間奏:あなたがいない合間に
カラカラ、と横開きの戸を開ける。
年季の入った和風のガラス戸は、デザイン的にはたぶん結構古い物だと思うのだけど、良く手入れされているのか、わたしの力でもするするとなめらかに開く。
「……ただいま帰りました」
返事はない。奥の廊下は窓もない真っ暗。足元を見下ろすといつもの二人の靴はない。まだやひろさんも唯さんも帰ってないらしい。
「……これはつまり」
宴の時間!
わたしはさっさと手を洗って、自室に鞄と上着を放って、ついでにやひろさんのおさがりのタブレットを持ってリビングに向かう。
そして、リビングの一角で充電されているゲーム機を取ってソファーに座る。
「ふふ、ゲームは隠れてこっそりやるのが一番楽しいからね……!」
やひろさんや唯さんの前でやってると、プレイ時間が長くなると白い目で見られちゃうし、あんまり口汚い悪態をつく訳にはいかない。
そういうのを気にせず、ちょっとしたスリルを感じながらが一番なのだ。
「そして~」
わたしはここしばらくやってる探索系アクションの起動を待ちながら、タブレットで昨日の配信のアーカイブを再生する。
少しの読み込みの後、画面上で頭に大きな蝶々をつけた紫髪の女の子が動き出す。
『――それでわたし言ったんですけど――』
「あっ、めぐるちゃんが『わたし』って言っている」
普段の一人称は『めぐる』だから、レアだ。配信者のこういうリアルな生活が
めぐるちゃんは、わたしがこっちに戻ってきてから見つけたVtuberだ。ふわふわした萌え声と、紫の蝶が頭に乗った幼女のアバターがとっても可愛い。いや設定的には頭の蝶々の方が本体だから、本当は『幼女の頭に乗った蝶』と呼ばないといけないんだけど、とにかく。
ゆるい声の割に理知的なトーク内容が魅力的で、なんだけど時々、いや結構な頻度でえろっちい話をするので、普段はスピーカーではとても聞けない。でも今は特別。
何せわたし一人なので!
そんなことをしていると、ゲーム機の方も立ち上がっている。
「えっと、次何処行くんだったっけ」
わたしはめぐるちゃんのトークを聞きながら、画面内のキャラクターを動かし始めた。
§ § §
「ああもう。こいつの攻撃、ラッシュとるのムズすぎ」
ゲームの中のボス敵にぼやいていると、遠くでかすかに金属が
ゲームをポーズにして、タブレットの音量を切る。めぐるちゃんの声が消える。
耳をすますと砂利が擦れる音が玄関の方角から聞こえる。間違いない。
「ただいまー」
唯さんの声だ。
急いでゲーム機を元の場所に戻して、ソファーに戻る。
息を整えながら、タブレットでダミーの電子書籍を開く。ふう、我ながら完璧……!
数秒の後、唯さんがリビングに入ってくる。
「おかえりなさい」
「ただいま、美遊。何してたの?」
「……本を読んでいました」
「ふぅん、そっかそっか」
よし、バレてなさそう。
唯さんが冷蔵庫まで直行して食材を仕舞っていくので、タブレットをテーブルに置いて駆け寄る。
「……手伝います」
「ありがと、美遊。じゃあこれとこれ、冷凍庫の方にお願い」
「はい。……やひろさんは一緒じゃないんですね」
「うん、やひろくん、神社寄ってくるって。ほら、前にやひろくんが話してた幼馴染さんいたでしょ?」
「……例の異世界に連れていかれたらしい人ですか?」
「そう、その人。今日はその幼馴染さんがいなくなった日なんだって」
「……それでいなくなった神社に」
「うん」
「……なんだか」
お墓参りみたい、とは言えなかった。
やひろさんには何度か、異世界に行った幼馴染の話を聞いた。
眉根を寄せて仕方がなさそうに笑う、懐かしそうで寂しそうな顔に、胸がひどく痛んだのを覚えている。
いなくなった人のことを、そんな風に笑えるようになれるまで、一体どれだけの年月をやひろさんは過ごしてきたのだろう。
「……大事な時間ですね。とても」
そういう時、わたしも叶うならやひろさんの隣にいたかった。いつもやひろさんがそうしてくれるように。でもきっと、やひろさんは一人の方が良いんだろう。胸の痛みが奥の方から蘇ってくる。
「と、いうわけで」
