第22話 爆弾投下


 少し広めの玄関にはアーティスティックな絵が飾られていた。アートというものはよく分からないけど、多分お高いものなんだろうな。


 靴を脱ぎ、用意されていたスリッパを履く。廊下は横に広がっており、右の方を見ると部屋が幾つかあった。


「こっちですよー」


 左側へ進んだ陽花里が俺を誘導してくれる。俺はそれに続き、結月も隣を歩く。


 人の家のにおいがする。

 嫌というわけではないんだけど、どこか落ち着かない独得のにおい。ここに住んでいる人は違和感を覚えないんだよな。


 左側に進むとすぐに扉がある。そこを陽花里が開くと、テレビの音が聞こえた。しかし、陽花里の「ただいまー」という元気な声のあと、すぐに音が消えた。


 テレビを消したのだ。


 それを感じたとき、俺はついごくりと喉を鳴らしてしまう。緊張が伝わったのか、結月が軽く背中に触れて「大丈夫よ」と子供をあやすような優しい声色で言ってくれた。


「緊張するのは分かるけど、不安に思うことはないから。私や陽花里のように、父も蒼くんに感謝しているんだから」


「……ありがと」


 俺は小さく息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。小さく「よし」と呟いたあと、俺は意を決してリビングの扉をくぐった。


