第21話 ご対面数秒前


 何となく勝手な想像で二人の家は豪邸なのだと思い込んでいたけれど、実際に目にしたのは至って普通の家だった。


 いや、高層マンションなので富豪層なのは確かなんだろうけど、俺の中のイメージだと何かめちゃくちゃ広い庭とかある一軒家って感じだった。


「ここの二十五階よ。行きましょう」


 上機嫌の結月はオートロック式のエントランスゲートを開けて俺を招き入れる。

 そのあとをついて行く俺の後ろで、陽花里が唇を尖らせていた。なにを言っているのかなと耳を傾けてみる。


「蒼のあほ。すけべ」


 拗ねていた。


 このまま放っておくのはどうかと思うので、どうにかして機嫌を直してもらいたいところなんだけど。


「あのさ、陽花里」


「なんですか?」


 むっとした表情そのままに、陽花里は不機嫌を乗せた声色で返してくる。


「次は陽花里と乗るからさ、あんまり機嫌悪くしないでくれよ。な?」


「気を遣ってくれなくていいですよ。どうせ、わたしのお胸では蒼を満足させることはできないので」


 つん、と拗ねたような態度は継続していた。


 だから俺は思ったことをそのまま口にすることにした。


「確かに今回は結月の誘惑に負けてしまった。それは否定できない。けど、胸が小さいとか関係なく俺は陽花里とも自転車に乗りたいんだよ」


 俺が言うと、陽花里は「どうしてですか?」と尋ねてくる。


「陽花里と話すのが楽しいからだよ。過ぎていく景色を一緒に見ながら、他愛ない話をしたいんだ」


「……」


 むっとした表情を作っていた陽花里だったけど、それが徐々に綻びていった。


「……うぇへへ」


 変な笑い声を漏らしているけど、どうやら機嫌は直ってくれたらしい。


「私のいない隙を見て陽花里を口説くなんて、油断も隙もないわね」


 二人を同時に相手するのってめちゃくちゃしんどいな。

 世の中の男子はハーレムというシチュエーションに憧れを抱く傾向にあると日比野が言っていたけど、似たような状況に置かれると、とてもそうは思えない。



 *



 俺は昔から友達の家にお邪魔するという行為が好きじゃなかった。そもそもそんなに機会に恵まれてはいなかったけれど、小学生の頃はさすがに今よりは人と遊んでいたのだ。友達の家でゲームくらいはしたさ。


 家の中なのに感じるあのアウェイ感がどうにも居心地悪かった。親と顔を合わせるのなんて気まずくてしょうがなかった。


 そんな俺が自ら、クラスメイトの親に会いに行くことになるのだから世の中なにが起こるか分からないものだ。


 エレベーターは刻々と二十五階へと昇っていく。目的地へと近づく電子表示を眺めながら、俺は緊張する心を何とか落ち着かせていた。


 しかし、もちろん目的地へと近づくたびに緊張は高まる一方だった。


「緊張してますねぇ」


「そりゃね」


 隣にいる陽花里が俺の顔を見上げながら軽い調子で言う。普通に帰宅する彼女らとは天と地ほども心境が違うのだ。


「お父さんってどんな人?」


 どうしても過去の記憶から、友達の父親というのは怖いイメージがある。実際はそうでなくとも、大人の男性というだけでそう見えてしまうのだ。


「優しいですよ?」


「娘の友達には?」


「……どうでしょう」


 陽花里は難しい顔をした。

 あんまり父親が自分の友達と顔を合わせる機会はないか。

 まして俺は男だ。父親が向ける警戒心はきっと女の子よりもあるはずだ。


「どう思う?」


 俺がぐるぐる考えていると、陽花里が逆サイドに立つ結月に尋ねる。結月は「そうねえ」と呟きながら顎に手を当てた。


「一つ言えることは、父は私たち娘のことを溺愛しているということかしらね」


「まじか」


 いやでも、今日の俺は招待されているわけだし。自分で言うのも何だけど、奥さんの命の恩人としてお礼がしたいという名目で。


 そんな俺を相手にキツく当たってくるようなことは万が一にも有り得ない、はず。大丈夫だ。なにも問題ない。


「そうだ。ついでにお付き合いの挨拶もしてしまうというのはどうかしら。親公認になればいろいろと楽だと思わない?」


 ぱんと手を合わせて、結月がナイスアイデアを言わんばかりに提案してくる。そんな彼女の言葉に俺よりも先に反応したのは陽花里だ。


「それは良いアイデアです。わたしと蒼の仲を応援してほしいですから」


「なに言ってるの? 私と蒼くんのことなんだけど?」


「……」

「……」


「俺を挟んで睨み合うのやめて」


 バチバチと火花を散らす二人をどうどうとなだめているとついにエレベーターは二十五階へと到着した。


 気づけば俺の体を支配していた緊張はどこかへ飛んでいっていた。二人と話すことで忘れていた、というのが正しいんだろうけど。


「あのさ、お父様は二人のそういう気持ちって知ってるの?」


「そういう気持ちって? 私、鈍感で馬鹿だからちゃんと濁さず言葉にしてくれないと分からないわ?」


 絶対分かってる奴の言い方じゃん。


「いや、だから」


 これ自分で言うの恥ずかしいな。

 俺は発言を躊躇ってしまうが、結月はただひたすらに言葉を待っているし陽花里は何のことやら分からない顔をしている。


「……その、二人が、俺に対して好意的だということ」


「つまり?」


 結月はさらに詰め寄ってくる。

 期待に満ちたその瞳はどこか嗜虐的でもあって、もう絶対に楽しんでいることは明らかだった。


「つまり、俺のことを好きだということを」


 どうしてか俺が恥ずかしい思いをさせられたところで、結月は満足した顔をしながら頷いた。


「それについては知らないわ。父親と恋バナする女子高生はいないでしょ」


「それは分からんでしょ」


「それはわたしも話してないですね。なんか恥ずかしいですし」


 そういう気持ちがあるのなら父親の前で暴露するようなこともないか。それに、その事情を知らないのであれば俺は完全に招待された客人という気持ちでいける。


 大丈夫だ。


 無難に終わらせよう。


 挨拶をして雑談を交え、そして頃合いを見て退散する。


「ここよ」


 エレベーターを降りて少し歩き、部屋の前に到着する。ちらと外を見ると、道を走る車がおもちゃのように見えた。それだけでなく、建物など全てがそう見える。


 高いな。


「さあ、行きましょう」


 結月が扉を開き、先に入っていく。

 躊躇う俺の背中を陽花里が押してくれた。

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