第19話 萌芽


 美容院を出たときにはもう日は傾いていたし、少し寄り道をしようと決めたときには既に辺りは暗くなっていたので、そう遠くへは行けない。


 なので、晩ご飯を食べて帰るというところに落ち着いた。


 琴吹陽花里という女の子を知る、いい機会でもあるし。


 とはいえ自転車があるわけでもないし、わざわざ電車に乗って移動するのも面倒なので、行ける場所は限られてくる。


 少し歩けば駅があり、そこら辺にごはん屋さんが幾つかあったはずだ。話し合いの結果、俺たちはとりあえず駅に向かうことにした。


 日が落ちて辺りは暗くなり、街灯に照らされた道を二人並んで歩いていると、なんだか変な感じがした。

 制服の女子と、こんな時間に外を出歩くことなんてこれまでなかったからな。あ、いや、日比野とはあったか。


「なにか食べたいものあるか?」


「なんでもいいですよ。蒼はあります?」


 女子の何でもいいは何でもよくないらしい、というのはネットのどこかで目にしたことがある。


 こうして悩みたくないからあちらに選択権を委ねたいんだけどなあ。


「俺もなんでもいいんだけど」


「じゃあ、ラーメンとかどうです?」


「ラーメン?」


 意外な提案に俺は思わずオウム返しをしてしまう。女の子のことだからおしゃれなお店がいいのかと思っていたけど、そんなことないのかな。


 もしかして俺は気を遣われている。


「はい。ダメですか?」


「ダメじゃないけど。なんでラーメン?」


「食べたいんですよ。でも、女の子だけだとなかなか入りづらいじゃないですか」


「あー、確かに」


 女子でもラーメン食べたいことってあるんだな。それが知れただけでもこの時間には意味があったと言える。


 確か駅の近くにはラーメン屋が二つあったはずだ。一つは醤油ベースのお店で、もう一つはこってり豚骨。


「何ラーメンが好きとかあるの?」


「いえ、恥ずかしい話あんまりラーメンそのものを食べたこともないんです」


 えへへ、と笑いながら陽花里は言う。男の一人飯はラーメンか牛丼と相場が決まっているけど、女の子だと食べる機会もあんまりないか。

 家で食べるとしてもインスタントラーメンだろうし。本格的なラーメンは家では作らないだろう。


「なので、お店選びはお任せしてもいいですか?」


「あー、じゃあ」


 豚骨はやめておいた方がいいだろう。あのこってり具合が好きという層がいる反面、それが無理だと言う人も多い。

 俺もこってりし過ぎているとさすがにちょっとってなるし。


 そんなわけで俺たちは醤油ベースのラーメン屋へ向かうことにした。どこにでもあるチェーン店なので、それなりの味は保証されていることだろう。


 店に入るとラーメン屋特有の「シャッセえええええ!」みたいな声に迎えられる。

 適当に席につくとお冷を持ってきてくれた。


「醤油ラーメン二つと、半チャーハン一つ」


「あ、わたしもそれで」


「半チャーハンもう一つ」


 注文を済ますと店員は謎の呪文を厨房に向かって飛ばして戻っていく。


「陽花里はご飯食べる方なの?」


「少食ではないと思います。結月よりは食べるし……」


 言いながら、陽花里はハッとなにかに気づき焦りの表情を見せた。


「いっぱい食べる女の子は嫌いですかまじですかやっぱり今の半チャーハンキャンセルしたほうがいいですかね少食キャラ今からでも間に合いますかどうですか」


 息継ぎもせずにつらつらと言葉を並べて立ち上がった陽花里をとりあえず落ち着かせる。


「別に気にしないって。訊いてみただけで他意はないからとりあえず座ってくれ!」


「それなら良かったです」


 ほっと息を吐いて陽花里は座り直した。それを確認して、俺も安堵の息を漏らす。


 少しするとラーメンと半チャーハンが運ばれてきた。

 ラーメンはチャーシューメンマ、もやしが乗ったオーソドックスなトッピングで、チャーハンもたまごとベーコンを炒めたものにネギを乗せたシンプルなものだった。


 二人で手を合わせる。


