第9話「月に宿すは十五の祈り~菊月②~」

ある夜明けのこと、突如聞こえてきた悲鳴を耳にし駆け寄ります。

多くの女郎が集まっており、私はそれをかき分けて奥へと進みました。


ひゅっと息が逆流し、喉を斬りつけます。

お香の充満した部屋、血まみれになった男女の遺体。

女の喉から血が流れ、男は腹に刀を突き刺したまま亡くなっていました。


男が女郎を殺した後、自害したという状況にしか見えないが……。


「あぁ……なんてこと」

「……また、なのね」

「菊月?」


あぁ、目眩がする。

どいつもこいつも色恋に溺れて簡単に自分を捨てていく。


まるでそれが幸せだといわんばかりの顔してみんな笑っていられるのか。

どうして誰かを愛することができる。愛される自分の姿なんて見えやしない。


これは一方的な男の行動ではありません。

最後に女を抱きしめようとした男の倒れ方、満たされた女の微笑み。


腹が立つ。

上へ上り詰めても満たされない。


唇をギリッと強く噛み、紅を上書きしてその場を立ち去りました。


その夜、景春 様が何食わぬ顔で訪れたものだから、私の苛々は中々収まりません。

八つ当たりのような気持ちです。

とはいえ、景春様には無関係のことのため、私事だと表に出さないよう笑みを作りました。


いつも以上に化粧を厚く塗り、笑顔を貼り付けて景春 様に近寄ります。


「そんな顔で近づくな」


ぎゅっと鼻をつままれ、一瞬にして繊細さに触れて身が震えます。


たかが拒絶だというのに、張り詰めた心をスッと撫でられて目元が熱くなりました。


女郎として生きてきた自分を否定するように思えて、グッと涙を引っ込めて景春様の手を振り払いました。


「……腹が立つ」


そんな私の感情なんてものは景春様にとって簡単に見透かせるほどにむき出しなもの。


表情を険しくして私の肩を押し、畳の上に倒してきました。

かんざしで飾られた髪が乱れ、景春様がためらいもなく飾りを奪っていきました。

髪をほどいた手が降りていき、輪郭をなぞって唇に人差し指があたりました。


「お前はいつもつまらない顔をしている」

「なにを……言うんでありますか」

「だからつまらないんだ。面ばかり付けていて、お前はどこにもいない」

「……だったらなんですか」


あぁ、腹が立つ。

むかむかする。


張りつめていた糸が切れる音が聞こえたと思えば、もう私は激流と化した感情を抑えることが出来なくなりました。


「こうでもしなきゃ生きていけない! 本当の私なんてとっくに死んじまいましたよ! ここで生きていくには仮面をかぶっていかなくてはなりません! 誰がっ……! 誰がこんな私を受け入れてくれるというのですか!」


間夫に入れ込んだ女郎たちみんながて幸せそうな顔をしていました。


本当に男たちが私たち女郎を愛しているとでも思っているのだろうか。

誰一人私たち女郎を同じ人間と見ていない。


ただ女としての機能を求められているだけ。

私たちの心はどうでもいいのが本音ではないでしょうか。


そうなれば自分で自分を守らなくてはならない。


誰も守ってくれない。

愛し愛されての関係なんぞ夢のまた夢。


私たちの役割は偽りの愛をささやく事。

身体は道具のように扱われ、心は偽って笑うばかり。


そうして壊れてしまう時を待つばかり。


男には極楽浄土、はたまた女には地獄。

それが私たちの生きる世界なのです。


「だからお前はつまらないんだ」

「まだ言うか、この鬼畜」


とりつくろう必要ももうないと、焼けた喉で言葉を吐きだします。

あいらしき女を捨てた私に景春様は物思いに沈んだ微笑みを浮かべます。


いつも不愛想な人のため、そんな顔も出来るのかと身震いしました。


「お前をはじめて見たとき、生きづらそうな面をしてると思ったんだ。関わってみれば尚更そうだと思った。お前は誰よりも愛に飢えている。そうではないか?」


「私は……私はっ……!」


やめて、聞きたくない。

まるで心がある娘のようだと言わないで。

見ないで、その瞳に映るのは何も知らぬ乙女と化しているのだから。


認めたくなかった。

姉女郎は間夫のことを語る時、おぼこい娘の顔をしていました。

頬を薄紅色に染め上げて、嬉しそうに目を細めて笑うのです。


同時に姉女郎は隠れて泣いていることもありました。

悲しい想いをするのに幸せそうに笑う姉女郎がわからなかった。


間夫なんて作ってしまったらこの苦界では生きにくくなるとわかっているのに、どうして簡単に愛をささやけてしまえるのかと。


私は間夫なんて作らない。

自分ひとりで生き抜いてみせる。


そう思ってこれまで生きてきました。

それが私の誇りであり、自信でもありました。


なのに涙が出るのは、景春様が言うようにさみしかったのだろうか。


姉女郎に嫉妬をしていたのかもしれない。

誰かを愛する喜びを知り、心は娘であり女になったのを誰よりも……。


「……ひとつ、俺の身の上話でもしてみようか」

「景春様の……?」

「気が向いただけだ。聞き流して構わない」



そう言って景春 様は私の隣に寝ころび、勢いをつけて私の身体を抱き寄せてきます。

温もりに目を閉じ、やさしく後頭部を撫でられることに身を任せるのでした。


「俺には許嫁がいた」

「許嫁……」

「小夜という娘だった。身体の弱い娘で、あまり外に出る事がなかった」


親同士が決めた結婚であり、幼い頃から仲良くしていたそうです。

景春様なりに大切にしようと思っており、それが出来ていると自負していたと。


ですが実際は小夜を一人にすることが多く、寂しい想いをさせていたと景春様は皮肉そうに笑います。


そんな思いをさせていたと気づいたとき、もう手遅れだったのです。


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