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 気多大社は羽咋市の北側にある、かなり大きな神社だ。二千年以上の歴史があり、パワースポットでもある……らしい。メインの御利益は縁結びだという。そして……


 神社の裏には、「らずの森」と呼ばれている3ヘクタールほどにわたる原生林がある。ここは基本的に神職以外は誰も立ち入ることが許されていない。神職だって年に一回しか入れないし、それも中ほどの奥宮までの決まったルートを往復することしか出来ない。ほぼ人跡未踏で神秘のヴェールに包まれている森なのだ。いかにもUFOが出現するような場所ではある。


「入らずの森、ですか……それ、めっちゃ宇宙人いそうなところじゃないですか!」小林さんの目がキラキラしていた。「これは絶対行ってみるっきゃないですよ!」


 だが、僕は首を横に振ってみせる。


「いや、人が入れないから『入らずの森』なんですよ。行ったとしても森には入れません」


「うーん……そうですか……でも、森に入らなくても、近くまで行けば何か見つかるかもしれませんし……先生、今度いっしょに気多大社に行ってみませんか?」


「ええっ?」


  ---


 というわけで、連休最終日。僕と小林さんが気多大社を訪ねる日だ。気多大社は僕の地元だからもう数えきれないくらい行っているし、その周辺も良く知っている。ガイド役としては十分だろう。


 空は真っ青。昨日の雨が嘘のようだ。また、その雨が空気中の黄砂を見事に叩き落としてくれたのか、この時期にしては視界も澄み切っている。これならどこかにUFOが出現したとしても、きっとよく見えることだろう。


 彼女とは気多大社の駐車場で十時に落ち合うことになっていた。九時五〇分に僕が駐車場に入ると、彼女の黒いラパンSSの姿が既にそこにあった。その左隣にジムニーを停めて降りると、彼女もドアを開けて車の外に出てくる。


「先生、おはようございます!」彼女が満面の笑顔を僕に向ける。


 ……。


 ええと。


 確かに気温は既に二〇度を超えてはいる、けど……それにしても、小林さんはずいぶん涼しげな格好だ。胸の谷間がくっきり見えるグレイのタンクトップ。黒のスキニーパンツが彼女の豊かな下半身にピッタリと張り付いている。


 これは……かなりあざといコーデだな。メイクとヘアスタイルはいつも通り……でもないか。心なしか、ちょっと気合いが入っているようにも見える。


「おはようございます。すみません、待ちました?」


「いえ、私も今来たばかりですから」


 ああ、なんかデートでありがちなやり取りをしてしまった。というか……これはデートなのか? 傍目から見たらそうかもしれんが……これは一応、調査行動だからな。といっても研究テーマとは全く関連していないけど……


「それじゃ、行きましょうか」僕が歩き出すと、


「待ってください。まずはお参りしていきましょうよ。せっかく来たんですから」小林さんが鳥居の奥を指さす。


「……」


 今回は入らずの森の周囲をぐるっと一周するのが目的で、境内の中には用はなかったはずなのだが……まあでも、確かに神聖な森に近づくわけだから、一応神様への挨拶も兼ねてお参りしておくべきかもしれない。


「わかりました」


 ---


 鳥居をくぐると、連休だからか境内は結構な数の観光客で賑わっていた。手水を使い、二人並んで二礼、二拍、一礼。


「そう言えば、ここって縁結びの神様でしたよね」と、小林さん。


「ああ、そうらしいですね」


「……」


 なぜか、彼女が僕をいわくありげな視線で見つめる。


「な、なんですか……?」


「いえ、なんでもありません。あ、先生、一緒に写真撮りましょ」


 肩に下げていたハンドバッグからスマホを取り出すと、彼女は素早く操作してインカメラの画像を表示する。


「もうちょっと寄らないと、ですね」


 言いながら、彼女は僕の右の二の腕に胸を押し当ててくる。本殿を背景に、密着する二人。パシャ。


「……」


 ま、彼女がこういう攻撃を仕掛けてくるのは織り込み済みだし、僕もそれで動じるような年でもない……が……一瞬、ドキッとしたのも確かだ。


「さ、行きましょうか」


 何事もなかったように、小林さんが歩き出した。


  ---


 鳥居を出て、道を左に向かう。石垣を左に見ながら、交差点をさらに左へ。上空から見ると反時計回りに入らずの森の外側を一周するルートだ。


「実はね、小林さん。あれから例の観測衛星からのデータをダウンロードした世界各国の研究者たちに、データにマルウェアが含まれているかもしれないから、何かおかしなことが起こっていたら教えてくれ、ってメールしてみたんですよ」


 歩きながら僕が話しかけると、彼女は目を丸くしてみせた。


「へぇ! それで、どうでした?」


 渋い顔を作り、僕は応える。


「全員から返信が来たんですけど、特に何も変わったことはなかった、って内容ばかりでした。となると……ひょっとしたら、衛星からのデータが原因ではない可能性も……ありますね」


