第16話 きびだんごはないけれど


「あたし、ブラコンじゃないけどさ、ブラコンとは程遠いくらいだけどさ、それでもお兄ちゃんはちゃんとしたらちゃんとした人間だと思ってるよ?」


 ぴょん、とイスから降りた朱夏がしゃがんで俺と視線を合わせる。じいっと俺を見てくるその瞳は淀みなく、その言葉に偽りがないことが伝わってきた。


「女の子は自信のある男の子に惹かれるんだから、いつまでもそんな感じでいると見放されちゃうよ?」


「俺、そんな感じに見える?」


「うん」


 即答だった。

 なんの迷いもなく頷きやがった。


「そりゃ、自信とかはあんまりないかもしれないけど」


「自慢しろとは言わないけどさぁ、あたしのお兄ちゃんなんだから、もうちょっとしっかりしてほしいというか。友達に自慢してるお兄ちゃんであってほしいというか」


「なにそれ」


 ごにょごにょと口をどもらせながら言った後半の言葉はよく分からなかった。

 聞いても朱夏はかぶりを振るだけだったが。

 

「別になんでもない。とにかく、お兄ちゃんもついに変わるときがきたんだよ。美人さんに見放されないようにね!」


 ビシッと指を差してくる。


 確かに、今はまだ好かれているけれど、これがこの先どうなるかは分からない。

 俺よりも格好いい男が現れればそいつに目移りしてしまう可能性だってある。むしろその可能性の方が高いだろう。


 それは、どうなんだろうなぁ。


「とりあえず脱陰キャを目指そう!」


「いや、でも俺パリピにはなれないよ。ウェイの呪文一つで盛り上がれるような陽キャの血は流れてない」


「考え方が極端すぎるよ。そこまでは言ってない。ウェーイとか言ってくるお兄ちゃんなんか絶交ものだし。そうじゃなくてさ、もちろん前向きになるのは大事だけど」


「じゃあ、どうしろと?」


「とりあえずその陰キャモードを卒業しよう」


 説明しよう。

 朱夏の言うところの陰キャモードとは、髪をだらしなく放置しメガネを掛けた状態の俺のことである。

 朱夏はこの陰キャモードのことを良く思っておらず、一緒に出かける際には彼女直々にプロデュースをして身なりを整えるのだ。


「どうやって?」


「そんなの知らない。手始めに散髪でもしたら?」


 そんな適当な。

 


