第15話 くそとまでは言ってない


 学校の図書室は十七時で終了となる。その時間までいると図書委員が溜息つきながら『今日は終わりですー』と言ってくるのだけれど、言う側もかったるいだろうと思い俺は気づけば五分前には図書室を出るようにしている。


「それで?」


 昇降口へ向かいながら、俺は数歩後ろを歩いている結月を振り返りながら言った。


「それで、とは?」


 結月はこてんと首を傾げる。

 これを本気で言っているのか分からないのが彼女の恐ろしいところだ。忘れっぽいのがということではなく、本気かもと思わせる演技力がという意味で。


「なにか、話したいことがあったんだろ?」


「あーそうだったわ。蒼くんとの時間が有意義すぎて忘れていたわ!」


「めっちゃ棒読み」


 どうやら演技だったらしい。

 俺は呆れて肩を落とす。結月はそんな俺に並ぼうと、タタタとステップを踏むように前に出た。


「蒼くんは私たちのお母様を助けてくれたじゃない?」


 お母様なんて呼び方してなかったろ、とツッコみたいところをぐっと堪えて言葉を飲み込む。


 気を抜くとすぐに話を脱線させるからな。


「それが?」


「私はそんな蒼くんにこれでもかというくらいの感謝をしているわけよ」


「はあ」


 俺は曖昧な相槌を打つ。

 その言葉に対して自分が言うべき最善のものが見つからなかったからだ。


「陽花里も同じように、まあ私にはちょっぴり及ばないくらいの感謝をしているのよね」


「なんでそういう言い方するんだよ」


 同じくらいでいいじゃん。

 しかし結月は俺の言葉に触れることはなく、そのまま続ける。


「もちろんお母様も感謝しているのだけれど」


 言って、彼女は俺の方を見た。

 宝石のような綺麗な瞳を向けられて、俺は内心ドキドキだった。人の心拍数を見つめるだけで上昇させるとかもはや特殊能力まである。


「お父様も蒼くんに感謝しているの」


「あ、へえ」


 家族総出で感謝してくれているのは嬉しいけど、そこまでになるとちょっと重たいんだよなあ。

 いや、立場が違えばきっと同じように家族総出で感謝しているだろうから言えはしないけど。


 そんなことを思っていると、曖昧な言葉しか出なかった。


「それで、お父さんが直接蒼くんにお礼がしたいって言ってるの」


「いや、さすがにそれは」


 できることなら避けたい。

 気持ちは有り難いけど、大人と対面するのって想像より体力使うししんどいから。


「ええ。私も、そう言うだろうと思って父を抑えていたんだけど、もうどうしようもないところまで来てしまって」


「えぇ……」


 どういうことだよ。

 何がどうなったら、もうどうしようもないところまで来てしまってという表現をするようなことになるんだ。


「三日前から帰宅すれば暴れるという暴挙に出てるわ」


「もうどうしようもないところまで来てるな!?」


「私も陽花里ももう限界なの。お願いよ、私たちを助けると思って父と会ってくれない?」


「そうするとまた俺に助けられることになりますが?」


「そうなれば、また改めてお礼をするわ!」


「そこまで込みの作戦か!?」


 結月は目をきらきらと輝かせる。


 しかし、おどけた様子を見せてはいるけど冗談だとは口にしない。つまり、お父さんの行動に困っているのは事実なのだろう。


 帰宅するなり暴れるという行動は誇張表現であってほしいが。


 話しながら歩いていると気づけば昇降口に到着していた。靴を履き替える俺に結月が改めて口を開いた。


「さっきの話なんだけど」


 さっきまでとは打って変わってしおらしい態度に俺は少しだけ驚いてしまう。

 こういう感じで来られると困っているのが伝わってくる分、こちらも断りづらい。


「……会うだけでいいんだよな?」


「会ってくれるの?」


 なおも申し訳無さそうな雰囲気をキープしつつ結月が上目遣いを向けてくる。


 この話はこのまま並行線になりかねない。琴吹父は意地でも俺に会おうとするだろうし、だとしたらそれをぶつけられるのは結月や陽花里だ。そして二人のお願いを俺が断り続ければ結局困るのは挟まれている二人になる。


