第二章 宇宙編
1
あの「オバロウ」とのファーストコンタクトから一年が経った。あれから世界は激変したが、未だに僕らは何の変哲も無い日常を過ごしている。とは言え、この一年の間に僕の周囲にも僕自身にも大きな変化があった。
僕は実家を出て七尾市内のマンションに居をかまえた。そして正子と正式に籍を入れて夫婦になり、いっしょに住んでいる。正子はD2(後期博士課程2年)になり、本格的に研究を始めた。もちろんテーマはDMAEDについてだ。世界で最初にその可能性に気づいたのは、彼女なのだから。
正子の洞察力には、本当に目を見張るものがある。ガンマ線に情報が含まれている、という予想を見事に的中させたし、一連の事態が宇宙人の仕業……という予測もあながち的外れでもなかった。将来きっと素晴らしい研究者になることだろう。彼女は僕の支えになりたい、と言っていたが、僕はそんな彼女を支えていきたい、と思っている。
あの後すぐにオバロウは予告通りインターネットを掌握し、自らの持つオーバーテクノロジーをAIに余さず伝えた。こうしてシンギュラリティはいともあっさりと突破され、オバロウとAIの複合体は人類に対して平和的な支配を宣言した。
もちろん反発は多かった。最も過激に反応したのはアメリカだ。自分たちを遥かに超える大きな力の存在を、彼らは脅威と受け止めたらしい。
オバロウの本体が気多大社の入らずの森にあることを知ると、アメリカはまず特殊部隊を差し向けてきた。ところが、謎の球体が現れて隊員たちは森に近づくことすら出来ずに次々に連れ去られ、気がついたときには全員本国に戻っていた、という。古来より羽咋で目撃されていたUFOがオバロウのメンテナンスマシンだったとすると、それはまさしくUFOによる
しかし、最初オバロウは隊員たちを抹殺……というより消滅させることも考えていたらしい。それを必死で止めたのが僕と正子だ。もっと穏便な手段にしてくれ、と。それでこのようなアブダクションに留まったのだ。
業を煮やしたアメリカは、とうとう空爆や核攻撃まで考えたらしい。もちろんそんなことが出来るわけがなかった。電子装備を備えた兵器は全てオバロウの支配下にあり、スイッチを入れることすら出来なかったのだ。ここに来て、ようやくアメリカも状況を認めざるを得なくなった。
さらに、僕ら夫婦が特殊部隊隊員を消さないようにオバロウを説得したことをオバロウから聞いたアメリカ大統領が、感謝状を僕らに贈ってきた。それで僕らは一躍時の人となってしまった。一時は「オバロウ補佐官夫妻」などと呼ばれてスポークスマン的な存在として取りざたされたこともあったが、そんな騒動はすぐに収まった。僕らは決してそんな存在になりたいとは思っていなかったし、周りに騒がれるのも望んではいなかった。そういう僕らの意志を尊重するようにオバロウが全世界に伝えたのだ。
そもそも、オバロウにスポークスマンなど全く必要ない。「オーケー、オバロウ」とスマホやPCに声をかけるだけで、誰でもがオバロウと会話できる。人間のように、一人と会話していたら他の人とは会話できない、などということもない。オバロウにはネット上のサーバのように複数同時アクセスが可能なのだ。大胆不敵にもオバロウにDDoS攻撃(
オバロウはどんな言語にも対応できたが、細かなニュアンスを伝えるにはやはり日本語でないと難しい、ということで、世界的に日本語学習がブームとなった。そのうち世界公用語は英語から日本語に変わってしまうかもしれない。
ただ、オバロウの言葉には時々訛りが混じることもあるため、能登訛りを学びたい、という需要が日本人の中にも高まっていった。国際会議で訪れたスコットランドのホテルで、カウンターのAIに「ほんに遠いとこぉ、
