9
気多大社は羽咋市の北側にある、かなり大きな神社だ。二千年以上の歴史があり、パワースポットでもある……らしい。メインの御利益は縁結びだという。そして……
神社の裏には、「
「入らずの森、ですか……それ、めっちゃ宇宙人いそうなところじゃないですか!」小林さんの目がキラキラしていた。「これは絶対行ってみるっきゃないですよ!」
だが、僕は首を横に振ってみせる。
「いや、人が入れないから『入らずの森』なんですよ。行ったとしても森には入れません」
「うーん……そうですか……でも、森に入らなくても、近くまで行けば何か見つかるかもしれませんし……先生、今度いっしょに気多大社に行ってみませんか?」
「ええっ?」
---
というわけで、連休最終日。僕と小林さんが気多大社を訪ねる日だ。気多大社は僕の地元だからもう数えきれないくらい行っているし、その周辺も良く知っている。ガイド役としては十分だろう。
空は真っ青。昨日の雨が嘘のようだ。また、その雨が空気中の黄砂を見事に叩き落としてくれたのか、この時期にしては視界も澄み切っている。これならどこかにUFOが出現したとしても、きっとよく見えることだろう。
彼女とは気多大社の駐車場で十時に落ち合うことになっていた。九時五〇分に僕が駐車場に入ると、彼女の黒いラパンSSの姿が既にそこにあった。その左隣にジムニーを停めて降りると、彼女もドアを開けて車の外に出てくる。
「先生、おはようございます!」彼女が満面の笑顔を僕に向ける。
……。
ええと。
確かに気温は既に二〇度を超えてはいる、けど……それにしても、小林さんはずいぶん涼しげな格好だ。胸の谷間がくっきり見えるグレイのタンクトップ。黒のスキニーパンツが彼女の豊かな下半身にピッタリと張り付いている。
これは……かなりあざといコーデだな。メイクとヘアスタイルはいつも通り……でもないか。心なしか、ちょっと気合いが入っているようにも見える。
「おはようございます。すみません、待ちました?」
「いえ、私も今来たばかりですから」
ああ、なんかデートでありがちなやり取りをしてしまった。というか……これはデートなのか? 傍目から見たらそうかもしれんが……これは一応、調査行動だからな。といっても研究テーマとは全く関連していないけど……
「それじゃ、行きましょうか」僕が歩き出すと、
「待ってください。まずはお参りしていきましょうよ。せっかく来たんですから」小林さんが鳥居の奥を指さす。
「……」
今回は入らずの森の周囲をぐるっと一周するのが目的で、境内の中には用はなかったはずなのだが……まあでも、確かに神聖な森に近づくわけだから、一応神様への挨拶も兼ねてお参りしておくべきかもしれない。
「わかりました」
---
鳥居をくぐると、連休だからか境内は結構な数の観光客で賑わっていた。手水を使い、二人並んで二礼、二拍、一礼。
「そう言えば、ここって縁結びの神様でしたよね」と、小林さん。
「ああ、そうらしいですね」
「……」
なぜか、彼女が僕をいわくありげな視線で見つめる。
「な、なんですか……?」
「いえ、なんでもありません。あ、先生、一緒に写真撮りましょ」
肩に下げていたハンドバッグからスマホを取り出すと、彼女は素早く操作してインカメラの画像を表示する。
「もうちょっと寄らないと、ですね」
言いながら、彼女は僕の右の二の腕に胸を押し当ててくる。本殿を背景に、密着する二人。パシャ。
「……」
ま、彼女がこういう攻撃を仕掛けてくるのは織り込み済みだし、僕もそれで動じるような年でもない……が……一瞬、ドキッとしたのも確かだ。
「さ、行きましょうか」
何事もなかったように、小林さんが歩き出した。
---
鳥居を出て、道を左に向かう。石垣を左に見ながら、交差点をさらに左へ。上空から見ると反時計回りに入らずの森の外側を一周するルートだ。
「実はね、小林さん。あれから例の観測衛星からのデータをダウンロードした世界各国の研究者たちに、データにマルウェアが含まれているかもしれないから、何かおかしなことが起こっていたら教えてくれ、ってメールしてみたんですよ」
歩きながら僕が話しかけると、彼女は目を丸くしてみせた。
「へぇ! それで、どうでした?」
渋い顔を作り、僕は応える。
「全員から返信が来たんですけど、特に何も変わったことはなかった、って内容ばかりでした。となると……ひょっとしたら、衛星からのデータが原因ではない可能性も……ありますね」
「なるほど……」小林さんも眉根を寄せた。「やっぱ、違うのかな……」
そうこうしている内に、道路の左側に森が見えてきた。新緑が目に痛いくらいに眩しい。伸びた木の枝が道路を越えて右側の電柱の上にまで届いている。
「わぁ、道の上まで木の枝が伸びてますよ。これ、入らずの森の木ですよね」さっそく小林さんがスマホのカメラを向ける。
「そうですね。国の天然記念物だし、そう簡単に切るわけにもいかないんでしょうね」
道路から見る森は、まさにうっそうと茂っていた。枝や葉っぱに覆い尽くされていて、その中が全く見通せない。これではいずれにせよ中を歩き回るなんてことは無理だろう。