「なるほど……」小林さんも眉根を寄せた。「やっぱ、違うのかな……」


 そうこうしている内に、道路の左側に森が見えてきた。新緑が目に痛いくらいに眩しい。伸びた木の枝が道路を越えて右側の電柱の上にまで届いている。


「わぁ、道の上まで木の枝が伸びてますよ。これ、入らずの森の木ですよね」さっそく小林さんがスマホのカメラを向ける。


「そうですね。国の天然記念物だし、そう簡単に切るわけにもいかないんでしょうね」


 道路から見る森は、まさにうっそうと茂っていた。枝や葉っぱに覆い尽くされていて、その中が全く見通せない。これではいずれにせよ中を歩き回るなんてことは無理だろう。


「……あ、折口おりくち信夫のぶおの句碑の看板がありました」


 彼女が指さす方に顔を向けると、「折口信夫博士の句碑」と横書きされた看板が道路の左端にあった。それが指す方向に細い脇道が上っている。整備はされているが、人が一人通るのがやっとの幅だ。ここから森沿いに歩いていくと、池の畔に歌人である折口信夫とその息子……というか、養子である春洋はるみが詠んだ短歌がそれぞれ彫り込まれた句碑が並んでいる。


「ちょっと山道になるけど、大丈夫?」そう言って小林さんを振り返ると、


「ええ。どうせ歩き回ると思って今日はスニーカー履いてきましたし、ノープロです」と、彼女がサムアップして片目をつぶる。


「OK。じゃ、行きましょうか」


 もう何度も訪ねたことのある地元の僕が先導する形で、森の中を歩いていく。緑の匂いが濃い。


 しばらく歩いて行くと目の前が開け、池が見えてきた。そしてその向こうに歌碑が二つ姿を現す。一つは横長の多角形の石。これが信夫の歌碑で、その隣の縦長の、何かの要石のように見えるのが春洋の歌碑だ。神社の境内と違って、観光客の姿は一人も見えない。


 さすがに息が上がって汗ばんできた。少し休憩することにしよう。


「ここで少し休みましょう」


「はい」


 小林さんは平然としていた。全く息を切らしてないし汗もかいていないようだ。結構体力あるんだな。いや、待てよ。この人の前職は警察官だった。体が資本の商売だ。鍛えているんだろうな。


 爽やかな風が木々の葉を揺らす。どこかから、土鳩の鳴き声。


「うーん」伸びをしながら、小林さん。「のどかで気持ちいいですね。やっぱ金沢よりも、こういうところのが私は好きだなあ」


「僕もですね。ポスドクの時に千葉の柏に二年ほどいたこともありますけど……やっぱ慣れませんでした」


「そうなんですか。私は石川県から出たことなくって……ちょっと先生がうらやましいです」


 そう言って、彼女は歌碑に顔を向ける。


「二つ並んでますけど、これ、両方とも折口信夫の歌碑なんですか?」


「いえ、こちらは息子の春洋のものです」僕は折口春洋の句碑を指さす。「と言っても、実は養子なんです。旧姓は藤井春洋で、出身が羽咋だったんですよ。だからここに句碑があるんです」


「へぇ! そうなんですね。養子だったんですか」


「ええ……まあ、ね」


「……どうしたんですか? なんか、奥歯に物が挟まったような口ぶりですね」


「実は……折口信夫は……今で言う、LGBTの……Gの人でしてね。養子というよりは、その……恋人に近い存在だった、というか……」


「!」


 みるみる小林さんの頬が赤らんでいく。


「そ、そうだったんですね……(うわ……リアルBL……どっちが攻めでどっちが受けだったんだろう……)」


「え、ええと、小林……さん……?」


 声を掛けても、彼女はうつむいて何かブツブツ言うだけで、全然反応しない。


 ……。


 やっぱこの人、オタク……というか「腐」……なのか……?


  ---


 ここで再び小林さんは二人で写真を撮ろうと言い出し、例の攻撃を今一度繰り出そうとするが、僕が微妙に体を動かしてかわしたので不発に終わった。少し不満そうな顔だったが、それでも彼女がそれ以上しつこく攻撃することはなかった。引くべきところは引く、というのを彼女もちゃんと心得ているのだろう。僕にとってそれはかえって好感度を上げるところだ。


「……あれ? ダメだ……さっきから写真がクラウドに全然保存されない……」


 スマホの画面を見ながら、小林さんが顔をしかめる。


「やっぱり、最近のネットワーク混雑の影響かな?」言いながら、僕は首を傾げた。


 ここ数日、全世界的にインターネットが混雑しているのだ。サイトにつながるのにもかなり時間がかかるし、動画はコマ落ちするのが当たり前になっている。原因はよくわかっていないが、生成AIの普及が影響しているのではないか、と言われている。


「そうかもですね」


 彼女がうなずいた、その時。


『よく来てくれた』


 どこからか、低い男の声が耳に入る。


「……え?」


 思わず小林さんを振り返ると、ポカンとしている彼女と目が合った。


「先生、今何か言いました?」


「いえ、僕は何も。だけど……『よく来てくれた』って、男の声が……」


「ええ、私にも聞こえました……確かに先生の声とはちょっと違うな、とは思ったんですが……」


 言いながら、彼女の顔がだんだん強ばっていく。


『君たちが来るのを待っていたんだ』


「……!」


 まただ。しかも、今ので声の位置に大体の見当がついた。それは……


 僕の胸ポケットに入っている、スマホだ。


 慌てて取り出してみると、画面は暗くなっている。ロック解除。だが、通常の待ち受け画面のままだ。


「あれ……何か着信してるわけでもないのに……なんなんだ?」


『君のスマホの音声出力系に直接アクセスしているからね』


「うわああああ!」


 思わずスマホを落としそうになった僕は、小林さんに顔を向ける。


「い、今の……聞いた?」


「え、ええ……」怯えた表情の彼女は、それ以上何も言えないようだった。


「……」意を決し、僕はスマホに向かって語りかける。「何者……ですか?」


『君らの概念で言えば一番近いのは、神じゃないかな』

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