唯さんが一転、テンションの高い声で言う。
「今日の夕飯は私が作ることになりました」
え。
「……唯さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよ。お姉さんにまっかせなさい」
「それは任せちゃダメな人のセリフなんですよ」
「……実をいうとね、心臓がバクバクしてます。やひろくんに安心して欲しくて、ちょっとカッコつけたかも」
唯さんが珍しく整った顔に皺を寄せて、泣き言をいう。
唯さんはとても頼りになる人だ。
あんまり話をするのが得意じゃないわたしにいつも気を配ってくれるし、ちょっとしたことにも気づいてくれる。勉強の教え方も分かりやすい。お洒落さんというと違う気もするけれど、いつも服装も髪型も整えられていて洗練されている。そういうところも含めて格好いいお姉さん、なのだけど。
どうしてか料理だけは本当に苦手らしい。
料理以外は完璧なんて、なんだかアニメのヒロインみたいだけど、アニメみたいな殺人的な飯マズとかでは全然ない。普通に指を切ったり、炊飯スイッチを入れ忘れたり、なんというかもっと笑えないタイプ。
「……手伝いますよ」
「ううん、大丈夫だよ。美遊にこんな過酷なことはさせられないから。ゲームの続きでもしてて」
「過酷って……。普通の料理ですよね? 何作るんですか?」
「カレーライス」
「ベタですね。それならわたしも林間学校の時作ったんで、できますから」
「もう、いいのに。優しいねぇ」
のんきなことを言う唯さんの背中を押して、台所に連れていく。
少なくとも炊飯スイッチの確認役ぐらいにはなれるハズだ。そうすれば、前回みたいに夜の九時過ぎまでひもじい思いをすることなんてないんだから……!
§ § §
「ふぅ、なんとかなったね」
唯さんの危なっかしい包丁
「はい。怪我もなくて良かったです」
「ふふ、ありがと。美遊のおかげだよ」
「……いえ、大したことはしてないですから」
包丁を持たせてもらえなかったので、お野菜を洗うとかお米を研ぐとかぐらいしかしていない。
「ううん、隣で手伝ってもらえるだけでやる気出るの。美遊の為にも頑張ろうって。それに二人でするとお料理も楽しいよね」
「……それなら良かったです」
なんだか唯さんの言葉がこそばゆくて、返事が素っ気なくなってしまう。
とその時、唯さんのポケットから着信音が鳴る。
「あれ、やひろくんだ。もしもし?」
電話相手はやひろさんらしい。なんとなく邪魔しちゃ悪いなと思って、台所を後にしようとして、
「えっ!? 例の幼馴染、見つかったの!?」
唯さんの大きな声に思わず振り向く。
目を大きく見開いた唯さんの顔を見るに、本当らしい。
「ちょうどこのタイミングに帰ってきたってこと? すごい偶然もあるもんだね。うん、うん、それで?」
唯さんの嬉しそうな相槌からも、やひろさんの興奮具合がこちらに伝わってくる。
当たり前だ。胸の痛みとともに、やひろさんの懐かしそうで寂しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
そっか、そっか……。もうやひろさんがあんな悲しい顔をする必要はないんだ。良かった……。なんだか自分のことのように嬉しい。
唯さんもとろけるように優しい顔でやひろさんと電話している。唯さんもきっとわたしと同じなのだ。そう思うとますます胸が満たされていく心地がした。
そうして幸せな心地で唯さんを眺めていると、不意に唯さんの表情に緊張が走る。ちらとわたしに目を向けて申し訳なさそうな顔をして、背を向けて声を潜める
「……そうだね。今は出方が分からないし――」
そこから先はぼそぼそとしか聞こえない。
誰かが電話で重い話をしている時は、どうしてかすぐに分かる。昔はお母さんに電話がかかってきた時にそういう声になると、『何か悪いことがバレて学校に呼び出されるんじゃないか』といたずらに怯えていたのを思い出す。
でも今回については、なんとなくどういう内容か検討がつく。
何年も前にこっちの世界からいなくなって、ようやく戻ってきた異界帰郷者。
