第7話 あなたのことが好きなんです


 幸いだったのは、動画の中の男が俺であることを、琴吹陽花里が教室で言いふらしていなかったことだった。


 俺のことを考慮したのかは知らないけれど、どうやら昨日のうちにとりあえずは他言無用という話になったらしい。


 もしかしたら朱夏が一言添えてくれたのかもしれない。それくらいのことを考えられるなら、そもそも正体バラすんじゃねえという話だが。


 しかしそうなると問題なのは、朝っぱらから琴吹陽花里が俺に抱きついてきた挙げ句、『あなたはわたしたちの ヒーローです』と言ったことの説明がつかない。


 結局。


 あのあとすぐにチャイムが鳴って、担任がやってきたのでクラスメイトからのお咎めはお預けという形で収まっている。


 ただ、さっきからちらちらと視線を感じる。単なる好奇心のものもあれば、鋭利な刃物を思わせる鋭い視線も感じられた。ああ怖い。


 これはホームルームが終わると同時にトイレに逃げ込むしかないな。そしてギリギリで戻ってきて授業を受けて、またトイレにダッシュを繰り返す。


「それじゃあホームルームはこれで終わります」


 担任の成瀬先生がそう告げる。

 くるみ色のふわっとした長髪にピシッとしたスーツ姿の女性教師。ふわふわした雰囲気のわりに厳しい時はしっかり厳しい。けど何だかんだ優しいのでクラスメイトからは人気のある先生だ。


 俺は先生の宣言と同時にイスから立ち上がり扉の方へと向かおうとした。


 が。


 しかし。


 そんな俺の前に二人の男子生徒が立ちふさがった。ガタイの良さから体育会系であることが予想される。

 もしそうならば、俺に勝ち目はない。


 俺が教室の後ろの扉から、前の扉にルートを変更しようと視線を動かしたとき、彼らはぴくりと反応した。


 それだけでなく、さらにもう一人、男子生徒がディフェンスに参加した。

 俺が進もうとしていた道をしっかりとガードしてくる。こうなると、俺にはもう道がない。


「よう、桐島」

「ちょっと話しようや」

「面貸せやこら」


 とてもフレンドリーとは思えない言い方で、自分よりも体格のしっかりしている体育会系男子に囲まれた。


 逃げ場を失った俺は彼らの要求に従う。


「話っていうのは?」


 すっとぼけて見せたところ、彼らはさらに表情を引きつらせる。ああどうやら爆発寸前らしい。

 爆発処理班のような緊張感だ。


「言われなくても分かってンだろ。陽花里さんとのことだよ。ヒーローってどういうことなんだよあーん?」


 眉間にシワを寄せ、メンチを切ってくる男子生徒。こげ茶に染めた短髪が印象的なイケメンだったが台無しである。


 さて、どうするか。


 本当のことは言いたくない。

 できることなら誰にも知られないまま終わってほしかった一件だからだ。琴吹姉妹に知られたのはもう諦めるしかないけど、これ以上の拡散は避けたい。


 どう誤魔化すか。


「あれは、えっと、そう、昨日彼女の落とした財布を拾ったんだよ。それを彼女が大袈裟に表現しただけで」


 俺はしどろもどろになりながらも、何とかそれっぽい言い訳を作り上げた。

 眉間にしわを寄せていた男子生徒の表情は少しずつ『なんだそういうことか』みたいな雰囲気と共に和らいでいく。


 よし、どうやら乗り切ることができそうだ。


 と、俺が安心した矢先。


「違いますよ」


 琴吹陽花里が乱入してきた。

 彼女の言葉に男共に視線はそちらに向けられる。


「わたしの母を――むぐ」


 余計なことを言われる前に俺は咄嗟に彼女の口を塞いだ。こちらの意図を察することなく真実をありのままに話そうとしていたような気がする。そんなことしたら二次災害が酷いことになる。


