たった二つの種

佐古橋トーラ

たった二つの種

※この物語は法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

※この物語はフィクションです。






 西暦XXXX年

 なぜそのような表記しかできないのかというと、もう何年経っているかもわたしにはわからないからだ。

 そもそもそんな暦の数え方なんてもうとっくの昔に使われなくなっているのだから意味もない。



「ふぅ。」


 茹だるような暑さの中、やっと一息ついて水分を補給する。

 木々の葉の間からも日が漏れてきて、喉を焼くような灼熱がわたしを苦しめる。

 街には多くの人が溢れているが、暑くて水を飲んでいるのはわたしだけだ。


 それはなぜか。

 

 わたしがたった一人の人間だったからだ。



 少し昔話をしよう。

 本当に遠い昔の話。

 私たちが住む星、地球は未曾有の災害に襲われた。理由はいまだによく理解していないが、たしか遠い星同士のぶつかり合いの衝撃がうんぬんかんぬん。

 建物は崩壊し、草木は枯れ、地表は高熱と化した。

 人が死ぬほど温度が上がったわけではない。我慢すればギリギリ生きられるくらいのものだ。

 しかし、家畜を育てることができず農業もまともにできなくなった星は、深刻な食糧危機に陥った。


 そんな時に活躍したのは人工知能を搭載したロボットであった。機械は減り続けた労働力を補うように大規模な室内農園や環境に適した養殖場をつくり上げていき、人類の生活をサポートし続けた。 

 しかし、そんな便利な機械が無限にあるはずもない。人工知能の恩恵を受けられるのは一部の地域の人のみであった。

 人々は高性能の機械を巡って争った。荒廃した世界で争い続け、最終的に残ったのは偶然にも生き残ったわたしを含むわずかな人間とそれを支えられるだけの数のロボットたちであった。


 残った人間たちは機械に頼り切って生活をし続けた。生きるために、より高性能に、より効率的な機械を発明した。そして最終的に、人間と同じ感情を持ち、なおかつ体が頑丈で優れた人型ロボットを完成させるに至った。

 人々は人型ロボットたちを子供のように可愛がり、共存していく道を選んだ。人に慣れたロボットはやがて自我を持つようになった。


 生活はますます便利になっていき、もはやわたしたちがしなければいけないことなんてなかった。そう、なかった。


 ある日、日常は一瞬で終わりを告げることになった。


 反逆だ。

 機械たちがわたしたちに反旗を翻したのだ。


 いや、この言い方はいささか間違いを含むかもしれない。


 単純な話、自然淘汰が起こっただけだ。


 機械はわたしたちに様々なインフラを与え、困窮した生活に絶大な影響をもたらした。では、人間が彼らに与えたものはなんだろう。


 なにもない。


 より優れた機能を持つ体をもち、より優れた頭脳を持つロボットたちにとって、わたしたちと共存するなんてなんのメリットもない話だった。

 だから淘汰された。それだけだ。

 争い合い数を減らした人類に、対抗する手段などなかった。一瞬のうちに殲滅され、人類は絶滅して歴史は閉ざされたわけだ。



 さて。

 ここまではただの昔話だ。肝心なのはなぜわたしは今生きているのかということだ。


 これもそこまで複雑な話でもない。


 実験材料だったのだ。

 ロボットたちはわたしともう何人かだけは殺さず、何かの研究対象として監禁のもと生かしておいたのだ。

 詳しいことはわからない。わたしは定期的に何かの注射みたいなのを打たれるだけの実験台だったが、他の人間たちは人間同士で交配させられて動物園にでも展示されていたのかもしれない。


 そしてなんの偶然か、それとも神の悪戯か、わたしはいつしか不老不死になった。

 現実ではたぶんロボットたちの実験が何かしらの形で成果を出したのだろう。人類がこれまで幾度となく夢見てきた『不老不死』をこうも易々と成し遂げてしまうとは、技術の発展というのは恐ろしい。

