5

「……」


 小林さんは気まずそうにうつむく。ああ、またやっちまった。ま、しゃあない。いずれにせよ、彼女を口説いたりするのは立場上無理なんだからな。


 なかなか彼女は口を開こうとしない。追い打ちをかけてみるか。


「まさか、さっき言ってたみたいに本当に僕をおっかけてきた……なんてことはないですよね?」


 あの後宴会の場で彼女は、僕の研究室を選んだ理由として、以前会ったときに一目惚れしてお近づきになりたかったから、と臆面も無く言ってのけたのだ。それが佐藤君をさらに発狂させたのは言うまでもない。


「え、ええ……」相変わらずバツが悪そうな顔で、小林さんがうなずく。


 グラスを傾け、僕はジントニックを口に含んだ。やけにほろ苦い。


 そこは否定しないんだな。そうだろうとは思ってたけど……ほんとに僕を追っかけてきたんじゃないか、なんて、ちょっとだけ期待してたりしてたんだが……


 まあでも、さすがに彼女のようにしっかりした人が、そんな浮ついた気持ちで人生賭けてまでドクターに来ることはないか。


「(そういう気持ちも……全くないわけじゃないんですけど……)」


「え?」彼女が何かボソボソ言ってたようだが、よく聞き取れなかった。


「い、いえ! 何でもないです!……だけど、さすがですね」


「……え?」


 思わず彼女の顔をのぞき込む。そこには少し辛そうな、でも、何かを決意したような表情が浮かんでいた。


「やっぱり、先生は何でもお見通しなんですね」


「あ、いや……なんとなく、そんな感じに見えただけで……」


 そう。いつもは明るい彼女なのだが、時折見せる思い詰めたような表情が、どうにも僕は気になっていた。たぶん彼女は何か隠している。今はお互い酒も入っているし、それを聞き出すいい機会ではないか。それが、僕が彼女を誘った大きな目的だった。


「それじゃ、お話しします……けど、笑わないで下さいね。ずいぶん突飛な話なんで……」


「ええ。笑いません。約束します」


「わかりました」


 グラスに少しだけ残っていたモスコミュールを、小林さんは一気に飲み干した。


  ---


 僕の研究室から押収したPCを県警本部で調査したのは、彼女だった。


 ネットワークからも、電波からも隔絶した部屋。PCから取り出したSSDやHDDを、彼女は解析用のノートPCを使って隅々まで調べ上げた。しかし、怪しげなアプリケーションは何も見つからない。もちろんそれがマルウェアに感染した結果そのように見せかけている、という可能性も否定できない。


 だが、たとえ感染していたとしても解析用のノートPCはWiFiモジュールが取り除かれていて、有線LANのポートは最初から存在しない。USBポートは使えるが、USBメモリなどを挿してデータをやり取りすることは禁じられているし、そんなことを彼女もした覚えはない。だから、普通に考えればそこから他のマシンに感染が広がることなど、ありえないはずなのだ。


 にもかかわらず……


 ほぼ同じタイミングでサーバがクラックされ、他サイトに不正アクセスを行っていた。もちろん最初に疑いの目を向けられたのは彼女だ。禁じられているUSBメモリを使って、サーバとデータをやり取りしたのではないか、と。


 もちろん彼女は反論した。自分がそんなテロ行為をする理由がない。それに、監視カメラの映像データを確認してもらえれば自分がサーバルームに足を踏み入れたことなど一度もないことが確認できるだろう、と。そしてそれは簡単に裏付けられた。彼女の言う通り、サーバルームに彼女が侵入した形跡はない。そもそも、彼女の権限ではサーバルームに入ることすらできないのだ。


 こうして彼女の疑いは晴れた。だが……今回の不祥事の原因を何らかの形として世間に明らかにしなくてはならない。とりあえずヒューマンエラーがあったことにして、それを行った人間に責任を負わせなくては事態が収まらない。そのスケープゴートに彼女が選ばれたのだ。彼女以外に今回の事態を引き起こせる立場の人間は存在しない、と言う理由で。


 男社会の警察の中に大学院卒で入った彼女は、その能力を買われてあっという間に昇進したエリート中のエリート。他の男性警察官から嫉妬の眼差しで見られることも少なくなかった。そんな連中が今回の件を利用して、彼女を追い落とそうと動いたのだ。


