8

「ええっ!?」


 もちろん彼女と約束した手前、笑いはしなかったが、驚きの声を上げるのはさすがに止められなかった。


「ええと、小林さんがそう考えた根拠を教えてもらえますか?」


「ええ……ガンマ線ってのは、要するに電磁波ですよね」


「ええ。その通りです。極端に波長が短い電磁波ですね。ただ、電磁波のエネルギーは波長に反比例しますから、ガンマ線の持つエネルギーはかなり大きいです。だから人体にとっては危険な放射線になるわけですね」


「その、波長ってどれくらいの長さなんですか?」


「そうですね……大体10のマイナス14乗メートルくらいですかね」


「とすると……電磁波の周波数は光速割る波長だから……光速を3かける10の8乗メートル毎秒とすると、14足す8イコール22……だいたい10の22乗ヘルツ、ってところですかね。ええと……テラが10の15乗だから……ガンマ線の周波数は百億テラヘルツですね。計算合ってます?」


 さすがは理系出身。ただ、物理屋だったら「周波数」じゃなくて「振動数」という用語を使うところなんだが、そんな重箱の隅をつつくようなことは言わないでおこう。


「ええ。合ってますよ」


「よかった」安堵のため息をついて、彼女は続ける。「つまり、一つの波に1ビット記録できるとすると、1秒間のガンマ線は原理的に百億テラビットの情報を伝えることができるわけです。たぶんインターネットで生み出される全データの1年分くらいじゃないですかね」


「……!」


 一瞬言葉を失うが、すぐに僕は我に返る。


「い、いや、ちょっと待って。確かに、ガンマ線のスペクトルくらいだったら計測はできるけど、ガンマ線の波を一つ一つ分けられるような分解能のハードウェアは、さすがに存在しないと思いますよ。それに、それくらいのスケールになると量子論の不確定性も無視できなくなってくると思うし」


「ああ、ハイゼンベルクの不確定性原理ですね」


「おおっ? よく知ってますね!」


「ええ。私、量子コンピュータの勉強をするのに、少し量子力学かじりましたから」


「……すごいな。物理出身でもないのに、そこまで勉強するなんて……」


 やはり、この人は優秀だ。向学心も強い。ドクターコースに来てもらって本当に良かった。


「えへへ……ありがとうございます」照れくさそうに小林さんが微笑む。「話を戻しますけど、一つ一つの波を分解するのが無理でも、変調モジュレーションがかかっていれば情報は取り出せますからね」


「と、言うと?」


「例えば、アンプリチュード・モジュレーション――振幅変調なんかは単純で分かりやすいと思います。AMラジオのAMって、これの略ですから。なんて言うとアナログっぽいですけど、実はWi-Fiなんかも振幅変調なんですよ。ただし正確に言うとQAM……直交位相振幅変調Quadrature Amplitude Modulationと言って、位相が90度異なるキャリア――搬送波を重ね合わせているんで、AMラジオよりはかなり複雑ですけどね」


「……はぁ」


 この辺りの知識は……正直、彼女にはかなわないな。


 小林さんはさらに続ける。


「で、そもそも振幅変調っていうのは、電磁波の振幅を変化させることで情報を伝えるものです。AMラジオのキャリアはだいたい千キロヘルツで、このキャリアの振幅を音声の周波数で変化させることで、AMラジオは音声を伝えているわけです。音声の周波数はたかだか十キロヘルツ程度ですから、キャリアの百分の一になりますね。そう考えると、ガンマ線にも振幅変調がかかっているとすれば、キャリアの百分の一……1秒間に1億テラビット程度になります。それでもかなりのデータ量ですけど、これくらいになるとなんとか分解能が追いつくんじゃないですか?」


 いやはや。


 中々の知識量だ。やっぱこの人、タダ者じゃない。


「……確かに。量子センサーなら、それくらいはイケるかも」


「でしょ? だから、実はガンマ線にはマルウェアのコードが含まれていて、観測衛星がそれを見つけてしまった。そしてそれがそのまま先生のPCにダウンロードされた、と。もしくは、観測衛星自身がそれでクラックされてしまっているかもしれませんね」


「……」


 これまた突飛な話だ。でも、全く考えられないことでもない。


「なんだかSFみたいな話ですね。いや、そういうSFって実際にあるんですよ。例えば、映画にもなったんだけど、カール・せーガンの『コンタクト』ってのがまさに似たような話でね。こと座のヴェガから地球に空間転送装置の設計図が電波で送られてきて、その通りに装置を作って設計図の送り主に会いに行く、って話。あと、ホイルとエリオットの『アンドロメダのA』もそんな話ですね。アンドロメダから送られてきた電波を解読したら、コンピュータの作り方だった。しかし、人類がそれを作ったらなんといきなりそれが反乱を起こして……っていう。どっちかというと小林さんの話はこっちの方に近いかな」


「へぇ……面白そうですね。今度読んでみます」小林さんが目をキラキラさせながら言った。


「でもね」表情を引き締め、僕は続ける。「小林さんの仮説にはいくつか問題があります。まず、ガンマ線の送り主は地球外の存在のはずなのに、なんで地球のコンピュータで動作するようなマルウェアを作れたのか、ってことですね」