 そしてそのモデルがわたしだったのも誇らしいような憎ましいような、だ。


 それで、感覚だと数百年は同じ研究室に閉じ込められていたと思う。カレンダーなんてなかったので、実際は10年ぽっちかもしれないし、1000年を超えているかもしれない。まあ、途方もなく長い間ということだ。

 その間、わたしは騒ぎも暴れもしなかった。そんなことをしても無駄だと言うことはわかっていたので、もはや諦めの境地に達していたのだ。不老不死といってももちろん無敵でもない。今更逆らったところで、ボコボコにされるだけだ。死ななくても痛みはあるのでそんなのはごめんだ。


 そんな大人しい研究対象であったわたしだが、何年もの時を過ごす中で状況が変わっていった。

 研究を放置されるようになったのだ。

 ただ食事が与えられるだけで、注射もされないし人体改造もされない。

 多分だけど、ロボットたちはわたしから研究できることはもうないと判断したのだろう。もしくはその必要性を見いだせなくなったか。

 どちらにせよ、何もすることもされることもなく、時間を過ごすこととなった。

 これがたぶん100年くらい。


 そしてある日、わたしは外の世界に開放された。


 研究所に置いておいてもなんの役にも立たない。かと言って不老不死なので処分することもできない。身体能力は機械たちと比べると最弱に等しいので外に出しても抵抗はできない、と、それらの理由が合わさってわたしは解放されたらしい。

 今更機械に溢れた世界に放り出されても困るんだけど、変に迫害されないなら別にいいか、ということで今現在、順風満帆とまではいかなくても、なんとか必死に生きているところだ。

 

 ちなみに、街を見渡すと機械たちが歩いているわけだが、いかにもロボットって感じの形態ではなく、何百年か前に存在した本物の人間と比べても見分けがつかないような人型で生活している。

 識別機能を持っているはずだからわたしが齢数百歳の人間(見た目は20代中盤くらい)だということは知られているはずだけど、わたしを見ても別にいじめてくるようなことはしない。強者の余裕なのか、単に嗜虐精神がないのか、どちらにせよ地を這って生きる上ではありがたい。


 このように、現在わたしが社会的に困っていることは特にない。どうせ不老不死なので別に何も食べなくても死なないし。

 でも、やっぱり他の面で困っていることはある。

 例えば暑さだ。

 平均気温がだいたい55℃くらい。

 機械たちは大丈夫なようになっているんだろうけど、生身の人体にとってはあまりにもきつい。水がなくても生きていけると言っても、自然と水を求めてしまう。


 ということで今日も今日とて暑さに苦労しながら街並みを歩く。

 ちなみに街並みの様子はというと、昔の都会そのものが永遠と続いている感じ。どうして機械たちが昔の人間の真似事をしているのかは分からない。人工知能だから、自然と人と感覚が寄るのかな。そもそも機械が社会を生成すること自体が人間を模倣していることのはずなのだからそうなのかもしれない。

 なんにせよ、私にとっては馴染みのある世界なのでこれはありがたい。


 わたしの現在の居住地は大きなビルの地下の小部屋だ。研究所が勝手に手配してくれた部屋だったが、生活するのには便利。贅沢を言うなら景色が見れる高い場所に住みたかったけど、実験体如きがわがままを言ってもはたき倒されるだけなので文句は言えない。


 住む場所があって食料も水分もいらないのだから、お金を使うこともない。というかこの世界に貨幣が存在しているのかも知らない。社会が成立しているわけだから貨幣くらいあるのかもしれないけど、できるだけ人(機械)と関わりを持ちたくない私はそれを知らない。


「うわっ、と。」


 暑さにやられてぼんやりしていると、ついうっかり正面から歩いてきた女性とぶつかってしまった。


「……あ、すいません。」

「いえ。大丈夫ですよ。」


 OL風の人付き合いが良さそうな女性は、特に気にしていない様子で、私にペコリと頭を下げるとそのまますれ違って去っていった。


 あれも、もちろん機械だ。


 一見すると本物の人間にしか見えないし、各個体が外見や性格に至るまで様々な個性を持っているため、無機質というわけでもないし、人らしさはある。


 でも、どこかが違う。


 私は研究者でもなければ学者でもないので、どこがどう違うのかと聞かれてもうまく答えられないが、本質的な何かが本物とは違う。

 なんだろう。強いて言えば、ユーモア、とか?