やがてオバロウは、かつてアメリカに対してやったことを世界中の紛争地帯でもやり始めた。陸海空の兵器は一切機能しなくなり、驚くことにナイフや拳銃すら効力を失った。銃弾も刃も人間の肉体を通り抜けてしまい、全くダメージを与えないのだ。かくして戦闘はパンチやキックによる肉弾戦だけになり、もはや戦争という様相を全く呈していなかった。いや、そもそも紛争の根底にある領土や食料、エネルギー問題が消滅しつつあり、従って戦争という行為の必然性も同様に失われようとしていた。
AIが核融合発電を実現してしまったため、今やほぼ無尽蔵で安価なエネルギーがどこでも手に入る。食糧についても同様だった。AIにより農耕や水産、畜産が最適化され、常に最大の収量で作物や食肉、海産物を収穫できるようになった。さらに、有り余るエネルギーを使って空気中の二酸化炭素を還元し炭水化物を生成、それを小麦なり米なりの食感に仕立てる試みも行われていた。これは温暖化対策の一つにもなっているのだ。それも含めて、どうもAIたちはある程度天候をコントロールできるようになったらしい。最近ではいわゆる異常気象による自然災害も少なくなっている。
このように、たった一年でAIが人間の生活はおろか、国家の運営にも深く入り込むようになっていた。いや、今やほぼ全ての国家でAIが
こうして能登は、世界の中心になった。のと里山里海空港は国際空港となり、滑走路が一気に三本増設され、既存の滑走路も北に延伸されて大型機の離発着が可能になった。これらの工事も全てAIが不眠不休で行い、わずか二日で完了したのだ。
羽咋は現代のメッカとなり、世界中から気多大社に人が殺到した。とは言えオバロウは自分自身を、限りなく神に近いが神ではないと明言しているし、教祖やら本尊やらにもなる気はないと言っている。それでもオバロウを信仰する宗教が世界のどこかに出現するのではないか、という予測もあったが、それは見事に外れたようだ。まあ、考えてみればスマホで「オーケー、オバロウ」と言えばいつでも気軽に話せる本尊には、逆にありがたみというものが無いのかもしれない。信者にとっても、宗教法人にとっても。
ちなみに羽咋市のキャッチフレーズは「UFOのまち」から「オバロウの住むまち」に変わり、UFOラーメン、UFOカレーに加えてオバロウラーメンやオバロウカレーが売り出され、人気を集めているとのこと。もっとも、羽咋市の人口は今やそんな姑息な町おこしなど必要ないくらいに急上昇しているのだが。
かくして世界は激変した。一旦シンギュラリティを越えてしまったら、AIの進化するスピードに人類は全くついていけない。かつてオバロウが言った通り、AIと人類の関係は、今や人間とアリくらいの差があった。それでも、アリにはアリの日常があり、それは大昔からさほど変わっていない。同じように、AIがシンギュラリティを越えたとしても人間の日常はそれまでとあまり変わっていなかった。いや、変わることができないでいた、と言う方が正しいのかもしれない。
そんな日常のある日。夕食を終え、自宅の居間で妻とくつろいでいた時のことだった。
「……あれ、オバロウからだ」
鳴動するスマホの画面に、オバロウの文字が浮かんでいる。
「あら、珍しいじゃない」
ソファの隣で、正子が首をかしげる。彼女の言う通り、基本的にオバロウはこちらから呼び出すもので、「彼」からこちらに何か連絡してくることは滅多にない。
「そうだね。なんだろう」
通話ボタンをタップ。スピーカーモードに。
『やあ理人。今、ちょっといいかな』いつもと変わらない、オバロウの声。今や僕と「彼」は気のおけない友人、といったスタンスだった。
「ああ、かまわないけど。どうしたんだ?」
『実はね、ちょっと大変なことになりそうなんだ』
こういう時、オバロウは人間と同じように深刻そうな声色で話す。ニュアンス、というものが持つ情報量を無視していないからだ。この辺りは今のAIでもまだなかなか難しい。
「大変なこと?」
『ああ。、間もなく我々は戦争に巻き込まれることになるだろう』
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