 俺は麺を箸で掴み一気に啜る。そのあとにレンゲでスープを一口飲み込む。うん、普通だ。普通に美味しい。


 ちらと陽花里を見てみると、レンゲの上に麺やらメンマやらを乗せてそれを口に運んでいた。女子特有のレンゲ食いだ。そんな言葉があるのか知らんけども。


「美味しいですね!」


「そりゃ良かった」


 それから、俺たちは額の汗を拭いながら黙々とラーメンを啜り続けた。



 *



 暖かい店内で温かい食べ物を食べていたから、外に出たときの冷えた空気がちょうどよく感じた。


「美味しかったです! また一緒に来てくれますか? 今度は別の味も食べてみたいです!」


 にこにこと笑顔を浮かべながらそんなことを言われて断れる男子はいないだろう。なんか、いろんなところに連れて行ってあげたくなる。


「ああ。また今度な」


「約束ですよっ」


 やったー、と大袈裟に喜びを表情する陽花里を見て、俺はつい笑みをこぼしてしまう。

 感情が分かりやすく表に出るから言葉や行動の裏側を考えなくていいのは気が楽で助かるな。それが陽花里のいいところだ。


「あ、ちょっと待ってください。お店にスマホ忘れちゃいました。取ってきます」


 言って、彼女はスタスタとお店に戻っていった。

 ちょうど信号は赤に切り替わったので、俺はそこで陽花里を待つことにした。


「お兄さん、一人?」


「……」


「無視はひどくなーい? 勇気出して声かけたのにぃ」


「……え、俺?」


 後ろで声がするなと思ったものの、知らない声だったのでスルーしたら前に回り込まれた。そこでようやく俺に向けられた言葉だったと気づく。


「そう。お兄さん」

「一人なら、ちょっと一緒に遊ばない? 男の子とお話したい気分なの」


 年齢は俺と同い年くらいだと思う。

 髪が染められており、容姿は派手め。今もこの表現が正しいのかは分からないけど、ギャルって感じの二人だった。


「えっと、俺、連れがいて」


「えー、そうなのー?」

「つまんなーい」


 酔ってんのかなってくらいテンション高いな。二人とも容姿レベル高いから男には困らなさそうだけど。


 なんてことを考えていると、ドタタタと激しい足音がこちらに近づいてきて、何事だと思ったときには勢いよく腕に抱きつかれていた。

 その衝撃によろけてしまったけど、なんとか足に力を入れて堪える。相変わらずパワーのセーブができない奴だ。


「な、なにか用ですか!?」


 コアラのように腕に抱きついてきた陽花里は、威嚇するイヌのように女の子二人の方を睨む。睨むという言葉を遣うほどの迫力はないが。

 その陽花里の様子を見て、女の子二人は「彼女持ちかぁ、なら仕方ないねー」「カッコいいから無理もないや」と口にして、じゃーねーと言いながら去っていった。


 なんだったんだ。


 というか。


「あの、そろそろ離れていただけると」


「……そうですね。ごめんなさい」


「いや、謝ることではないんだけど」


「今のお二人は?」


「さあ。知らない人だったけど」


「な、ナンパですか?」


「……どうなのかな」


 確かにナンパっぽくはあったな。

 でも相手は二人でこっちは一人だったし、それでナンパは成立するのだろうか。分からん。


「どうあれ助かったよ。ああいう経験はないから、どうすればいいか分からなくて困ってたから」


「ほんとに? 迷惑じゃなかった?」


 いつものテンション高めな感じとは真逆のしおらしい態度に、ドキッとさせられる。なんだこれ。これがいわゆるギャップ萌えというやつか?


「あ、ああ。ほんとほんと」


「なら、良かったです。なんというか、居ても立ってもいられなくて、飛び出しちゃいました」


 えへへ、と陽花里ははにかむように笑った。


 すっかり日は落ちているのに、それでも彼女の頰が朱色に染まっているのは見えた。


 その横顔を見て心臓が跳ねたのは、きっと気のせいではないだろう。

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