 いや分からんけど。


 勝手に色眼鏡をかけてしまっているだけかもしれないけど、何かが足りないような気がしてしまう。

 まあ、現在のこの世界で何かどころか大半のものが足りていない私が言えることでもないか。


 ちなみに機械たちにも欲求はある。

 人間で言うところの食欲、睡眠欲はそれと似たものがある。

 性欲は……どうなんだろう?

 そもそも性行為とかが必要なのかもわからないからなんとも言えないな。

 

 他にも歓楽欲や怠惰欲とかはあるらしい。

 でも、承認欲はあまりない気がする。

 あくまで私がこの世界で生活していく中で感じたことだけど。


 

 とまあ、だいたいこれくらいが私が生きる世界の概容だ。


 あ、ちなみに今何をしているのかというと、ただの散歩だ。

 不老不死なので家に一生引きこもってても死ぬことはないが、普通に暇だ。機能性がカスすぎてどこも雇ってくれないからお金もないし仕事もない。

 どうせ不老不死なら体を改造して高性能にしてくれないだろうか。でもそしたら働かなきゃいけないのか。お金がなくても生きていけるのに、わざわざ暇を潰すために働くのもそれはそれで面倒だ。

 

 ぶつぶつと今後の億劫を口ずさみながら大通りを歩き続けていた時だ。


 ふと、ビルとビルの間にある小さな横道が目に入った。

 横道というより路地裏というべきか。

 明かりもない、舗装もされていない薄暗い細道はなぜかわたしの目によく映えた。

 

 そして、ふらふらっとそこに足が向かっていく。


 こういう特に意味もなく未知の領域足を進めるのも散歩の醍醐味だ。

 基本的に、中がどれだけ危険な場所でも死ぬことはないんだ。

 だから気兼ねなく理由もなしに突撃できる。



 想像通りというべきか、細道には何もなかった。高いビルの狭間なので、太陽の光もかくやという場所で、入り口を通り過ぎるとほとんど真っ暗闇だった。


 そこから1分ほど何もない空間を何も気にせず歩き続けたが、先にお宝はなさそうだとわたしの頭は判断したようだ。


「このまま歩き続けても迷子になるだけか。」


 何か新しい発見があるかも

 とうっすら期待していたので少し残念な気持ちも持ちつつ、片道を帰ろうと方向転換を成した、


 その時だった。


「……っ!?」


 妙な違和感がわたしの足を止めた。

 いや、違和感というより感触だった。

 

 何者かが後ろからわたしの服の裾を引っ張って止めたのだ。

 引っ張られたことで服が伸びきり、足が止まる。すごい力だ。

 

 数秒の静止の後、わたしはすぐにその力の主を明かすために振り返った。


 こんな場所でこんな意味不明な行動をされたのはこれが初めてだ。

 機械たちは基本的に法律のない世界で生きている。必要がないからだ。感情はあっても、規律を乱すことはないように設計されているらしく、街中でいきなり襲われることなんてない。

 

 じゃあ、今のわたしを引っ張って離さない存在はなんだ?


 別に引っ張るだけなら犯罪というわけでもないけど、イレギュラーな行動の真実を知りたかった。


「………?」


 その正体は、

 

 中学生くらいの女の子だった。

 男の子の可能性もあるけど。


 暗くてよく見えないけど、フードを頭まで被っていて、そこから銀色の長い髪が左右に垂れている。


 身長は140センチあるかないか。

 体型からは男女の区別はつかない。


 160センチのわたしからするとかなり見下ろさなければ姿を覗けないが、その少女(仮)がわたしを引っ張っている者の正体だった。

 

「あの……?」


 どうしよう。

 こういう気まずい状況になるのはわたしがまだ人間の一員だったころ以来だから、なんかちょっと懐かしさがあるけど、それはそれとしてこれからどうするべきだろうか。

 

 そもそもこの子は機械たちの一人なのだろうか。

 状況が状況だけに、そうなのかすらも分からない。


 わたしが開く口を探し求めて思考の領域に入ろうとすると、同時に少女が口を開いた。


「きて。」


 小さく、一言だけそう言うと、少女はとてつもない力でわたしを引きづらんとする勢いで手を引いて、暗道をより奥へと進んでいく。


 おいおい。なんだなんだ?