 *



 自分の容姿をそこまで気にしたことはない。太ってきたり清潔感を失うようなことがあれば気にするけど、逆に言えばそこまでに至らなければ気にすることはなかった。


 その結果、髪は雑に伸びている。

 伸ばしているわけではなく、伸びているだけ。むしろ髪を洗うときに面倒だから短い方がいいとさえ思っている。


 じゃあなぜ散髪しないのか。

 その答えはシンプルに言えばお金がないからだ。正確に言うなら散髪にかけるお金がないのである。


 けど、琴吹の父に会うことになった。


 となると、それなりに身なりは整えていくのがマナーだろう。服装はこの前のが使えるからいいとして、髪もこれを機に一度切っておくか。


「なあ、日比野」


「ん?」


 朱夏からいろいろと言われた翌日の昼休み。俺は前に座り昼食をつつく日比野に訊いてみる。


 日比野は相変わらずベジタリアンメニューで、箸で器用にプチトマトを掴んで口に放り込んでいた。


「髪を切りたいんだけど」


「切ったらいいじゃない。そんな報告さすがにいらないよ」


「いや、そうじゃない。おすすめの店があるかを訊いてるんだよ」


「いやいや、訊いてなかったでしょ」


 日比野はむしゃむしゃとレタスを頬張りながらジト目を向けてくる。


「おすすめって言うほどではないけど、そりゃ私が行ってる美容院なら教えることはできるよ。桐島はいつもどこで切ってたのさ?」


「近所の千円カット」


「そこじゃだめなの?」


「まあ、今回は」


 俺が言葉を濁すと日比野は不思議そうな顔をした。まあいいか、と息を吐いてスマホをシュッシュと触る。


「ここ」


 そして俺に店のURLを送ってくれる。俺はタップしてページを開き、住所を確認した。


「近所なんだな」


「髪を切るのにわざわざ遠くまで行くのは億劫だからね」


 ご尤も。


 俺と日比野は中学からの同級生なので、家もそこまで遠くはない。なので、彼女の家の近くということは必然的に俺の家からもそう離れていないことになる。


「特にこだわりがないなら行ってみなよ。割引してくれるよう言っておいてあげるから」


「え、ついてきてくれないの?」


「私はあんたのおかんか」



 *



 日比野に予約のやり方を教えてもらい、さっそく俺はその日の放課後にその美容院へと向かうことにした。


「ほんとについてきてくれないんだな?」


「そう言ってるでしょ。私もそこまで暇じゃないんだよ」


「お前の唯一の友達が困ってるんだぞ。助けてあげようという気はないのか」


「獅子は子を自ら谷底に突き落とすんだよ。それは愛があるからこそできることなんだ」


「それは親側のエゴだからな。子供視点では『なんで落とされたの? お父さんはぼくのこと嫌いなの?』みたいなことしか描写されないからな」


 俺が言うと、日比野はやれやれと俺に見せつけるように大きな溜息をついた。

 

「屁理屈を言わせれば右に出る者はいないね。桐島が相変わらず桐島で私は安心してるよ。その調子でいれば美容院でも上手く話せるんじゃない?」


「話せるかどうかを心配してるんじゃなくてだな。いや、それも心配だけど」


「健闘を祈ってるよ」


 冷たい日比野と別れて、俺は昇降口へと向かう。


 初めてのことをするときは誰だって一抹の不安は抱いているはずだ。そうは見えない人は平然を装うのが上手いだけで、内心では緊張で心臓バクバクのはず。


 けど、まあ、これくらいは普通にやってのけないとダメか。普通の高校生なら美容院くらい朝飯前なんだろうし。知らんけど。


「おや?」


 昇降口に到着し、俺は靴を履き替える。

 周りには俺と同じように帰宅する生徒がそれなりにいる。一人で音楽を聴いている生徒がいれば、友達と笑いながら歩く生徒らもいる。


「おやおやおや?」


 ああ不安だ。

 なにが不安って店の扉を開けるときが一番不安。中がどうなっているか分からないから、めちゃくちゃ怖い。どういう人がいるんだろうとか思うと足が竦む。


「おややー?」


 頭の中でぐるぐると考え事をしていると、目の前に生徒が突然現れたので俺は慌てて足を止める。


「うお」


 危うくぶつかりそうになった。


 一体誰だと顔を上げると、そこにいたのは琴吹陽花里だった。きょとんとした顔で俺の顔を覗き込んできた。


「全然気づいてくれませんでしたね?」


「びっくりした。急に現れるなよ」


「一応ずっと声をかけていたんですけど」


「ていうか、そもそも校内で声はかけない約束なのでは?」


 俺が言うと、陽花里はハッとした。

 どうやら素で忘れていたらしい。こんなところを結月に見られると面倒なことになりそうだ。


「じゃあな」


 俺はそう言って歩き出す。

 陽花里はそれに反応し切れず一歩遅れてしまう。

 

「えー、ここまで来たんですから一緒に帰りましょーよー」


「いやでも」


「クラスメイトと一緒に駅まで向かうくらい普通ですよ。意識過剰です!」


 タタタと走って追いついてきた陽花里が俺の顔をじいっと見つめながら言ってくる。いや、迫力的には睨んでいると表現してもいいかもしれない。


「でも、俺らはそういう仲に思われてないからおかしいだろ」


「わたしは誰とでも仲良くなれるとクラスメイトの間ではもっぱらの噂なので、そんなに違和感ないと思います」


 確かに、と思わせてくる陽花里の日頃のコミュニケーション能力は本当に大したものである。


 教室ではあまり話さないクラスメイトとも、廊下とかで話している姿はたまに見かける。

 そう考えると、陽花里の言うとおりだった。


 大事なのは、疑問を抱かれても相手を納得させられるだけの説得力を彼女が持っていることだ。


 俺が考えすぎというのも頷ける。


「納得していただけましたか?」


「……ああ」


「では、行くとしましょうか」


 陽花里は俺と並び、同じ方向を向いて楽しそうに言う。もちろん俺はクエスチョンマークを浮かべた。


「どこに? ていうか、今から予定があるんだけど」


「もちろん知ってます。だから、そこに向かうのです!」


「はい?」


 俺は彼女の言葉の意味が分からず、間抜けな顔を見せてしまう。しかし陽花里はそんなこと気にもせず、どや顔を浮かべながら続けた。


「話は聞かせてもらいました。わたしがお供させていただきますよ、美容院!」

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