「……あ、
彼女が指さす方に顔を向けると、「折口信夫博士の句碑」と横書きされた看板が道路の左端にあった。それが指す方向に細い脇道が上っている。整備はされているが、人が一人通るのがやっとの幅だ。ここから森沿いに歩いていくと、池の畔に歌人である折口信夫とその息子……というか、養子である
「ちょっと山道になるけど、大丈夫?」そう言って小林さんを振り返ると、
「ええ。どうせ歩き回ると思って今日はスニーカー履いてきましたし、ノープロです」と、彼女がサムアップして片目をつぶる。
「OK。じゃ、行きましょうか」
もう何度も訪ねたことのある地元の僕が先導する形で、森の中を歩いていく。緑の匂いが濃い。
しばらく歩いて行くと目の前が開け、池が見えてきた。そしてその向こうに歌碑が二つ姿を現す。一つは横長の多角形の石。これが信夫の歌碑で、その隣の縦長の、何かの要石のように見えるのが春洋の歌碑だ。神社の境内と違って、観光客の姿は一人も見えない。
さすがに息が上がって汗ばんできた。少し休憩することにしよう。
「ここで少し休みましょう」
「はい」
小林さんは平然としていた。全く息を切らしてないし汗もかいていないようだ。結構体力あるんだな。いや、待てよ。この人の前職は警察官だった。体が資本の商売だ。鍛えているんだろうな。
爽やかな風が木々の葉を揺らす。どこかから、土鳩の鳴き声。
「うーん」伸びをしながら、小林さん。「のどかで気持ちいいですね。やっぱ金沢よりも、こういうところのが私は好きだなあ」
「僕もですね。ポスドクの時に千葉の柏に二年ほどいたこともありますけど……やっぱ慣れませんでした」
「そうなんですか。私は石川県から出たことなくって……ちょっと先生がうらやましいです」
そう言って、彼女は歌碑に顔を向ける。
「二つ並んでますけど、これ、両方とも折口信夫の歌碑なんですか?」
「いえ、こちらは息子の春洋のものです」僕は折口春洋の句碑を指さす。「と言っても、実は養子なんです。旧姓は藤井春洋で、出身が羽咋だったんですよ。だからここに句碑があるんです」
「へぇ! そうなんですね。養子だったんですか」
「ええ……まあ、ね」
「……どうしたんですか? なんか、奥歯に物が挟まったような口ぶりですね」
「実は……折口信夫は……今で言う、LGBTの……Gの人でしてね。養子というよりは、その……恋人に近い存在だった、というか……」
「!」
みるみる小林さんの頬が赤らんでいく。
「そ、そうだったんですね……(うわ……リアルBL……どっちが攻めでどっちが受けだったんだろう……)」
「え、ええと、小林……さん……?」
声を掛けても、彼女はうつむいて何かブツブツ言うだけで、全然反応しない。
……。
やっぱこの人、オタク……というか「腐」……なのか……?
---
ここで再び小林さんは二人で写真を撮ろうと言い出し、例の攻撃を今一度繰り出そうとするが、僕が微妙に体を動かしてかわしたので不発に終わった。少し不満そうな顔だったが、それでも彼女がそれ以上しつこく攻撃することはなかった。引くべきところは引く、というのを彼女もちゃんと心得ているのだろう。僕にとってそれはかえって好感度を上げるところだ。
「……あれ? ダメだ……さっきから写真がクラウドに全然保存されない……」
スマホの画面を見ながら、小林さんが顔をしかめる。
「やっぱり、最近のネットワーク混雑の影響かな?」言いながら、僕は首を傾げた。
ここ数日、全世界的にインターネットが混雑しているのだ。サイトにつながるのにもかなり時間がかかるし、動画はコマ落ちするのが当たり前になっている。原因はよくわかっていないが、生成AIの普及が影響しているのではないか、と言われている。
「そうかもですね」
彼女がうなずいた、その時。
『よく来てくれた』
どこからか、低い男の声が耳に入る。
「……え?」
思わず小林さんを振り返ると、ポカンとしている彼女と目が合った。
「先生、今何か言いました?」
「いえ、僕は何も。だけど……『よく来てくれた』って、男の声が……」
「ええ、私にも聞こえました……確かに先生の声とはちょっと違うな、とは思ったんですが……」
言いながら、彼女の顔がだんだん強ばっていく。
『君たちが来るのを待っていたんだ』
「……!」
まただ。しかも、今ので声の位置に大体の見当がついた。それは……
僕の胸ポケットに入っている、スマホだ。
慌てて取り出してみると、画面は暗くなっている。ロック解除。だが、通常の待ち受け画面のままだ。
「あれ……何か着信してるわけでもないのに……なんなんだ?」
『君のスマホの音声出力系に直接アクセスしているからね』
「うわああああ!」
思わずスマホを落としそうになった僕は、小林さんに顔を向ける。
「い、今の……聞いた?」
「え、ええ……」怯えた表情の彼女は、それ以上何も言えないようだった。
「……」意を決し、僕はスマホに向かって語りかける。「何者……ですか?」
『君らの概念で言えば一番近いのは、神じゃないかな』
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