第4話「火の女と烙印を押された花 ~あざみ①~

火事と喧嘩は江戸の花。

私は火の女なのかもしれません。


生まれた家を火事でなくし、泣く泣く行き着いた先が国公認の廓でした。


買われた先の見世もまた、火事によってなくしてしまいます。

その火事により、私は火の女の烙印を押されたのです。


顔の左半面は火傷で焦げが残っています。

見世に置くには金にならぬ厄介者、だが夜に溶け込めば艶やかさは残ると楼主は恩情で置いたままにしてくれました。


灯籠の揺れをうつす黒髪、湿りを帯びる吸い付きの良い肌。

夜であれば男が欲する肉の塊だと、なんとかして男を手玉にとれと楼主が肩をつかみます。


こんな私が売り物になるはずもないと物思いに沈むも、河岸見世に流されるよりマシだと言い聞かせ、化粧を濃くして客取りをしておりました。


それでも気づくものは多い。

日が差し込んだ頃、男たちは青ざめて部屋から駆けだし去っていきます。

そんなことを繰り返し、話術にもすぐれない私に馴染み客がつくことはありませんでした。


「あぁ、醜いたらありゃしやせん。火が燃え移りやす。近くに寄らないでおくれ」


同じ見世にいる遊女たちは楼主の同情を誘ったと、冷ややかな目で見るだけで私に近づこうとしません。


普通は河岸見世に送られるか、その手前の楼に入れられるか。

ひいきだと影でささやかれ、女を敵にまわしてしまったのです。


そうなれば孤独に戦っていくしかない。

誰からも愛されず、嫌悪されることが続いた。

逃げ道のない日々は容赦なく私を奈落の底に叩き落としました。


恵まれたのだからなにを不幸面するのか。

誰もが苦しむ場所で、十分すぎる待遇なのだから泣いていいはずがない。


そう言い聞かせて、鏡をみれば醜い姿をした女がうつります。

こんなものは見たくないと、私の顔をした女を見るたびに唇を噛みました。


涙を流す姿はますます醜く、吐き気がするほどおぞましいものです。


こんな私に生きている意味はあるのだろうか。

どうしたってそんな疑問を抱いてしまいます。


「……いかなくては」


私表に出るため、顔半分に化粧を施す。

身を削って用意した華やかな着物をまとい、さわがしい廊下を歩いていきました。


張見世に立つと格子の向こう側で、男たちが吟味するように女たちを見ています。


きっとそこに私は含まれないだろうと、格子の向こう側を見ずに立ち上がりました。


「あざみ、どこへいくんだ! 客捕まえてこい!」


開かれた引き戸を越えようとしたとき、見世を取り仕切る楼主が大きな声をはります。


「……外で直接引いてきますので」


そう言って私は逃げるように見世を飛び出しました。

私自身は見世の利益にならない。

楼主のため息を聞くたびに、私はなんのために沼で囲まれた空間にいるのかわからなくなりました。


賑わう人々をかき分けるようにして廓を走ります。

人気のないところへと走っていくと、いつしか行き止まりとなり黒いどぶにたどり着きました。


遊郭の周囲にめぐらされた溝です。

それはとても深く、幅もありましたので女郎たちがそれを超えて逃げ出すことは不可能と言われております。


目の前の汚水に私の心臓はやたらと鼓動を速くしました。


もし、このどぶの中に身を投げたらどうなるのだろうか。

黒い汚水が身体にまきついて決して這い上がることは出来なくなるだろう。


溺れ死んで、いっそのこと寺にでも投げ込まれれば楽になれるのではないか。


手からは汗が滲み出し、私は荒い呼吸を繰り返してゆっくりとどぶへ進みます。


玉のような汗が額から流れ落ちるなか、あと一歩踏み出せば落ちると沼を見下ろしました。



「なにやってんだ!」


荒い声が耳に入った直後、腕をつかまれ沼に落ちそうになっていた身体が引き上げられます。


地面に倒れこみ、その衝撃で結い上げていた髪は乱れました。

私の代わりにかんざしが沼の中へと落ちていきました。


「――っうぅ!」


なんだこの胃がむかむかする感じはと、沼に落ちれずスッキリしないまま身体を起こします。


腕を引っ張り、衝撃を和らげてくれたであろう人物に勢いで振り返ります。


切れ長の目元に、研ぎ澄まされた刀のような美貌。


息をのむ日焼けした雄々しい姿は、ずいぶんとめずらしい恰好をした男でした。


鋭利な目つきで私を見ている、そう思った直後に火傷とは反対側の頬に痛みが走りました。


なぜ私は火傷ではない頬に手をあてて、こんなにもむなしい呼吸をしているのか。


男があからさまにため息をつくのを見て、喉の奥が焼けました。

ところが男はすぐに目を反らし、むずがゆそうに笑ったあと視線を重ねてきました。


なんと眩しく、燃える炎のような男だろうと、生唾を飲み込みます。


「あんたさ、死ぬのを選ぶのはまだ早いんじゃないかい? そこまで年増じゃないだろう」

「生きてて何になりますか。ここは苦界。私のような醜女には地獄でございます」


醜いわりに楼主の情けをかけてもらう不思議な扱いの女。

卑屈で、客もとれぬ。

よけいに他の女たちから嫌われるのが私という生き物でした。


「別に醜女ではないだろう。あれか、その火傷を気にしてるのかい?」

「見ればわかりますでしょう! この顔で客は取れません!」

「なら俺が君の馴染みになろう」


毒気を抜かれるとはこういうことだろうか。

軽口な男にだんだんと腹がたち、八つ当たりで思いきり男の胸に拳をぶつけました。


「バカにしないで……」


涙があふれて止まらない。

それ以上言葉は続かず、抜けたはずの毒は沼からのびてきて地面に爪をたてるしかありません。


私を見る男の目があまりにも真っ直ぐで、心をかき乱されるのです。

男の手が私の顔半面を包み込み、親指でそっと撫でてくるので喉の奥が熱くなりました。


「火事は日常茶飯事。火傷は誉れ。火消しにとってみればそんなものよ」


男が身にまとうのは火事装束とよばれるいわゆる火消しのもの。

くわえて男は羽織り方が適当なようで、胸元がぱっくりと開いており、くっきりと浮き出た鎖骨が見てとれます。


そこらにいる女よりも妖艶で、刀を腰にさげて鼻高くする侍より日に焼けて情熱的だと目を奪われました。


男は手を下ろすと立ち上がり、片手をすっと伸ばしてきます。

その手に自身の手を重ね、引き寄せられるがままに立ち上がりました。


満悦に笑みを浮かべる男に腹をたてるのもバカらしくなって、私もまた口元に手を当てて笑いをこぼします。


「なんだい、笑えるじゃねぇか。お前さん、もっと笑えばいい。笑った方が何倍も魅力的だ」


「ありがとう。そうね……もっと、笑って生きていけるようになりたいわ」


「なれるさ。俺が笑わせてやる。俺は煌之介。まわりからはコウと呼ばれている。あんたは?」


「莇。私の名前はあざみよ」


これが私と煌之介の出会いでした。

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