第7話「火の女と烙印を押された花 ~あざみ④~」
「コウ、さん……」
「……すまない、あざみ」
煌之介は燃える松明を地面に落とし、一筋の涙を流して私の前へと歩み寄ります。
ふらつく足取りの煌之介を支えるように抱きしめます。
喉の奥がつまる想いで、煌之介も同じように私を抱きしめてくれました。
「あいつらの幸せを奪ったこの見世が、この廓が許せなかった」
煌之介がはじめて見せた涙、まるで泣き方がわからないと不器用なものでした。
本来ならば葵の水揚げの日、十五が炎の中で葵を連れ出し、この苦界から抜け出すはずでした。
だが十五は死に、その夢物語は叶わなかったのです。
取り残された私たちには虚しい想いだけが残りました。
私たちが抱き合っている間にも火は燃え広がり、あたりをゴォゴォと包んでいきます。
火に見世の者たちが気づくと、悲鳴や怒声が飛び交うようになりました。
誰も救われない嘆きのなかで、私の心は定まります。
これがこの苦界で生きた女郎の抵抗劇だと思えば、火の女として生きた甲斐があるというもの。
私は煌之介を突き飛ばし、落ちた松明を拾うと大きな声で叫びました。
「すべて燃えてしまえばいい! こんな苦界で生きるくらいならば燃えてしまえ!」
「あざみ……」
目を見開き地面に座り込む煌之介へ、精いっぱいのやさしい微笑みを贈ります。
炎は容赦なく大きくなっていき、視界は揺れ、呼吸も乱れていきます。
溢れ出す涙を拭い、煌之介に背を向けて言葉を吐き捨てました。
「こんな炎の中なら一人や二人、女郎が消えてもおかしくありません。さっさと行ってくださいな」
人はこれを愚かと言うだろうか。
好いた男を生かすために、すべての罪を背負って焼けて死のうとしているのですから。
泥のなかに沈むよりはよっぽどマシだと私は火の粉を浴びて燃えていきます。
「あざみ!!」
煌之介が私の手を掴み、握りしめます。
熱さのなかで温もりを感じてしまえば涙が出そうになります。
「お前さんも行くんだ! あざみ!」
その言葉だけで私はまだ希望を持てました。
火の女と罵られ、誰の視界にも入らず、孤独に死を受け入れるしかない人生だと思っておりました。
あの黒いどぶの中で人生を終えていたはずの私が誰かを愛して、愛される喜びを知ることが出来たのです。
だから私の選ぶ道は間違っていないと誇りを持てるのです。
心が揺らぐ前に煌之介を振り払い、松明を持って駆け出しました。
見世の外に出ると、火事から避難した楼主や女郎たちが立ちすくんでいます。
それを見て私は無理やり口角をあげ、松明を持った手を振り回し、言葉にならない叫びを発します。
狂った女と思うがいい。
甲高い声で笑いながら見世の中へと戻っていきます。
前も後ろも炎に包まれ、私は手に持っていた松明を落とすとその場に崩れるように膝をつきました。
大きな亀裂の入る音が聞こえ、私は天井を見上げます。
天井は崩れ落ち、火をまとった板が容赦なく私に降ってきます。
あぁ、これで終われる。
火の女として、本当に燃えてしまうのです。
火消しの男を愛せたこと、それが私の執着のような想いでした。
「あざみ」
呼吸がままならなくなった頃、背後から抱きしめられます。
「コウさん? どうして……」
焼けた喉ではまともな声も出ません。
カスとなった声で名を呼び、前にまわされた手に触れてみます。
「好いた女を一人には出来ねぇよ。すまない、俺のせいで」
「いいえ……いいえっ! 」
突き放せない。
この恋の終わりはともに燃えていく。
人はこの恋を泥沼と言うだろう。
生きてほしいと願うのに、最後の抱擁に欲をかいてしまいます。
なんと最低で、愚かな女だろう。
愛する人を道連れにする卑怯さ、傲慢さ、どうかお許しください。
「愛してます。あなたに出会えて良かった」
その言葉を最後に、私たちの間に言葉はありませんでした。
一瞬だけ唇を重ね合わせ、私たちは微笑みあうとそっと目を閉じます。
再び天井が崩れ、火の粉が舞い散りました。
炎は見世全体を包み込み、結果として全焼してしまう大火事となりました。
一人の女の狂乱として起こった火事とされ、真相はすべて炎の中に包まれます。
火消しの男と、火の女の恋は誰にも知られることなく燃えていきました。
後に語れることもなく、一人の女郎を残して炎はすべて飲み込んだのです。
これが火の女と呼ばれた女の燃え盛る炎のようなひと時の恋でございました。
あざみ編【完】
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