと考え事もしたかったしシンプルに悪いとも思ったから遠慮した。
『またいつでも来給え。琴吹家は君を歓迎するよ』
玄馬さんは最後にそう言ってくれた。歓迎してくれるのは有り難いけど、やっぱり疲れるのでできれば避けたいところだ。
とはいえ、その気持ち自体は嬉しいので、機会があればまたお邪魔するのも悪くないのかもしれないが。
俺は菓子折りの入った紙袋を手にしながら帰路につく。もともとこれは渡すつもりだったらしい。中身はバウムクーヘンだと言っていた。包装から察するに多分いいところのお菓子だと思う。知らんけど。
これを準備した上で、さらに何かしようとしてくるのだから本当に義理堅い人だ。
「……」
俺はスマホをポケットから出して朱夏に電話をかける。結構あっちこっちに忙しい奴だから電話に出ないことも多いんだけど。
『もしもーし?』
声だけ聞けば天使のようなソプラノボイスの朱夏が一コール目で通話に応じた。
これは自室で寝転がりながらスマホでネットサーフィンやらユーチューブやらで時間を潰しているときに見られるものだ。
「いま大丈夫か?」
一応確認しておく。
『んー。部屋でユーチューブ観てただけだから。お兄ちゃんから電話してくるとは珍しいね。なに、アイスでも買ってくる気になったからリクエスト受け付ける感じ?』
「違う」
俺が即答すると朱夏は『なぁんだぁー』と口にするけどそこに悔しそうとか悲しそうみたいな感情は乗っていなかった。
『それじゃあなに?』
「あー、その」
なんと言ったものか。
朱夏には今日、結月と会うことしか言ってなかったっけ。結月と陽花里の二人から云々の事情は伏せつつ、親御さんからお礼を貰ったことは伝えたいんだけど。
「今日、女の子と会うみたいな話したろ?」
『したね。デートの真っ只中に妹に電話してくるとか、どんだけシスコンなお兄ちゃんなんだろ』
「いや、実はデートじゃなくて本当は彼女の家にお呼ばれしたんだよ。朝は何か恥ずかしくて言えなかったんだけど」
『え、結婚の報告的な!?』
「話が飛びすぎだ!」
ツッコむと朱夏は電話の向こうでケタケタと笑う。朝に言わなかったことについて何か思っている様子もない。
『それで?』
ひとしきり笑った朱夏は呼吸を整えて話を戻す。
「この前のお礼がしたいってことで呼ばれて」
『彼女さんのお母さんのことだよね?』
「ああ」
彼女じゃないよという訂正は面倒だからもうやめておこう。どうせ朱夏も本気じゃないだろうし。本気じゃないよな?
『お礼なんていいのにね。律儀だね』
「あっち側としてはそれだけ感謝してるってことなんだろ。別に大丈夫とは言ったんだけどな、それじゃあっちも納得いかなくて、とりあえず今日は菓子折り渡されたよ」
『あ、そうなんだ』
「バウムクーヘン好きだったっけ?」
『好きだよ、好き好き大好き。あたしくらいバウムクーヘン好きな人はそうそういないね。誰もが知る常識だよ』
テンション高めにそんなことを言うところ、本当にバウムクーヘンは好きらしい。
「俺、知らなかったけど?」
『お兄ちゃん、あたしのこと知らなすぎ』
そんなつもりはないんだけどな。
「そういうわけだからバウムクーヘン持って帰るわ」
『おけ。牛乳準備して待ってるね♪』
上機嫌に言って朱夏は通話を終える。
俺が人助けをしようと考えているのは父の影響が大きい。つまり、朱夏も俺と同じような教えを受けているわけだ。
朱夏は父さんのことが好きだっただけに、もしかしたら誰かのために何かをしたいという気持ちは俺よりも強いかもしれない。
朱夏と二人で誰かを助けるということがこれまでになかったし、一人で助けたことをわざわざ言ったりしないので、実際に朱夏がどれくらいのことをしているのかは分からない。
けど、お礼の話をしてすぐにいらないのにという言葉が出てくるところ、朱夏も俺と同じような考えなんだろうな。
ふう、と息を吐いて俺は空を仰いだ。
時間はまだ昼過ぎなので空は明るいし周りには人もいる。車の通りは多く、前を通りがかった公園からは楽しげな子どもの声が聞こえた。
