第18話 きびだんごはないからね
日比野と知り合ったのは中学三年生になってからだった。同じ中学ではあったけど、互いが互いを認識したのがその時期なのだ。
俺はもともと、多くの友達を作るタイプの人間ではなくて、少なくても太く固い線で結ばれていればそれでいいと思っていた。
だから、三年生のクラス替えで仲の良かった奴らと離れた俺は早々にぼっちだったんだけど、クラスメイトがわいわいと騒ぐ中で一人、俺と同じようにつまらなさそうに騒ぐクラスメイトを眺めるぼっちがいた。
それが日比野すももだった。
だからといって別に話しかけることはなかった。一人でも別にそこまで困ることはなかったし、仲良くはなくても話すことはあったから。
けれど、日比野は俺と同じ考えではなかったようで、三年生が始まって二週間くらい経ったときに話しかけてきた。
『桐島は友達いないの?』
失礼な奴だな、と思った。
けど、不思議と悪い印象は持たなかったんだよな。多分、物事をハッキリと口にする人なんだろうと、勝手に自分の中で自己完結した。
『見ての通りだよ』
昼休みに一人でぼっち飯決め込んでる現状が全てを物語っていた。だから俺は、肯定の意味を込めてそんな返事をしたのだ。
『だよね。だと思ったから話しかけたんだよ』
そう言いながら、日比野は俺の前の空いている席に腰を下ろし、当たり前のように俺の机で弁当を広げた。
彼女の弁当は今と変わらずその頃からベジタリアン弁当で、俺にとってはその光景が衝撃だったから『勝手に座った』ことより『なんだその弁当』という言葉が先に出た。
『ベジタリアンなんだよ。あるいは、フルーツストでもあるけどね』
『フルーツストって聞いたことないけど』
『お肉が嫌いなわけじゃなくて、あくまで野菜と果物を愛しているだけなんだけど』
『そうなのか』
そんな感じで、勝手に一緒に飯を食い始めたことを指摘するタイミングを逃し、その日はそのまま適当な雑談をしながら飯を食った。
翌日も、同じようにやってきた。
居心地が悪かったわけでもなく、むしろ楽しく感じたこともあって、俺は日比野のそれを受け入れることにした。
とはいえ。
どうして突然そんなことをしたのか、という疑問は解消しておきたい気持ちはずっとあって、だから俺はその月の終わり頃に訊いてみることにした。
正直、話したことのない俺と普通に話せているところを見るに、コミュニケーション能力が乏しいわけでもなさそうだったから、なお一人でいることが不思議だったのだ。
『なんで俺に話しかけてきたんだ?』
『なんでって、友達になろうと思ったからだよ。それ以外にある?』
放課後の帰り道、日比野とは途中まで帰路が一緒なので、その頃には二人で帰るのが当たり前になっていた。
『別に一人でも生きてはいけるだろうけど、不便に思うことはあるからね。だから、一人くらいは友達を作っておこうと思ったんだよ。そこで同じように一人でいる桐島に白羽の矢が立ったわけ』
『そういうのって異性より同性の方がいいんじゃないの?』
『女社会の付き合いは桐島が想像してるよりずっと面倒なんだよ。それが億劫だから、私は友達を作ってないわけだからね』
確かに女子同士の付き合いはいろいろと面倒だと聞くけれど、実際にどれくらい面倒なのかは知りもしない。
日比野に訊いてみたけど、彼女はそれには答えなかった。適当な軽口を言って誤魔化してきたので、俺はそれ以上触れることはしなかった。
それから俺たちは友達として一年間を過ごした。
受験を前に志望校を決めるとき、俺は担任に勧められた今の大幕高校を受験することを決めた。
『桐島はどこにするの?』
『大幕高校ってとこ。なんか、おすすめらしいから。日比野は?』
『桐島がそこなら、私もそこにするよ』
『そんな適当な理由でいいのかよ。もっと偏差値高いとこ狙えるだろ』
日比野は俺よりもずっと頭が良かった。テスト前にはいつも勉強を教えてもらっていたから、それは良く知っていた。
『桐島と離れると、また友達を作って一から関係を築かないといけないでしょ。それは面倒だから。勉強はどこでもできるけど、桐島とはそこでしか一緒にいれないからね』
『よくそんなこと真顔で言えるな』
そんな理由で俺と日比野は無事、同じ高校に入学することができて、今に至る。
「そんな感じですかね」
結構、というかだいぶ長々と話してしまった。
後藤さんは話を聞いている間も散髪する手は止めずにテキパキと作業を進めていたので、話し終えた頃にはほとんど終わっていた。
陽花里はというと、真剣な顔つきでふむふむと俺の話に頷いていた。その表情からは、彼女の心境は伺えなかった。
「その感じで、どうして付き合うことにならないのかしらね。私はそれが不思議でならないわ」
「なんででしょうね。それは俺にも分かりませんけど、今の関係が居心地良いんじゃないですか?」
「蒼は日比野さんと付き合いたいって思わないんですか?」
「んー」
俺は考えてみる。
日比野とは仲が良い。多分、家族以外の人間の中では一番心を開いていると思う。
好きだ。
それは間違いない。
けど、それ以上でも以下でもないというか。
考えながら、陽花里の方をちらと見た。
俺が今、陽花里や結月に抱いているような心臓が跳ねるような感覚は日比野に対してはないんだよな。
仲良くなりすぎて、お互いそういうふうに意識しなくなったのかも。そして、それがきっと居心地良い理由なんだと思う。
「付き合いたいとは思わないけど、この先もずっと友達でいてほしいとは思うかな」
俺がそう言ったとき、後藤さんがくすりと笑った。
え、今の俺の言葉、なにか笑えた?
