第10話「月に宿すは十五の祈り~菊月③~」
昔から病弱だった小夜の体調が悪化し、命の灯が消えようとしているのに気づいて視界が揺れたのです。
『景春さん、泣かないでくださいな』
『すまない、小夜』
『……最後の最後まで、景春さんは』
『小夜?』
『私は愛してましたよ。だからいつか景春さんにも……』
そう言って小夜は散り際の桜のように淡く微笑むと、ゆっくりと目を閉じたのです。
『小夜……? 小夜!』
小夜は帰らぬ人となり、それを痛感してはじめてさみしい想いをさせていたと知ります。
孤独を感じながらも小夜は一度たりともすがらなかった、それがなおさら景春様を責め立てました。
結局、何を言っても慰めにさえなりません。
小夜を大切に思いながらも、それは人として好きであり、あくまで情でした。
女として愛してはいなかったのです。
自身の気持ちが明確になったからこそ、あの寂しそうで生きづらそうな顔が浮き彫りとなり、忘れられないものとなりました。
「小夜を失ってから俺はずっと腑抜けていたそんな俺を見かねた親父がここへ来る手はずを取った。言われるがままにこの見世にきて、お前に出会った。だがな、やさしくするのは違うと思った。でも放ってはおけなかった」
自分が愚かだと笑い、景春様は私の目をまっすぐに見つめてきます。
きっと、景春 様にとって小夜という存在は大切だったのでしょう。
そして寂しい想いをさせていたことを深く後悔しています。
それを私に重ねたのかもしれません。
あぁ、なんとひどい話でしょう。
景春様ほど鬼畜な殿方はいないのではないでしょうか?
そんな未練がましい懺悔のような話を聞いて、私が抱く感情は醜きもの。
小夜に嫉妬するしか私が持てる感情はありませんでした。
頬に涙が伝うと、景春様の目が大きく見開かれます。
私は悔しくなって乱暴に顔を拭って、嗚咽をこらえようと唇を噛みました。
私もまたさみしかったのです。
ただ愛してほしかったと、景春様の瞳に熱く映ることが出来たならと思ってしまったのです。
私は小夜にはなれない。
結局、苦しいだけで終わってしまうのがこの恋なのかもしれません。
いまさら報われない想いに気づき、身も心もズタズタに引き裂かれます。
愛を知ってしまえば生きにくくなるというのに。
景春 様はずるいお方です。
散々冷たい態度をとったくせに、弱った私にやさしくしてくるのだから。
まるで隙に付き込む意地悪い針のようなお方です。
「この話をして、お前に泣いてほしいわけではない」
「景春さま……?」
息をのみ、かすれた声が耳元をかすめます。
顔を引っ込ませると、泣きそうな、だけど艶を含んで微笑む景春様がおりました。
「認めてやれ。お前は頑張っている。だが強いことは甘えないことではない。誰かを頼ることが自分を強くすることもあるし、相手を強くすることでもあるんだ」
くいっと顔を持ち上げるように頬を包まれました。
まっすぐな眼差しに私はもう逃げられませんでした。
「お前は強い。だからたまには面をはずせ。お前はお前を愛してやれ」
誰かに愛されることが怖かった。
自分が自分を愛していないのに、誰が私を愛してくれるのかと。
誰かに甘えたら負け。私は私の軸を揺らすわけにはいきません。
……本当はいつも心は叫んでいて、素直になれない私がまわりに嫉妬していただけのこと。まわりを見下すことで自分を保っていたのです。
私は誰よりも自分を愛していませんでした。
だから姉女郎を含む間夫を作る女郎たちの気持ちがわからなかったのです。
何故自分の内側を曝け出せる、怖くはないのだろうかと……。
――あぁ、でもきっと……。それさえも越えて想いが募ってしまったのだろう。
苦しい。
だけどいとおしい。
私は、景春様が欲しい。
この人の心がほしい。
景春様の前で少しずつ私は私を愛して、許して、認めてあげられるかもしれない。
今は自信がないとしても、私は私のために一人の女になりたいのです。