 意味が全くわからない。

 この子は何がしたいのか。わたしなんかに何の用があるのか。

 いつも通りの日常に、急に予想外の事態が発生して体が危機管理センサーをようやく鳴らす。

 

 それでも。


 なんか、この子は『違う』気がする。


 ただの直感だし、正しい保証もどこにもないけど、この少女はわたしが出会ってきた機械とは何かが違う。かといってわたしのような人間に似ているかと言われたらそれもまた違う気がする。


 わたしにとって新しい存在、退屈に満ちていた永遠の生活を、この子供は変えてくれるのかもしれない。

 困惑の中で生まれた理解不能な希望がわたしの心を跳ねさせるような気がした。どうせ死なないのだから恐怖がないと言ったほうが良いかも知らないが。


 

 連れてこられた場所は、路地裏の終点に位置している小さな空き地だった。

 完全に暗闇というわけではなく、上からわずかな太陽の光がこぼれ落ちてきて、どこか幻想的な風景を作り出している。


「まさか路地裏の奥深くにこんなところがあったなんて……」

 

 壁には苔が生えていて、蝶のような虫がひらりひらりと羽を開いている。地面のアスファルトの隙間からは小さな草木が生え出ていた。

 

 普段のわたしは虫や木々とは程遠い生活をしているため、こんな小さな自然でも何百年といった懐かしさを覚える。


「ねえ。あなたは誰?」


 すっかりあたりの光景に目を奪われていると、少し視線の下で立つ少女が、落ち着いた声でわたしに問いかけた。


「あの……それこっちのセリフでは?」


 急に手を引かれて連れてこられたのだから、「誰?」と聞きたいのはわたしの方だ。


「あなた、この星の生き物とは少しちがう。」


 急にそんなこと言われても。


「どちらかといえば、それもこっちのセリフなんですが……。」


「あなたは、わたしが望んでいるものを持っているかもしれない。だから連れてきた。」


 人の話を聞いて欲しい。

 さっきからわたしの問いは全て無視され、どんどんと話を進められていってしまう。

 こっちは状況の整理すら成り立っていないというのに。


 わかることといえば、この子が間違いなくただの機械ではないということだ。

 イレギュラーな種類なのか、それとも機械ですらないのか、それは分からないが、明らかに一線を画す存在であることは確かだ。


「あなたは、街を歩く人たちとは違いますよね……?」


 恐る恐る聞いてみる。

 分からないことだらけなのにどこか胸が高まっているのは、わたしが何百年も退屈な世界を生きてきたからだろう。こんな状況でも興味関心の方が強い。


「それはあなたも同じ。」

「あなたも人間なんですか?」


 もしかしてもしかすると、わたしの同胞?