 それは俺としても良くは思わないことだ。


「それが一番手っ取り早いルートだろうし」


「ありがとう、蒼くん。お礼といってはなんだけれど、なんでも言うこときいてあげるわよ。なにがいい? 蒼くんが己の恥ずかしい欲望を剥き出しにしても受け止めきれる自信しかないから遠慮しないでね」


「なにその根拠のない自信……」


 しかし、親に会う……か。

 結婚の挨拶をするわけでもないのに親と会うイベントがあるというのは緊張するな。


 何事もなく、終わってくれればいいんだけど。



 *



「ねえお兄ちゃん」


「人の部屋にノックもせずに入ってくるなり兄を踏みつけるな」


 俺がカーペットに座り読書をしていると、妹の朱夏が突然部屋に入ってきたかと思えば足を俺の肩に乗せてくる。重たい。


「女の子とデートをしてから、一向に報告がないんどけどどういうことなのかな? かな?」


「ぐりぐりするな」


 俺が朱夏の足を払いのけると、彼女はバランスを崩す。転倒まではいかずに体勢を立て直した朱夏はなおも腕を組んでふんぞり返っていた。


「恋愛事情を妹に逐一報告する義務はない」


「でも、あたしはアドバイスなりで少なからず協力をしたよ。つまり、その結果報告を聞く権利はあるはず。あたしの協力がなければ、お兄ちゃんは今頃クソダサファッション野郎というレッテルを貼られて終了していたに違いないの」


「言い返せねえ……」


 なので、俺は結果報告をある程度誤魔化しつつ行った。朱夏には二人とデートをしたことは秘密にしているからな。ありのままのことを話せば何を言われるか分からない。


 普通に映画を観に行って、お昼を食べて、もう一度映画を観に行って、喫茶店でお茶して解散したことを言うと妹は盛大に眉をひそめた。


「なんで二回も映画観たの?」


「映画を観ようと言われたから」


「映画好きなの?」


「いや」


「はあ?」


 さらに険しくなる。

 嘘を付くとどこかしらで破綻してバレるのが関の山なので、デートをしたのが二人という点だけを伏せて報告してみたところ、そんな感じになった。


 朱夏のリアクションは至極正しい。


「初デートは映画だって相場が決まってるかららしいよ」


「だからって、二回も観る必要はなくない?」


「変わった人なんだよ」


「変わった人なんだね。美人さんなのに」


「神様は人に二物は与えないっていうからな」


「それってそういう意味なの?」


 とは言いつつも、まあいいやと適当に納得してしまえる雑さは朱夏のいいところだ。


「付き合うことにしたの?」


「いや、まだ」


「どうして? あれだけ美人さんなんだから、多少変な人でもよくない?」


「そういうことじゃないって」


 立っているのに疲れたのか、朱夏は勉強机のイスに腰掛ける。どうやら本腰入れて話そうというつもりらしい。なんて迷惑なことでしょう。


「もしかして、お兄ちゃんはまたいつもの『俺なんて』を発動してるの?」


「なんだよ、そのいつものって」


 俺が訊き返すと、朱夏ははあと大きな溜息をついて肩を落とした。


「お兄ちゃんってどうしてか自己評価低いじゃん?」


「いやいや、妥当な評価だろ」


「本当にくそみたいな人間は人を助けようとはしないよ。例えそれが誰かの教えであっても、それに従ったりしないもん。くそみたいな人間じゃないのに、自分をくそみたいな人間だって言うのは謙遜とは言わないよ。卑屈って言うの」


「お前人生二周目なの?」


 さすがに俺もそこまでは思ってないけど。

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