駅までの道を歩きながら、俺は考えを少し整理する。
結月と陽花里は俺に対して好意的だ。どれほど本気なのかは分からないけれど、俺には彼女らが冗談半分だとは思えない。
俺の中にまだ、確たる答えがないから曖昧なままにしているけれど、その答えが明確になったとき、俺は彼女らのうち、どちらか一方を選ばなければならないと考えていた。
しかし。
玄馬さんはそんな俺に真面目すぎるという言葉をかけてきた。日比野も似たようなことを言っていたけれど、どちらか一方を選ぶのではなくどちらも選ぶ――つまり、一人を選ばないという道を俺に示した。
その道を示すに当たっていろんなことを言っていた。その中には納得できることや、やっぱり腑に落ちないものもあった。
でも、そういう考え方もあるのかと思うだけで少しだけ気持ちが楽になったし、二人との付き合い方ももう少し改めようと思えた。
その反面、そんな答えで本当にいいのかという気持ちも全然残っていて、結局のところ何も進展してはいないんだけど。
選択肢が増えただけでも、今回琴吹家を訪れた意味はあったのかもしれない。
ヴヴヴ。
スマホが震えた。
振動のタイプ的にメッセージを受信したものだと予想できる。だいたい朱夏か公式からのお知らせなのだけれど、前者の場合返信に時間がかかると面倒な絡みをされるのでさっさと内容を確認してしまおう。
「あれ」
メッセージの主は朱夏ではなかったし、公式からのお知らせでもなかった。ならば誰だという話なんだけど、最近見るようになったトップ画につい笑みを浮かべる。
友達と三人で楽しげに笑う女の子。
メッセージ主はその三人のうち真ん中に挟まれているブラウンの髪の子。
つまり琴吹陽花里だった。
『今日は我が家に足を運んでくださりありがとうございます! お父さんも喜んでました(^^)わたしも喜んでました!』
ただの文章なのにそこから元気が漏れ出ているような気がした。俺はそれに短く返事をする。
送った瞬間に既読がついて、すぐにまたメッセージが返ってきた。
『次はまた二人で会ってくださいね』
短い文章に込められた想いまで伝わってくる。これからはもっと彼女たちのことを知っていこうと決めたので、もちろんそれに肯定的な返事をした。
駅に到着し改札を抜けてホームへ辿り着いたところで、またしてもスマホが震えた。今日はよく動くなこいつ。
『今日はありがとう。約束通り、蒼くんの言うことを何でも聞いてあげるからちゃんと考えておいてね。私はどんなお願いであっても受け容れる所存よ』
結月だった。
そういえばそんなことを言っていたような気がする。別にそれを期待して家を訪ねたわけじゃないからご丁寧に実行しなくてもいいのに。
俺が返事の内容に悩んでいると、続けて結月からのメッセージが届いた。
『次に二人で会うときまでに考えておいてね。楽しみにしてるから』
俺は文章を打っていた手を止めた。いや、止まったと言ったほうが正しいか。これになんて返したらいいのか分からなくなったのだ。
なので、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちで俺は短く打って彼女に送る。
『了解』
と。
きっとその頃には、こんな話も忘れているに違いないさ。
*
『了解』
蒼くんからの返事を目にして、私は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。これは緊張からか、興奮からか、それとも他の何かなのか。
「……何をお願いしてくるのかしら」
蒼くんが何を言ってくるのか。
それを考えると、どきどきが止まらなかった。
とりあえずはこの興奮を収めないと。
そう思い、私はスマホと一緒に今感じている幸せをぎゅっと両手で握りしめ、そのままベッドに倒れ込んだ。
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