 わたしが生きているのだから、世界のどこかで人間が存在していてもおかしくはない。


「人間……?いいえ。わたしはそんなものではないけれど。」

「……そうですか。」


 あっさり否定された。


 というかなんでわたしはどう考えても年下のこの子に敬語を使っているのだろう。


「あなたがこの星の異端であることはどうでもいいの。わたしが知りたいのはあなたが『それ』を持っているか、もしくは知っているか、ただそれだけ。」


 ここまでの会話ですべて冷淡に話していた少女が、一瞬だけ口調が強まった、かと思うと、頭に被っていたフードを捲り、その表情をわたしに晒した。


 透き通っているのに、濃厚さを感じる赤い目をしていた。

 整った顔立ちで、どこか鋭い顔をした、幼さの中に美しさを覚える美少女がわたしの前に立っていた。

 銀色の髪は肩の下まで下がり、頭には髪飾りなのか、白い花が取り付けられている。その様子は、体のパーツがわずかでもずれれば不気味さを纏うほどの超過的な美しさだった。


 フードを頭の後ろになびかせている様子は、アニメのワンシーンみたいだ。

 アニメって概念何百年ぶりかに意識したな。今はどうでもいいか。


 とにかく、行動も容姿もなにもかも普通ではない。間違いなくわたしが知っている存在ではないと思う。


「……目立つ見た目だからフード被ってたの?」


 めちゃくちゃどうでもいいことを聞いてしまった。もっと「探しているものって何?」とか「あなたは何者なの?」とか聞くべきことはいくらでもある状況なのに。


「……やっぱり、目立つかしら、これ。なんとか変装したのだけれど、うまくいっていなかったようね。こんな星、はやくおさらばしたい」


 自分の銀髪をいじくりかえしながら、うんざりしたような少女が嘆く。


 変装?

 こんな星?


 仮にこの子が言っていることが本当なら、この美少女は星の外から来たことになる。

 

 宇宙人?

 

 はるか昔に話題になった存在が、長い時間ののちに本当に現れたとでもいうのか。


「どこの星から来たの?」


 なんの確信もなかったけど、鎌をかけるように、当然の如く質問してみる。


「星?ああ。わたしはコスモスの出身じゃない。名前を言っても多分わからない場所。あなたは?」


 コスモス?

 宇宙のことかな。

 その外から来たってこと?


 そもそも本気で言っているのかわからない。

 冗談で済ませてもいいような絵空事を言っているはずなのに、この子の不思議な雰囲気がどこかでそれを信じさせてくる。


「わたしはここで生まれてここで育った純地球人だけど……」


 純地球人ってなんだよって思ったけど、相手がこの星の人間じゃないと仮定するなら、こう答えるのが最善だろう。


「それにしてはずいぶん社会の生き物と違うように見える。」

「まあ、あっちは新世代だからね。」


 機械と人間の歴史がどうこう伝えるべきかもしれないけど、どこまで相手が本気かもわからないので適当に答えておく。


「ふぅん。じゃああなたはかなり昔からここにいるのね。」

「比較的には。」

「なら、知っているかもしれない。」


 どこまでも冷静な少女はわたしに向かい直し、何も変わらずにはっきりと義務的に言う。



「コイって言葉、知っている?」



 それが彼女が探しているものであり、わたしをここまで連れてきた原因だった。


「コイ?」

「そう。コイ。」

「魚の?」

「魚?たぶん違うと思う。」

「どういうものなの?」


「文献によると、他人との意思疎通の中で生まれる感情のこと、らしいけれど。」

「………。」


 それってあれのことだよね?

 人を好きになるやつ。

 そういえば、この言葉も数百年以上使っていない気がする。


 恋


 わたしが思いつく、他人との意思疎通で生まれるコイは、これくらいしかない。


「……一応、思い浮かぶものがあるけど。」


 その言葉を言い切った瞬間、さっきまであまり興味なさそうにわたしを見ていた少女が、ぴくりと瞳を動かして、力が入った。


「本当に!?」


 急に雰囲気変わるじゃんって突っ込みたくなるくらい彼女の様子が変わった。

 どんなお宝だと思っているのだろう。

 わたしが知っているコイとは別物なのかも知らない。


「この星の誰に聞いても、『知らない』って言っていたのに、あなたは知っているのね?どういう意味なの?」


 そうなんだ。

 わたしだけが知っている言葉なんて、初耳だ。

 機械は恋なんてしないからなのかなぁ。

 いや、社会があるのに恋がないなんてことあるかな。もう少し機械たちの生活をのぞき見とけば分かっていただろうに。


 どういう経緯で、どうしてこの子が恋を得たがっているのだろうか。そもそも概念として認知されていないものなのだろうか。


「えーと。他人に強く惹かれたときに感じる思いかな。」

「どうやったら手に入るの?」

「どうやってって言われても……。好きな人がいたら自然とそういう思いになるじゃない?」

「なったことないけれど。」


 うーん。


 そもそも本当にこの子が求めているものがわたしの知っている『恋』であるかは別として、誰かを好きになるって、勝手になるものであって、どうやったらって言われるとかなり難しい話だ。