喜ばしいことのはずなのに、きっとその人の帰る場所はどこにもない。
「美遊、ちょっといい? やひろくんが代わってって」
「はい」
なんとなくの予想通り、でもあんまり心の準備はできないまま、唯さんからスマホを受け取る。
『あ、もしもし。美遊?』
耳に当てたスマホからやひろさんが話しかけてくる。電話越しの耳元で低い声を聴くと、否応なしに緊張が喉を締める。
「……もしもし、わたしです」
『美遊、少し大事な話があるんだけど、今大丈夫?』
つい小さくなってしまうわたしの声とは対照的に、やひろさんの声ははっきりしていて聞こえやすい。ゆったりと心地の良いリズムにメリハリの利いた発音。
やひろさんの声質は低く、とても男性的ではあるけれど、他の男の人に感じるような威圧感は感じない。穏やかな響き。聴いているとわたしの心臓はどんどんと鼓動を速めてしまう。
「……大丈夫です」
『前に話した俺の幼馴染のこと、覚えている?』
「はい、もちろんです」
『今日その子にまた会えたんだ。異世界から帰ってきたんだって』
「聞いてました。……良かったですね」
『うん、ありがとう』
少しだけ無音の時間ができて、スマホの向こうから微かに息遣いが聞こえる。
『それでね、その子にうちで暮らしてもらおうかと思っているんだ』
……やっぱり。
「……ですよね」
『もちろん、この後会って美遊が認めてくれるなら、だよ』
「……大丈夫ですよ。わたしのことは気にしないでください。そもそも、ここはやひろさんのお家なんですから」
やひろさんにとっては、とてもとても大事な人のハズだ。
『……ありがとう。でもね、今は美遊の家でもあるんだから、嫌ならそう言っていいんだよ』
「……でも必要ですよね? どこかで
『そうだけど、でもなんとかするよ』
軽率にも聞こえるその言葉を、穏やかな口調で力強くやひろさんは言う。
『美遊に居心地良く暮らしてもらうのも必要なことだよ。美遊が言うなら他の方法を考えるから遠慮なく言ってほしい』
優しいまま熱のある声。電話越しでもわたしに飛び火する炎。
『これから連れて帰るから、その子と会ってから話し合おう。それまで考えてもらえるかな』
「……分かりました」
『うん、お願い』
「あのっ」
電話を切ろうとしたやひろさんを止める。
『どうした?』
「……わたし人見知りで、確かに知らない人と一緒に暮らすのは怖いんですけど」
『うん』
あんまり上手く回らない舌で必死に紡いだ言葉を、やひろさんは丁寧に聞いてくれる。
「……でもわたし、やひろさんはその人と一緒にいるべきだと思うんです」
『…………』
静かに息を呑む音だけがして、少しだけ静かな時間が流れる。
その沈黙が少し怖くて、つい慌てて喋り続けてしまう
「だからその、とても前向きに考えているので……、そこまで心配しないでください」
電話の向こうから、小さく笑い声が返ってくる。
やひろさんはとびきり幸せそうな声で、
『……ありがとう、美遊。びっくりしたよ。美遊はそんな風に想っていてくれたんだな』
「おもっ……、からかわないでください」
『からかってなんかない。美遊にそう言ってもらえたのが、嬉しくて誇らしいだけだよ』
「っ……!」
耳元から、カアッと熱が広がっていく感触がする。
もうたえられない。
そんな艶っぽい微笑みまじりの声で『誇らしい』だなんて。
「もう、いいですからっ。とにかく気をつけて帰ってきてくださいね」
『あ、美遊――』
ボロが出る前に通話を切る。
スマホは沈黙してなお、熱を残していた。
§ § §
「美遊は本当に大丈夫なの? やひろくんの幼馴染と一緒に暮らすの」
鍋の具材が煮詰まるのを待ちながら一休みしようとソファーに座ると、唯さんが隣に腰かけてわたしに問いかけてくる。
唯さんまで……。
「……大丈夫、かは会ってないので分からないですけど。ここで暮らした方がいいとは思ってますよ」
「もし、嫌だったら私に言ってもいいんだからね? いざとなったら私が美遊のこと連れ出したっていいんだから」
「……それはちょっと」
やひろさんも唯さんも、ちょっと心配症すぎる。そんなに不満溜めてるタイプに見えるんだろうか……?
