僕と君(たち)との暮らし-Ⅱ
甘奈の不機嫌は、リビングに入った途端に吹き飛んだ。
「ここ、これ、やひろ、これ……!」
テーブルに並んだ夕食を見て、やたら興奮してやひろの肩をしきりに叩く。
「な、何。どうしたの」
「なんだっけこれ! あの、ほら、出てこないんだけど……!」
「え、カレーのこと?」
「そうそれ! わあ、カレーだぁああ! え、いいの!? これ食べていいの!?」
「あ、みんなそろってからね?」
やひろの肩にしがみついてぴょんぴょん跳ねる甘奈の、あまりの興奮っぷりに、やひろの声が少し引いている。
「……葛持さんのところ、カレーもなかったんですね」
自分の分のカレーライスを運びながら、美遊が熱のない声でそう聞く。手に持った器は机の上に並んだものより一回り小さい。
「あ、美遊、だよね? そうなの! 本当に何年も食べてなくって……。あ、わたしのことは甘奈って呼んで! 昔からよく
「え、あ……」
甘奈の気さくな態度に戸惑っているのか、美遊は一瞬面食らった顔をして、
「……ずいぶん急に距離近づきますね。……でもまぁ、分かりました。……甘奈、さん……」
「んふー、よろしくね、美遊」
一見冷ややかにも見える対応の美遊と、そんなことは気にせずにこにことしている甘奈。
「……大丈夫そう?」
唯もそのやりとりを見ていたのか、やひろの傍まで寄って小声で話しかける。
「うん、大丈夫だよ。甘奈は昔から人馴染みのいい奴だし」
「再会したばかりでしょうに……」
苦笑いする唯だが、その声は柔らかい。
「……そういえばやひろ君、どうしてTシャツなの?」
「ん、ああ、ちょっと制服のシャツ汚れちゃって」
「ふぅん? 汚れたって――」
「ねぇ、二人とも! 早くご飯食べようよ!」
いつの間にかテーブルに座った甘奈が、待ちきれなさそうに声を上げる。
「あ、うん、冷めちゃうよね」
唯も特に未練もなさそうに、自分の席に着く。やひろも内心ほっとしながら甘奈の隣に座る。
「それじゃあ、いただきます」
「「「いただきます」」」
やひろのかけ声を追うように、他三人の声が合わさる。
「……なんか一人増えただけで、いつもの『いただきます』も全然違って聞こえるな」
「言ってることがおじいちゃんだよ、やひろ君」
「んんっ、美味しい~~~!! え、すごく美味しくない、これ? カレーってこんなに美味しいんだっけ!?」
「そ、そこまで言われるほどじゃないよ。えっと、甘奈さん、でいいんだよね。九年ぶりなんでしょ? それでじゃない?」
「むぐむぐ、ふんふん(口いっぱいにほおばりながら、頷いたり首を振ったりしている)」
「落ち着いて食べなね、甘奈……。あ、てか、ありがとうね唯、ご飯作ってもらっちゃって。ほんとにちゃんと美味いよ」
「そう? なんかやひろ君が作ったのと比べると水っぽいし、具は小さすぎだし」
「そんなの好みによるでしょ。自信持ちなって」
「……んっ!」
「ど、どうしたの美遊!? やっぱりなんか変だった!?」
「……いえ、ちょっといつもより辛かっただけです」
「あ、いつも美遊の分のルーは、別で作ってたから……」
「えぇ、嘘!? ごめんね、美遊! お水取ってくるね!」
「いや、悪い、伝え損ねた俺のミスだ」
「……大丈夫ですから。びっくりしただけです。これくらい食べられます」
「美遊……」
「次からわたしも同じので大丈夫ですから。ちょっとやひろさんは、わたしのこと子供扱いしすぎです」
「……と言いつつ、唇を必死に水で冷やそうとしてない?」
「………………」
「ごめんごめん、冗談だって。分かった、今度から俺らと同じ奴にしような」
「……分かればいいんです」
「もぐもぐ、にぎやかで、もぐ、楽しいねぇ、もぐ」
「のど詰まらせても知らないからな……」
気づくと甘奈の皿がもう半分近くなくなっている。めっちゃハイペース……。
「というか、そろそろちゃんと紹介してよ、やひろ君」
「ん、そうだね」
やひろはスプーンを置いて、軽く水を飲む。
「唯、美遊。こちらが俺の幼馴染みの葛持甘奈さん。前に話した小学生の頃神隠しにあった友達だよ」
「ん!」
甘奈は、頬張っていたご飯を飲み込んで、
「……はい、
「白魔道士って、魔法使いってこと?」
「うん! みんなの怪我治したり、体強くしたりするの。あ、怪我とかしたらすぐ言ってね! なんでも治せるから!」