 こうして彼女は閑職に回されることとなった。すっかり職場に嫌気がさした彼女は退職し、実家に戻った。そこで、どうせなら大学院時代に漠然と考えていた博士号取得を目指そうと考えた、という。


 ---


「なるほど……それは、大変でしたね」


 ジントニックを喉に流し込み、深くため息をついて僕は彼女に同情を示した。


「ええ……やっぱり警察と言っても、結局のところ人間社会なんですよね。欲望があって羨望も嫉妬もする、普通の人間が集まった……」


 小林さんが笑みに諦観を滲ませる。


「そっか。警察も必ずしも清廉潔白な人物ばかりではない、と。しかし……こんなに詳しく内情を話してしまって、大丈夫ですか? 退職しても守秘義務があるのでは?」


「いいんです。捜査に深く関係する話でもないですし。やはり、先生にはちゃんとお話ししておいた方がいいかな、と思いまして……先生のお力も借りられれば助かりますし……」


「僕の力?」あわてて僕は首を横に振る。「いや、犯罪捜査なんて僕には無理ですよ。テレビドラマの物理学者探偵じゃないんですから」


「いえ、犯罪捜査じゃないです」小林さんもかぶりを振ってみせた。「それを言うなら私ももう警察官じゃないですから、オフィシャルには犯罪捜査なんかできません」


 そこで彼女は、真摯な眼差しで僕をまっすぐに見つめた。


「先生……私はあの時何が起きたのか、どうしても知りたいんですよ。それには先生のお力が、是非とも必要なんです」


「……」


 あまりの目力の強さにたじろぐが、ここで目をそらしてはいけない。小林さんの思いに応えるべく、僕は彼女を見つめ返す。


「サーバルームは基本的に常に完全無人で、管理作業はそのすぐ隣の管理室にいるスタッフが管理用のPCからリモートで行っているんです。その管理室にも私は普段は入れませんが、中に人がいたらもちろん入れますから、サーバルームよりは入れる可能性は高いわけです。と言っても管理室の監視カメラにも私の姿は映ってなかったんですが……たまたま映ってなかっただけじゃないか、とか、いろいろ難癖付けられて……責任、おっかぶされちゃったんですよね……」


 そう言うと、小林さんは二杯目のグラスを口に運んだ。


「ひどい話ですね」


 僕がうなずくと、彼女はダイキリを飲み下し、いかにも悔しげな顔で続ける。


「ほんとですよ! でもね……不思議なのは、サーバにも管理用PCにも侵入の痕跡が全く残されていなかったんです。例えば、私がUSBメモリを管理用PCに挿したとすれば、それはログに残るはずなんです。なのに……そのPCにそれらしいログはありませんでした。だから私の仕業という決定的な証拠がなくて、ヤツらも私を懲戒処分にすることまでは出来なかったんです。でもね、どうせなら証拠をでっち上げてくれた方がよっぽどありがたかったですよ! それなら私が逆にそのでっち上げの証拠を見つけて、逆手にとって監察やら公安委員会やらに告発できたのに……連中もそうなるって分かってたから、それはしなかったわけです。ったく、小賢しいったらありゃしない……」


 どうやら彼女も相当酔いが回ってきたようだ。ちょっと話がズレてきた。軌道修正することにしよう。


「だけど、サーバにはマルウェアが侵入したわけですよね? どこからどういう経路で侵入したんですか?」


「わかりませんよ!」


 小林さんがガクンと頭を垂れる。七三分けのボブヘアが垂れ下がり、彼女の顔を覆い隠した。そのまま彼女は続ける。


「それが……私が一番知りたいことなんです。久古もサーバと管理用PCを調べたんですが、彼にもお手上げのようでした」


「ああ……」


 僕が県警のサイバー犯罪対策課で彼に会ったときのことを思い出す。こんなことはあり得ない、と何度も繰り返していたっけ。


「ただね……」ゆらり、と彼女がこちらに顔を向けた。「仮説は……ないことはないんです。ただ、あまりにも突飛なんですが……」


「そういや、最初に突飛な話って言ってたのに、今のところそれっぽいことは言われてなかった気がしますね。ここからようやく突飛な話になるんですか?」


「ええ……先生、笑わないで下さいね」


「ええ」


「私はね……ひょっとしたら、宇宙人の仕業じゃないか、って思ってんですよ」

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