だから景春様の頬に指をすべらせるのは必然でした。
「景春様。抱いてほしい」
そっと景春 様の薄い唇に自身の唇を重ねます。
彼もまた私の気持ちに応え、私たちは畳の上に倒れていきました。
暴き、暴かれ、恋焦がれ、蕾のままだった私は花を咲かせていく。
この苦界で愛を知ってしまった私はこれから生きにくさを痛感するだろう。
それでもいいと思えた。もう心を知ってしまったから。
私が私でいてもいい場所。
あぁ……私は、やっと……。
熱い抱擁の中、私は少しずつ自分を愛していけるような気がしたのでした。
灯籠の炎がゆらゆら揺れて、汗ばんだ肌を重ね合わせて息を吐きます。
ほどけた髪が肌にはりついて、それを景春様が一束すくって唇をおとします。
「お前を身請けしたい」
息が止まるかと思いました。
まっすぐに想いをぶつけてくる景治様に目を奪われ、喉が焼けてしまいます。
これまで見たことのないほどにやわらかい眼差しが私を見つめておりました。
「親は説得する。だから少しの間待ってほしい。お菊、お前がほしい」
なんてずるいお人。
そんな風に言われて断れる女なんていやしません。
私はこの人を受け入れたい。
私のすべてを捧げたい。
はじめてそう思えた人。
何よりもいとしい私のただ一人の男。
この欠けた月が満たされていく。
私もまた彼の欠けた部分を満たしていきたいと願いました。
「はい。お待ちしております。……景治 様をお慕いしております」
これが最初で最後の恋になるだろう。
私が面を外し、いつか心から笑えるようになったとき、隣にいるのは景治 様であってほしいと、そればかりを月に祈るのです。
それから私たちは何度か逢瀬を繰り返しました。
苦しい痛みはありましたが、それ以上に満たされていく想いを知りました。
ですがいつまでも私たちの逢瀬は続くことはありません。
異様な吐気やふらつきが私の身体を支配したのです。
あまりにもおかしいことに気づき、療養を兼ねて私は見世からしばらく離れることとなりました。
そこでわかったのが妊娠です。
楼主におろせと言われましたが、必死に抵抗して赤子を生む決意をいたしました。
景治様に告げることもなく去ることとなり、一人空を見上げ、そこに浮かぶ月をみて景治様を思い浮かべました。
その直後、陣痛がはじまり私は赤子を産みました。
輝かしい満月のような美しい男の子でした。
霞む視界の中、そのお顔がどことなくいとしいお方に似ているような気がして、私は肺を膨らませることの出来ない呼吸を繰り返して涙を流すのでした。
「姐さん。血が……血がとまらないんです」
出産に立ち会った禿が大粒の涙を流し、私の手を握りしめてきます。
それを握り返す力もなく、開いた障子扉の向こう側に見える白く溶けだした月を見つめます。
「……十五」
「えっ?」
「この子の名前は十五。満月のように、いつか誰かの心を満たせる子に……」
「……姐さん? 姐さんっ!」
もう、視界には何も映りませんでした。
堕ちていく意識の中、私は最後にいとしいあの方を思い浮かべます。
結局、愛してると言いながら私はひとり、月を見ておりました。
甘いささやきの結末をずっと見てきて、わかっていたというのに私は沼にハマってしまったのです。
「……お菊っ! お菊っ!」
月が魅せる幻惑に酔い、私は目を閉じます。
あぁ、いつか……。
私たちが何の障害もなく愛し合えることを。
ふふっ……。そんな時代、ありえるはずがありませんね。
この苦界。
弱音を吐いたら生きられなくなる世界なのです。
私は溺れたのです。
これがその結末。
熱い口づけは、息を止めるものでした。
十五の夜、月に魅せられ私はゆきます。
再び会えることが出来るならば、どうか息をつけるくらいに甘さをくださいね。
【⠀菊月編⠀】 終
願わくば、再びあなた様と熱い口づけを 星名 泉花 @senka_hoshina
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