唯さんはじっとこちらを見たまま、わたしの手に手を重ねる。
「でも、怖いでしょう? 知らない人と一緒に暮らすのは」
「……それはそうなんですけど」
柔らかい指から唯さんの体温が伝わってくる。
本当は言うようなことでもないかもしれない。でも唯さんの気持ちに応えたくて、口を開く。
「……うまく言えないんですけど」
「うん」
「わたし今も、家が静かで誰もいないのが怖くて……」
「……」
暗く静かな玄関。
投げかけた声を飲み込んでいくだけの廊下。
日が沈んでも誰も帰って来ないリビング。
こうして言葉にすると、いまだにあの家の冷たさが指先の感覚を奪う。
「……時々わたし、学校からの帰り道で変になって、走って帰るんです」
「変になって、って?」
「……怖くなって、居ても立ってもいられなくなって。家に帰っても誰もいないんじゃないか、誰も帰って来ないんじゃないかって」
みんな、死んでるんじゃないかって。
ぎゅっと、わたしの右手が強く握られる。
顔を上げると、かすかに目を震わせながら唯さんがわたしを見ている。指先に少し熱が戻ってくる。
「でも当たり前ですけど、唯さんもやひろさんも帰ってくるじゃないですか、いつも通りに。その度にわたしの不安はただの妄想なんだって、繰り返し証明されていく。だから最近はちょっとだけ平気なんです」
「……そっか」
唯さんが顔をほころばせる。
「……そういう時間が、きっとやひろさんにもその幼馴染さんにも必要だって思うんです」
だってわたし達は同じだ。
やひろさんの寂しそうな笑顔がこんなにも胸に痛いのは、わたしの悲しみが胸の底の方から蘇ってくるからだ。
やひろさんにも幼馴染さんにも、あんな悲しい思いはして欲しくない。
「だから、大丈夫ですよ。仲良くなれるかは不安なんですけど、ここにいて欲しいって心から思うんです」
「……美遊」
「あ」
右手がやさしく引かれて、体ごと唯さんに抱き寄せられた。
「……美遊は強くなったね。自分の辛かったことを、他人への労りにできるようになった」
唯さんはそっとわたしの頭を撫でながら、耳元でつぶやく。
「美遊のそういうところ、私は大好きだよ」
「……っ、そうですか」
照れくさくって恥ずかしい。
でも唯さんの柔らかい体からじんわりと熱が伝わって、体の筋肉がほどけていく感覚が心地良くて。
だから今は離れず抱きしめられたままにしておこう。
ふふ、やっぱり唯さん大きい……。ふわふわで顔が沈み込んでいく感触がたまらない……。
心地よさに浸っていると、台所からアラームの音が鳴り響く。
「ああ、もう時間か」
お鍋の煮込み時間をセットしていたタイマーの音だ。唯さんが離れて立ち上がってしまう。……無粋なタイマーめ。
仕方なくわたしも立ち上がって、台所に向かう唯さんについていく。
「そういえば幼馴染さんもうちで晩御飯食べるんだって。さっき電話で言ってた」
唯さんがカレールーを溶かし入れながらつぶやく。
「……まぁ時間を考えるとそうなりますよね」
「『不味い、こんな家にいられるか!』とか言われたらどうしよう」
「……そんなに不味いこと、なかなかないと思いますけど」
というか、初日でそんなこと言い出すヤツはさすがに追い出した方がいい。
「……どちらかというと、量とか心配した方がいいんじゃないですか?」
「んー、一応お米も冷凍するつもりで多めに炊いてるから、大丈夫、じゃないかなぁ。女の子みたいだし」
「……女の子」
そういえばやひろさんも、『その子』って言ってたっけ。性別がどうとかは頭から抜けていた。
え、ということは、何年も前に生き別れた幼馴染の女の子で? 感動の再会を果たして? これから同棲生活?
……それはなんというか、あまりにも……。
「…………」
「どうかした? 美遊」
「……唯さん、そうい心配事もう一つありました」
わたしは強く決意を固めながら、唯さんにそう言った。
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