第5話「火の女と烙印を押された花 ~あざみ②~
煌之介の言葉に嘘偽りはなく、この出会い以降、定期的に私の元へ通うようになりました。
ただし肌は求められず、月を見ながら酒を飲み、言葉を交わす。
そんなゆったりとした時間を過ごしておりました。
気さくで明るい煌之介に心を奪われるまでさほど時間はかかりませんでした。
私も笑うことが増え、以前のように俯いて卑下することは減っていました
張見世に出ても、格子の向こう側に彼が現れるのを待つ。
気づけば彼に期待して、ぼんやりと夜に灯る通りを眺める日々が続いたのです。
ある日のこと、まもなく夜の見世が始まろうという時間に下男に引き留められます。
「あざみさん。今日は表に出なくていい」
「十五さん?」
昔、看板となっていた花魁が命に代えて産んだといわれる子供、それが十五でした。
その容姿は母に似て神々しいほどに美しく、見世の女郎たちは競うようにして十五に色仕掛けをするほどに。
まったく揺らがない十五でしたが、私は十五が誰を想っているのかを知っています。
葵という名の、将来を期待される一風変わった娘です。
よく二人が会話しているのを見かけ、葵を見る十五の目がやさしいことに気づきました。
報われない恋だと眺めていたが、今は他人事ではないのだと息をつく。
私もまた、実らぬ恋をしているのだと湿った唇をなぞります。
楼主に厳しくされても十五は堅実に仕事をする、決してあきらめないと汗をぬぐい、葵を見かけては口角をあげていました。
私は関わらぬ身だと、一線を引いておりましたが十五に声をかけられ、珍しいこともあるものだと驚き、間の抜けた声が出てしまいました。
いつもはピリピリする女に、十五は目を丸くして拍子抜けしたと言わんばかりにクスッと笑ってきたので、恥ずかしさに上目に睨みます。
「見世に出なくていいとはどういうことでしょう?」
「馴染みの火消しの男がいるだろう。その男が客として来ている。すでに部屋には通してるからそちらに行ってくれ」
火消しの男、その言葉だけで胸が高鳴るのがわかります。
「コウさんが……わかりました。すぐに向かいます」
そう言って私は緩みそうになる頬を抑えながら足早に部屋へと向かいました。
こうして歩くさまはただの恋する娘になれたようで、足取りは軽いものです。
だが後ろを十五もついてくるので、違和感に首を傾げながら口を閉じて襖を引きました。
顔をあげた先に煙管を手に煙を吐き出す煌之介の姿があり、思わず口元がゆるんで胸があたたかくなります。
すぐにでも煌之介に触れたいと一歩踏み出すと、私より先に十五が通過します。
なぜ、十五までも不思議に思いながらも中に入り、そっと扉を閉じました。
薄暗い部屋の中で行灯のあかりがゆらゆらと揺れます。
私は十五の少し後ろで膝をつき、煌之介が口を開くのを待ちました。
煌之介は煙管を手放すと、畳の面をなぞるように指を滑らせ、凛々しく微笑みます。
「あざみ、来たぞ」
「コウさん、お越し下さりありがとうございます。とても嬉しいです」
そこまで口にして浮かれすぎたと口元を指先で隠します。
言葉は消えいるようにして溶け込んでいきました。
顔に流れてきた髪を耳にかけて直し、どの位置に座ろうかと悩んでいると十五がスタスタと煌之介の前にいき座ります。
十五が混ざることで勝手が異なり、ここで遊女としての立ち位置は求められていないとうつむいていると、煌之介がからっと晴れた笑顔を浮かべます。
「何故十五がここにいる、と聞きたそうな顔だな」
「それはっ! ……そうですよ」
「そうだな。まず俺と十五の関係を話そう」
煌之介は姿勢を変え、胡坐をかくと私の手を引いて隣に座らせます。
膝の上で握られた手に私はむずがゆい火照りを知りました。
「十五とは俺が火消しになった頃に出会った。はじめての現場がここの近くで、それからの仲だ」
数年前に起きたボヤ程度の火事を思い出します。
この界隈で火事は頻繁に起こるので、何年も働く私でもおぼろげに思い出す程度でした。
「今日、ここに十五がいるのはちょっとした話をしたいからさ。あざみ、お前さんも話を聞いていろ」