俺の視線に気づいたようで、後藤さんは「ごめんなさいね」と軽い調子で謝罪してきた。
「以前、すももちゃんにも訊いたことあるのよ。桐島くんと付き合ったりしないのって」
「はあ」
俺は曖昧な相槌を打つ。
すると、後藤さんはなおも楽しそうな口調で言葉を続けた。
「そしたら、似たようなこと言ってたからおかしくって。相思相愛なのね」
「なんか恥ずかしいな」
「美しい友情よね。大人になると、あんまり感じることないから眩しいわ。でも気をつけてね、そういう相手がセフレになったりするから」
「美しい友情話のままで終わらせましょうよ」
美人の口からセフレというワードが出てきたことに驚きつつ、とりあえずツッコミは入れておく。
「せふれ……?」
そんな俺と後藤さんを、陽花里はピンと来ていない顔で見てきた。どうやらセフレというワードを知らないらしい。
「せふれってなんですか?」
そして興味津々に訊いてくる。
ここで『セフレっていうのはセックスフレンドの略だよ』と答えるのは何となく憚られる。
ここは大人の女性に何とか誤魔化してもらおう、という気持ちを込めて後藤さんにアイコンタクトを送る。
彼女はぱちりとウインクを返してくる。任せておいて、ということだろう。
「せ……、せん、せな、セック、せ、精神的な友達っていうことよ。お互いがお互いの支えになるような関係ね」
途中危なかったけど、なんとかいい感じに誤魔化してくれた。陽花里の「はえー、そうなんですねー」という反応からも成功したと言っていい。
「じゃあ、わたしも蒼とセフレになりたいです!」
「それ人前で絶対に言わないようにな!?」
後藤さんの手腕なのか、俺の初めての美容院はあっけなく終わった。緊張していたのが馬鹿馬鹿しく思えるほどに、何でもない時間だった。
*
さすがは美容院といったところで、千円カットとは完成のクオリティが全然違った。
そこそこの値段がするけど、たまにならこれも悪くないかもしれない。
後藤さんに名刺を貰って、『また来てくれるなら、私を指名してね。いろいろお話したいから』と言われた。
「カッコよくなりましたね」
散髪を終えた俺を見て、陽花里がにこにこしながら声を弾ませた。
鏡で見たとき、まるで自分ではない誰かのようだった。けど、これは後藤さんのセットの腕ありきなので、明日にはいつもの俺に戻っていることだろう。
「まあ、そうだな。別人みたいで変な感じだよ」
「でも困りますね」
むむむ、とどういうわけか陽花里が難しそうな顔をして唸った。
「なにが?」
俺がこうなって、なにが困るのだろう。
「蒼がカッコよくなってしまうと、女の子から人気が出ちゃいます。ただでさえ結月という強敵がいるのに、これ以上ライバルが増えるのは困るんですよ」
「それ言われた俺はどう反応したらいいんだよ。けど、別に見た目が変わったくらいで人の評価は変わらないだろ」
「いやいや。そんなことないですよ。人の見た目は大事です」
「でも、陽花里は俺を見た目では選んでないだろ」
「どうでしょうね。大事なのは中身だと思ってますけど、見た目がどうでもいいとは思ってないですしね」
「そっか」
まあ、あのときの俺は朱夏プロデュースの脱陰キャモードだったから、普段よりは幾分か良く見られていたのかもしれないな。
それから少しの間、そんな感じの話をしていたら、陽花里がハッと何か思いついたような顔をして、こっちを向いた。
「せっかくなので、ちょっと寄り道しませんか?」
「せっかく髪をセットしてるんだしってこと?」
「はい! 今のめちゃくちゃカッコいい蒼をもう少し眺めていたいわたしのわがままです。ダメですか?」
「……いや」
なるほど、それは確かにせっかくだな。
このまま帰ると風呂に入ってこの髪型ともおさらばだろうし、それはちょっと惜しいのも事実。
それに、陽花里は俺のために美容院についてきてくれたわけだし、ちょっとくらいはお礼しておきたいし。
「せっかくだし、ちょっと寄り道しようか」
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