「はじめまして。桐島蒼と申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」


 俺が使える精一杯の敬語を並べた。

 リビングに入った俺はぺこりと頭を下げ挨拶をする。


 すると、すぐに「頭を上げ給え」と低いながらも優しい声がかけられた。俺はそれに従い、ゆっくりと顔を上げた。


「話は娘たちから聞いてるよ。私は琴吹玄馬。こちらこそ、はじめまして」


 黒い髪はワックスかなにかで固めていて軽いリーゼントのようになっている。

 太い眉や凛々しい目元よりも、口の上にあるヒゲが気になった。顔全体のイメージとしては厳しそうという印象だ。

 身長は高く、シャツにジーンズとオフィスカジュアルのような格好をしていた。


 こういう表現は失礼に当たるのかもしれないけど、渋いおじさんみたいな言葉がちょうどいいのかもしれない。


「こちらへ来給え。お茶を淹れよう」


「あ、はい。ありがとうございます」


 ぺこり、ともう一度軽く頭を下げてから玄馬さんの方へと向かう。


 扉を入ってすぐ右にはタンスがある。左へ進むと左手にはキッチンが見え、右手にはリビングルームが広がっていた。

 四角のテーブルを大きなソファが囲ってあり、そこからよく見えるように大きなテレビが置かれている。何インチくらいあるんだろう。


 玄馬さんがいるのはそことは違う、恐らく食事用のテーブルだった。テーブルの両側にイスが二つずつ置かれている。


 俺は玄馬さんがいる方とは逆のイスへ座る。そのあと、玄馬さんが俺と対面するように腰を下ろした。


 なんか、面接が始まるような気分だ。


 陽花里は俺の隣に座り、結月はキッチンへと向かっていた。どうやらお茶を淹れるのは結月の役割らしい。


「まず最初にこれだけは言わせてほしい。妻を助けてくれて、本当にありがとう」


 玄馬さんは座ったまま、テーブルにおでこをぶつけるような勢いで頭を下げた。


 大人に頭を下げられるという経験が生まれて初めてで、俺は動揺して一瞬言葉を詰まらせてしまう。


「あ、頭を上げてください。お礼は娘さんたちからもいただいてますので、もうお腹いっぱいなんです」


 しかし、その状況が息苦しくてすぐに口を開くことができた。

 俺がそう言うと、玄馬さんはゆっくりと顔を上げて俺の目を見た。目が合うと、やっぱり迫力はあって気圧されてしまう。


「お礼をさせてくれ」


「いや、大丈夫です」


 俺は即答した。

 結月や陽花里にも求められたけど、俺は別にお礼が欲しくてしているわけではないし、急に言われても何も思いつかないのだ。


「それでは私が納得できないのだ。妻の命の恩人に、このまま何もせずに返ってもらっては琴吹家主の名が廃る」


 結月や陽花里の頑固なところはこの人の血の影響なのかもしれない。


「お、美味しいお茶がいただけたなら僕は満足ですので。ほんとに」


 俺がそう言ったタイミングで、ちょうどお茶を淹れた結月がお盆に四つの湯呑みを置いてやって来ていた。


 俺の言葉を聞いた結月は「え、嘘でしょ」という顔をする。目を開いて驚く彼女を見て、その心境を察した。


 結月は「私のお茶じゃだめかも……」みたいなことを思っているようなしゅんとした顔をする。


 違う、別に変なプレッシャーをかけてるわけじゃない。なにか形として受け取らないと終わらないからそう言っただけだから。


「い、淹れ直してくるわっ」


「大丈夫だから! そういうわけじゃないからぁ!」


 俺は慌てて彼女を止めた。



 *



 俺の前には玄馬さんが座っていて、左側には陽花里がいる。あとは陽花里の前のイスが空いていたので、結月がそこに座るだろうというのは俺の勝手な考えだった。


 お茶をそれぞれの前に置き終えた結月は一度キッチンへ戻り、お茶請けとしてカステラとお菓子を詰めたお皿を持ってきた。


 お菓子を中央に置き、カステラを一人ずつにの前に置いたところで彼女は玄馬さんの隣へ向かう。


 しかし、どういうことか結月のお茶とカステラは俺の右側にある。いわゆるお誕生日席という場所だ。

 最初はとりあえず一旦ここに置いただけかなと思ったけど、カステラもそこにおき、その上空いているイスのところへ向かったのだから俺の中の疑問は膨れ上がる一方だ。


 同時に、俺の中で嫌な予感も同時に膨れ上がったのだけれど。


「よっこいしょ」


 結月はイスを持ち上げ、お誕生日席のところへえっさほいさと運び始めた。


 俺の嫌な予感は的中した。


 お父様の前でそういうのは控えてくれよ。ここは穏便に済ませたいんだから。


「さて、お礼についてだが」


 玄馬さんは結月の明らかな怪しい行動に触れることなく話を戻す。もちろん、お茶をいただくというだけで納得してもらえるはずはなかった。


 どうしたらいいんだろう。

 無理な金銭を要求してみるか? いやダメだ。万が一にも受け入れられたときが怖い。しかも絶妙に受け入れるかもしれないと思わせる雰囲気がある。


 こういうときってみんなどういうお礼を要求しているんだろう。これまで、結果として人を助けることはあったけど、そのどれもお礼を貰うことはなかった。


 ほとんど、というか全てが二度と会うような人ではなかったから、とにかくその場から離れてしまえばこういうシーンには出くわさないのだ。


 けど今回はたまたま助けた人の娘がクラスメイトだったが故に、こうなってしまっている。

 それは別に構わないのだ。

 結果として結月や陽花里という女の子と出会い、仲良くなることもできたわけだし。


 自分を変えることのきっかけにもなった。


 だから、そうではなくて。


 お礼をどうするか、というただそれだけ。


「なにかないかね。私にできることならば何でもするし、渡せるものであれば何でも渡す所存だよ。子供が遠慮なんてするもんじゃない。さあ、何でも言い給え」


「……いや、そう言われても」


 欲しいものなんて特に思いつかない。少なくとも自分で買えるものは自分で買うし、自分で手に入れることに意味があるものだってある。


 もともと物欲もない方だし。

 欲しい小説はあるけど、こういうところで小説っていうのはちょっと違うような気もする。そもそも自分で買えるし。


「そう言えば蒼くん、言ってたわよね」


 そのとき、結月がわざとらしい口調でそんなことを言う。俺や玄馬さんの視線が彼女に向いた。


 結月は何を言うつもりなんだろう。一抹の不安を抱きながら彼女の言葉の続きを待っていると思ってもいなかったことを口にした。


「彼女が欲しいって」


 と。

 

 いや、言ってないよ?

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