「……ヒーラー兼バッファーって感じですかね。まんまゲームみたいですね」
「ばっふぁあ??」
「
「ほえ~。というか、二人とも普通に受け入れるんだね」
「元々話してたからね。それで甘奈、この子が掛替美遊さん。遠い親戚の子なんだけど、訳あってうちで預かっているの。今、中学一年生」
「……
椅子に座ったまま、美遊は再び深く頭を下げる。
「よろしくー、美遊」
「それでこっちが、俺のクラスメイトの途成唯さん」
「改めまして、
「うん、よろしくね、唯」
「今この家、俺以外の家族いないからさ、それで俺だけで美遊のこと見てるの不安だからって、時々うちまで来てくれるの」
「まぁ、そんな感じかな?」
「ふぅむ」
やひろは甘奈の耳元まで顔を寄せて、声をひそめて続ける。
「ほら、美遊も女の子だし、俺には話しづらいこととか色々あるでしょ? そんな理由」
「なな、なるほどね?」
そう返す甘奈の声がやけにうわずっている。この距離だとさすがに緊張するらしい。
やひろはそれとなしに身を引いて、もう一度水を飲む。
「それで美遊、唯」
意識して声の空気感を変える。
「さっき電話でも話したけど、二人さえ良ければ甘奈にここで暮らしてもらおうかと思うんだけど、どうかな?」
「…………」
すっと食卓が静かになる。
やひろは美遊と唯の顔を注意深く観察する。
美遊は小さく顔をうつむけていて、前髪に隠れて表情が見えづらい。唯はやひろと同じく、どちらかというと隣の美遊に注意を向けている。ふと、唯がやひろの視線に気づいた。
「……やひろくん、これで私が駄目って言ったら甘奈さんのことはどうするの? 親御さん、連絡取れないんだよね」
唯が真剣な顔つきでやひろをまっすぐに見る。
……これはどちらかというと、助け船なんだろうな。唯自身が気になっている訳ではないだろう。
「……近所に別で部屋借りて、そこで生活してもらうことになるかな。ここから歩いて行ける程度の距離に、親戚が持ってるアパートもあったはずだし。そこなら毎日様子見に行くとかしても、大した負担じゃない」
「……甘奈さんって、一人暮らしの経験あるの?」
「わたし? 完全な一人暮らしはないかなぁ。何もできない訳じゃないと思うけど」
「まあ、家事とかは、慣れるまでフォローした方がいいかな。でもそういうのは、やればなんとかできちゃうから。……問題あるとすれば、そういうんじゃないところかな」
「……そうだね」
一人で生活するっていうのは、一人で家事さえできれば良いわけではない。
やひろも唯も、それを良く分かっている側の人間で、『やってもなんとかできないこと』の心配が頭に浮かぶ。
「……やひろさん、唯さん」
美遊の熱のない声が静かに響く。二人の意識が美遊に戻ってくる。
「……心配してくれてありがとうございます。やひろさんには電話で言いましたけど、わたしは大丈夫ですから」
「美遊……」
表情を変えずに平然としたまま言い放つ美遊。けれど自分に向けられる、心配そうな視線がむしろ強まったのを感じたのか、バツが悪そうに少し表情をゆがめて、
「……違いますね、すみません。もちろん同じ家で生活する人が増えるのに、不安感はあるんですけど。なんか、甘奈さんは大丈夫そうかなって……」
そう美遊はそっと視線を上げて甘奈を見る。目が合ったのか、甘奈は『任せて!』と、にこっと笑って親指を立ててグッドサイン。
……力強い。
それを見て美遊は、『何やってんだこの人』とでも言うかのように、顔をしかめて目をそらす。
……この子も強い。
「まあわたしも、この人ほっぽり出して一人にさせるのに不安はありますから。一応仲間なんですし、一緒にいた方が何かあった時に良いですし。賛成します」
「ふふっ、じゃあ私も賛成で。よろしくね、甘奈さん」
ツンとぶっきらぼうに言う美遊と、引き締めていた表情を緩める唯。やひろもほっとして深く息をつく。
「二人ともありがとう。甘奈も大丈夫? 他の人がいることは考えてなかったんだと思うんだけど」
「うん、オッケー!」
元気な返事だ。こっちには一切の不安もなさそう。
「それじゃあ、改めて。ようこそ甘奈。これから一つ屋根の下、どうぞよろしくお願いします」
「うん、よろしくね!」
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