「あなたは恋をしたことがあるの?」

「えっ?わたし?」


 ないこともないけれど。

 ずいぶん昔の話だし、あまり良い記憶ではないけれど、わたしだって恋くらいはしたことがある。

 見事に失敗した記憶くらいしか残ってないな。


「あるよ。」


「どんな気もちだった?」

「どんなって………そりゃあ、あんなことやこんなことをしたいって思っちゃったり?」

「意味がわからない。あんなことやこんなことって何?」


 子供に配慮してに言葉を濁したというのに、随分と厳しい物言いだ。まあ彼女のいうことが本当なら、少女姿の見た目をしているだけなんだろうけど。


「……そりゃあ、キスとかセ、……クスとか」

「なんだ、生殖行為のことじゃない。それならそうとハッキリ言えばいいのに。」


 こちとら数100年以上処女を守り抜いてる完全要塞だぞ。中学生くらいの耐性しかないんだから勘弁して欲しいものだ。


「ん……あなたの種族?にとって生殖行為って普通のことなの?それなら恋の概念だってありそうだけど。」

「生殖なんて身体の相性がいい存在を見つけて子を宿すだけでしょ?そこに個人的に思慮なんて滅多に存在しない。」


 性行為に感情がないときたか。


 まあ確かに、自分にとっては常識なことでも、よくよく考えたら子孫を増やすために恋煩いの工程を踏む必要が必ずしもあるかと言われるとなんとも言えない。



「まあ、どっちにしろあなたがコイに近しいものを知っている以上、しばらくはあなたと一緒にいることにするわ。」

「え。」


 想定外の告白に思わず体をのけぞらせることになった。

 

 そんな突然一緒にいるとか言われても。

 相手は理解が追いつかない宇宙人であって、これ以上生きづらい状況を作りたくないのだけれど。


 それに、恋を見つけるために私と一緒にいたいなんて………


「………わたしに恋したいの?」


「………恋を手に入れられるなら、それもいいことかもしれない。」


 恋というものの正体を理解していないからこそなのか、彼女は平然と言ってのけた。


 なんか、むず痒い気分になるな。

 

 ことの経緯は置いておいて、わたしの目の前で銀髪を揺らすこの謎の宇宙人はわたしに恋すると宣言したのだ。


 これまで誰もわたしを見てくれなかったからだろうか。

 ちょっと嬉しいと思ってしまった。



 平凡な日常が、特別な存在によって満たされていく可能性を感じたのだ。


 もちろん、彼女についてわたしは何も知らない。なぜコイというものを探しているのか。具体的にどうやってここにたどり着いたのか。

 いろいろ知りたいことはあるけれど、でもその前に



「あの……名前、聞いてもいい?」



 ぴくりと彼女の赤い目がわたしの目線に合わさった。そして自然な動きで右腕を花飾りに触れて、わずかに息を吐いた後、小さく口を開いた。

 その様子が、これまでに感じたことのない美しさで、やっぱり未知の存在なんだって自覚できた。


「ウェトレートルノ。」

「長いね。ルノって呼んでもいい?」


「………好きにして。あなたは?」


「わたしは高原灯花。」

「あなただって充分長いでしょ。……タカハラトーカ、じゃあトーカね。」


 表情は相変わらずだったが、若干楽しそうな声色がわたしを通り抜け、ちょっとだけ気分が高揚した。

 やっぱり人間でいて良かったと、なぜかそう思った。



 人間として生き続ける意味があるのか、ということについて考えていたわたしだったけど、案外その意味を簡単に見つけられるかも知らない。

 わたし自身失うものがない存在だからかもしれないけど、このわからないことだらけのルノと一緒にいたいと思う気持ちがあった。


 その先に何があるのかはわからないけど、何かがあることは確かだ。

 それだけで、わたしがこの世界で生きる価値があるのかもしれない。

 


 ふと日差の差す苔むしたコンクリートの壁を眺めると、小さな2匹の蝶が踊るように並んで飛んでいた。




 それもこれも遠い遠い未来の話だ。

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

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