第6話「火の女と烙印を押された花 ~あざみ③~」



葵の身体から折檻の跡が消えた頃、楼主から葵の水揚げの日取りを聞きます。


本来ならば二人の夢物語を叶えるために動いていたかと思うと、胸が張り裂けそうになりました。

それほどに二人が幸せになる道は希望を託されていたのです。


葵が水揚げされる日の前日、私はぼんやりと格子の向こう側を眺めていました。

もう幾日も格子の向こう側に煌之介は現れません。


私の恋も消されてしまったのだろうか。

いいや、この燃え盛る炎のような熱い想いは簡単には消えてくれない。

喉の奥が熱くなり、苦しくなって涙が溢れそうになります。


言葉を交わさなくてもいい。

ただ姿を見ることが出来ればそれでいいのです。

縋るように両手で格子を掴み、額をあてて固く目を閉じました。


「あざみ」


そんな私の手に、大きく包み込むようなやさしいぬくもりが重なります。


顔をあげると恋い焦がれた煌之介の姿がありました。

涙がポロリとこぼれおち、少し疲れた微笑みに私は目を細めて濡れた息を吐きます。


「コウさん」


しばらく見つめ合い、手と手を重ね合わせます。

いつのまにこれほどこの温もりにこうも焦がれていたのでしょう。



それから部屋へと移り、私たちは向かい合って畳の上に座ります。

煌之介は喉元に手を当て、しばらく黙り込みます。


言葉に悩んでいるのかもしれません。

口を開いてから言葉が出てくるまで少し時間がかかりました。


「しばらく来れずにすまなかった」

「いえ、あんなことが起こってしまいましたから……」


十五が死に、計画は泡となって消えました。

煌之介にとって十五はかけがえのない友人であり、失ったショックはあまりに大きいものでした。


傷心状態の煌之介に覇気がなく、以前よりも痩せてしまったのか、少し頬が痩けておりました。


この情けなく燃えてただれた女が何を言えるのでしょう。

慰めにもならない、無力さに拳を握りしめ、畳の数を数えます。


そんな私の手に煌之介は手を伸ばし、そっと上から重ねてくれたのです。

まるで泣くのをこらえているようでした。


「俺は……。あざみ、お前さんを利用していた」


その言葉に私は静かに頷きます。

煌之介が何のために私と馴染みになり、この見世に出入りしていたかに気づいておりました。


いつ見世にいてもおかしくないよう、馴染み客として見世に入り込むのが目的だったのでしょう。


その相手として煌之介の同情を買ったのが私だった、それだけのこと……。


それをわかって私は煌之介を愛しました。

煌之介の言葉があったからこそ、顔を上げて生きていけるようになりました。


利用されてても良かったのです。

煌之介の目に私が映るその瞬間さえ見れればそれで良かったのです。


私は頬に涙を伝せ、煌之介をすくい火傷のない頬にあてます。


この熱い手が私を引き上げてくれたのです。

どぶの中で生涯を終えるはずだった私の生きる希望となっていました。


「私はコウさんと出会えた。それだけで幸せをいただきました。それで満足でございます。今までありがとうございました」


私の言葉に煌之介はくちびるをきゅっと結んで首を横に振ります。


「本当はお前さんではない女と馴染みになるはずだった。だが俺はお前さんを選んだ。俺にはお前さんが生きたいと叫んでるように見えたんだ。もがくお前さんを見て、馴染みになると口走っていた。……そのことに後悔はない」


煌之介が手を伸ばして私の身体を強く抱きしめます。

耳元に煌之介の熱い吐息が触れます。

たとえ同情でもいいと。震える想いで抱擁を受け止めておりました。


「お前さんの笑った顔が好きだった。お前さんに笑ってほしいと願った。その気持ちに嘘偽りはない。……俺はあざみ、お前さんを愛してしまったんだ」


煌之介の肩を押し、顔をのぞいてしまいます。

言葉をすんなり理解できずにいると、煌之介は触れるだけの口づけをしてきました。


溢れ出す感情をおさえられず、熱い雫が瞳からこぼれます。

力の入らない震える指先を煌之介の背中に回し、装束をくしゃりと握りしめました。


この苦界の中で私が生きていける場所があるとは思っておりませんでした。

誰かに触れられることに怯え、自分を卑下し、俯いてばかりの人生。

そんな私が愛した人の瞳に映り、愛を告げられる奇跡に涙を流さずにはいられません。


力いっぱい手に力をこめ、すがりつくように煌之介を抱きしめ返し、叫ぶように声をあげました。


「私も、愛していますっ……。コウさんを、愛してます!」



煌之介の手が私の前髪をかきわけ、火傷の跡に触れてきます。

そこに優しい雨のような口づけがたくさん降ってきました。


流れるような動作で私たちは畳に倒れ込み、互いを求めるように荒々しく唇を重ね合わせます。


衣擦れの音、荒い呼吸、チリチリと音を立てて揺れる行灯の炎。


一つ一つの音が愛おしく耳に残りました。

それが苦界で、私が女でいられた時間となりました。


それから煌之介と結ばれた私は女として幸せを噛みしめ、廓から去る煌之介を笑って見送りました。


空を見上げると、いつもより大きく赤みがかかった月がこの廓を照らしておりました。

乱れた髪から簪を外すと風が私の長い黒髪をなびかせていきます。



そしてついに、葵の水揚げの日が訪れました。

夜の見世がはじまろうとし、女郎たちが己のいくべき場所へ慌ただしく駆けだします。


私もまたその場所へ向かっていきますが、妙に胸がざわついて道を戻りました。


その違和感の原因にたどりつくと、パチパチと火花が弾ける音と焦げ臭さの充満する場所にたどりつきました。


見世の片隅で炎が燃え盛り、その中心に昨日別れたばかりの煌之介の姿がありました。


昨夜の乱れた姿のまま炎の前に立つ煌之介の目は悲しげに揺れており、手にもたれた松明が轟々と燃えておりました。

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