「わかり、ました……」
私は十五へと身体を向けます。
十五は気まずそうに私から視線をそらすと、しばらく考えたそぶりを見せて口元を手のひらでさすります。
それからゆっくりと口を開き、はじめて十五の本音が吐き出されることを耳にするのでした。
「近いうちに葵が水揚げされる。その時にこの見世に火を放つ」
その言葉に思考がとまります。
とんでもない告白を聞いたような、理解が追い付かずに目を丸くします。
十五の想い人であり、この見世の期待の水揚げ待ち娘・葵。
ここに売られたからには水揚げから逃げることは叶わない。
葵を好いている十五からすれば望まぬ事態であり、どうしようもないことだ。
下男が遊女を欲しても、仕置きを食らう。
部屋をすれば拷問の末、殺されてしまうものだ。
「葵を……ここから出してやりたい。たとえオレが出られなくても、海を見てほしいんだ」
足ぬけは御法度。
それでも葵をあきらめられない十五の、切実な願いを前に言葉が出ませんでした。
「見世に火を放つ。これは大罪だろう」
煌之介の声に顔を上げると、やけくそだと困ったように笑い、煙管から煙をたちあげました。
葵の水揚げの際、見世に火を放ち、混乱に乗じて十五が葵を連れ出して逃げます。
それを煌之介が手引し、この廓から脱出するというのです。
火消しの装束を着て大門を突破します。
そんな計画を立てていることを知り、私の想像の域を超え、頭から情報が溢れ出ておりました。
まるでこの煙が炎となって見世をおおいつくしてやる、そう主張するような煙の動きでした。
とんでもないことを二人は計画していると、聞いたばかりには答えを出さなくてはとこめかみをおさえます。
それに気づいた煌之介が十五の言葉を止め、そっと私の指先を掴んでじっと見つめてきました。
「大丈夫か?」
「大丈夫、です……」
「あざみ。俺は十五に幸せになってほしいんだ。世界の広さを知ってほしい」
煌之介もまた、本気なのだと知り、胸がきゅっと痛くなります。
「……私は何をすればいいのでしょう」
好いた男の役に立ちたい。
こんな私でも誰かの未来の一助になれるのならば本望と言うものだ。
泥の中に沈んで、真っ黒な粘り気に溺れるだけでしたので、手を汚すことに抵抗がないのです。
誰かの幸せのために、希望をたくして未来へ送る。
願わくば、再びめぐりあって私に幸せとはなにかを教えてほしい。
そんな邪念だらけの欲張りをにじませていると、煌之介が煙管を置いて長く息を吐いた。
「あざみ、お前さんを巻き込むつもりはねぇ。ただ、万が一楼主が気づいたら足止めをしてほしい。それだけだ」
「……わかりました」
煌之介に頬ずりをすると目を閉じ、静かに思惑します。
煌之介の願いならば叶えてみせよう。
だがそれを私が行う理由は見出せません、
強く抱きしめてくる煌之介の背中に、私は手を回すことが出来ませんでした。
この抱擁に愛はないと知っていたから。
はじめて強く触れられましたが、それを気付かれないように拒絶するのでした。
それから話は終わり、十五が部屋から出ていくと、私たちは雑談をして夜を過ごします。
この計画がいつ行われるのかは知らず、いつか訪れるその時を待っていました。
ですがその時が訪れることはありません。
十五と葵が見世から逃げ出し、二人は楼主に捕まり引き離されました。
葵は見せしめに激しい折檻を受け、十五は拷問と折檻により命を落としました。
私たちがひっそりと立てていた計画を実行に移す前に起きた悲劇でした。
魂が抜けたようにただ見世で過ごす葵を見て、私はこの苦界では夢を見ることも許されないと痛感します。
夢なんてものは甘く見せるくせに、実際は辛く苦しいばかりのものだ。
私たちはこの界隈にいる限り、想いが報われることはないのです。
それからしばらく経っても煌之介は現れず、私は面影を探しては格子の向こう側を見つめるようになっていました。
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