「う……確かに」小林さんは顔をしかめた。「そう言われると……送り主が宇宙人だっとしても、地球と同じコンピュータを使ってるとは思えませんしね……」


「そうですね。ただ……」僕はあえて微笑みを浮かべる。「ひょっとしたら、観測衛星が手助けしてしまったかもしれません」


「え……そんなこと、あるんですか?」キョトンとした顔で、小林さん。


「ええ。例の新型ガンマ線観測衛星は量子センサと量子コンピュータを積んでいるので、データ解析もある程度までは量子情報系――ゼロとイチの重ね合わせになっている量子キュービットのままで行っているんです。とは言え地上まで量子通信できるわけではないので、ダウンロードされたデータはもちろんキュービットではなく、ゼロもしくはイチのどちらかに限られる、いわゆる古典的クラシカルなビットで表現されるわけですね」


「ふむふむ」


「で、僕が思うに、宇宙からのガンマ線に何らかの量子的な情報が備わっていたのかもしれません。それは何かマルウェア的に振る舞うような漠然とした量子プログラムだったのかもしれない。だけど、衛星に備わっているシステムがそれを古典的な情報に変換する際に、自らのアーキテクチャに合わせて『観測』してしまったのかもしれませんね」


「なるほど!」小林さんの笑顔が輝く。「さすがですね! やっぱ先生はすごいです。確かに電磁波の偏光って量子的な性質ですものね。そっか……単なる変調じゃなくて、量子情報も付与されている、と考えた方がいいのか……」


「だけど、そうだったとしてもまだ問題は残りますよ。まず、うちの研究室のPCではダウンロードしたデータはセキュリティソフトが、マルウェアとかがないかどうか自動的に調べるようになっています。でも、何も見つからなかった。というか、小林さんも一応警察時代にそのデータも含めてうちのPCの中身を全部調べたんですよね? その結果は……どうだったんですか?」


「う……」バツの悪そうな顔で、小林さん。「確かに、私も久古も何も見つけられませんでした……が、それまでに無いタイプの全く新しいマルウェアだったら検出するのが難しいこともありますし、目的を達した後に自らの存在を消してしまうタイプのマルウェアも珍しくないですからね」


「そうですね。その問題についてはそういう説明が付けられそうです。しかし……一番の疑問点はですね、マルウェアの感染経路です。研究室のPCはその衛星のデータから感染した、ってことでいいでしょう。だけど……県警本部で起こったことは説明がつかない。ネットワークにつながってなくても感染するし、USBメモリみたいなメディアを介しているわけでもない。まるで……テレポーテーションしたみたいですよね」


「……テレポーテーション、ですか」


「ええ」


「そう言えば、量子テレポーテーションってもうすでに実験で確認されてましたよね」


「そうですよ。かなり昔になりますけど」


「だったら、そのマルウェアも量子テレポーテーションしたとか……」


「それはないでしょう。だって感染したのは量子コンピュータでも何でもない、単なる普通のパソコンですよ? 量子ネットワークでつながっているわけでもないし……量子テレポーテーションが起こることは考えられないです」


「……うーん」


 小林さんは困り顔でしばらくうつむいたままだったが、やがてため息をつくと、


「やっぱ、宇宙人の仕業ですかね」


 と言って苦笑いする。


「その結論からは一旦離れましょう」僕も苦笑を返す。「それは最後の手段です」


「はい……あ、そうだ」


 ふと、何かを思いついたように小林さんが顔を上げた。


「宇宙人で思い出しました。この話とは全然関係ない……こともないんですが、もし差し支えなければ先生のお家の住所を教えていただけないでしょうか?」


「え、なんでですか?」


 それって全然関係ないように思えるんだが……


「いえ、先生が昔UFOを見たってお話しなさっていたと思うんですが、それは今住んでいるご自宅から見た、ってことですよね。もしそれが私がおばあちゃんの家で見たのと同じものだったら、おばあちゃんの家と先生のお家の位置からUFOが見えた方向に線を引っ張って、交差したところがUFOが出現した場所になるなあ、って思ったんで」


「……!」


 なるほど。三角測量か。


「ほう、それは面白いですね。さっそくやってみましょう」


 僕は自分のPCを操作して、Webの地図サイトを開いた。羽咋の地図をスクリーンショットに撮り、画像編集ソフトに読み込む。


「僕の家はここ……島出町しまでまちです」


「なるほど。海の近くですね」


「ええ。小林さんのお祖母さんの家は?」


「ええと……ここですね」


 彼女が指さしたのは……千路町ちじまちだった。七尾線沿いにある、東側の小さな町だ。


「僕が見たのは北の方向で、小林さんが見たのは……どちらでしたっけ?」


「海がある方向だったんで、西ですね。ほぼ真西だったと思います」


「と、すると……」


 僕は画像編集ソフトに読み込んだ地図に、僕の自宅から北、彼女のお祖母さんの家から西に向けてそれぞれ直線を引いてみる。


「あ……」思わず声が漏れた。僕らは顔を見合わせる。その直線の交点のすぐそばにあったのは……


気多大社けたたいしゃ……じゃないですか……」


 呆然とした顔で、小林さんが言った。

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