「むぐぐ」


 なにするんですか、みたいなことを言いたそうな目をこちらに向けてくる琴吹。

 しかし俺もここで手を離すわけにはいかない。


「てめえ、なにモブの分際で陽花里さんの口元抑えてんだよ殺すぞあーん?」


「いや、だって」


 そのとき。


 ぺろ、と。


 手のひらに柔らかいものを感じた。


「うおわ」


 俺は慌てて手を離す。

 琴吹陽花里はしてやったり、みたいなどや顔を披露していた。こいつ、俺みたいな男の手のひら舐めやがった。


「説明しましょう! 桐島さんはですね」


「琴吹さん、ちょっとお話があるからこっち来てもらってもいいかな!」


 彼女の言葉を遮り言って、俺は無理矢理に手を引いて教室から出ていくことにした。


「お前ごときの陰キャが陽花里さんとふたりきりになるとかふざけてんかあーん?」


 後ろから聞こえる声はとりあえずスルーしておこう。



 *



 大幕高校は屋上の開放がされていない。大抵の学校はいろいろな諸事情によりそうだと思うけれど。


 なので、屋上に続く階段を進み扉前の踊り場まで行けばほとんど人が来ることはない。

 人が来ることがなさすぎて日常的にはカップルがイチャイチャするか、ぼっちがぼっち飯決め込むかのどちらかの用途しかない。


 あとはそう、今回のように誰にも聞かれたくない秘密話をするときなどにも最適である。


「こんなひと気のないところに連れてこられるなんて、もしかして告白でもされるんでしょうか?」


 ……双子。


 なにか期待するような表情で俺の後ろをついてきた彼女を振り返る。

 一時間目が始まるまでの僅かな時間にわざわざここへ来るような生徒はおらず、予想通りここには誰もいなかった。


「どきどきしているところ悪いけど、その期待には応えられない」


「では、どういうお話なんですか?」


 陽花里は眉をひそめた。

 だいたい分かるだろうに。それとも彼女はとびっきりの馬鹿なのだろうか。


 しかし、こうして改めて向き合うとやっぱり結月と双子なだけあって整った顔立ちをしている。

 美しいを司る結月に対して、陽花里の印象は可愛いになるが、容姿が整っているという点においては違いはない。


 ブラウンのセミロング。毛先にはウェーブがかけられていて、うねうねしている。

 少し幼さの残る顔のパーツも彼女の可愛さを助長する要素でしかない。

 結月に対してスタイルはスレンダーだ。細身で胸もあまりない。ないことはないが、結月に比べると本当にない。でも彼女と比べればほとんどの女子の胸はないと言えてしまう。どんだけでかいんだ。


「この前の一件についてだ」


「その説は、本当にありがとうございました。桐島さんのおかげでお母さんが助かりました。感謝してもし切れません」


 俺が話を切り出すと、陽花里は思い出したようにぺこりと頭を下げた。豪快な動きは体育会系を思わせる。


「ああ、いや、それはいいんだ。結月からも言われたけど、その一言だけで十分だから」


「桐島さん……」


 陽花里はゆっくりと顔を上げる。

 大きく開かれた目の奥にあるくりんとした宝石のような瞳が俺を捉えた。


「……いつの間に結月のことを名前で呼ぶような仲に?」


「名字で呼ぶとややこしいから名前で呼んだだけだ」


「ということは、わたしのことも陽花里と呼んでいただけるんですか?」


「いや、琴吹と結月で呼び分けられるから必要ないだろ。とりあえずってだけだし」


 すると陽花里はビシッと手を挙げる。その表情はいつになく真面目なものだった。


「それだと結月がずるいです。姉妹不平等です!」


「なんでそうなる」


「とにかく、わたしのことも名前で呼んでください」


「いや、だから」


 言おうとして俺は言葉を飲み込む。

 端的に言って時間がない。

 この短時間で俺は陽花里と話を合わせないといけないのだ。とにかくあの一件の男が俺だということだけは伏せるように言わないといけない。


 今は呼び方なんてどうでもいい。


「……分かった。そうするから、話を進めていいか?」


「もちろんです」


 にこー、と笑顔を浮かべる。

 笑った顔は姉妹そっくりだなと感心した。


「しかし、なんで呼び方一つにそんなこだわるんだ……」


 ぼそりと呟いた。

 別に陽花里に投げかけた疑問ではなくて、ただ込み上げてきたものを消化するために吐き出しただけ。

 だから、答えなんて求めてなかったし、返ってくるとも思ってなかったんだけど。


「だって、好きな人から名前で呼ばれたら嬉しくないですか?」


「そりゃ、世間的にはそうなのかもしれないけど。ん? 今のどういう意味?」


 俺が恐る恐る尋ねると、陽花里は少しだけ顔を赤らめ、身を捩りながら上目遣いをこちらに向けた。


 そして。

 

「桐島さんに呼ばれたかったんです。つまりはそういうことなんですよ」

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