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スマホのチェックはすぐに終ったようで、久古刑事に渡してから三十分もしないうちに帰ってきた。そして僕は解放された。
研究室のPCも返してもらえるかと期待していたのだが、残念ながらそれらは一台も帰ってこなかった。まだしばらく調査に時間がかかるらしい。これではPCを新たに揃えなくてはならないようだ。今年は科研費に外れてしまい研究予算が厳しい状況なのに、これはかなり痛い……
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結局僕はいろいろな知り合いの研究室で余っているPCをかき集め、足りない分は研究室の数少ない予算で新品を買って補充した。本当にやれやれだった。
過去の研究データや論文などはクラウドにも保存してある。衛星からのデータもまたダウンロードすれば済む話だ。なので特に支障となることはなにもないのだが……時間がかかってしょうがない。そんな感じで、ようやく研究環境が復活してきた頃のことだった。
「え、外部から僕の研究室に配属希望の受験生がいるんですか? それもドクターコースの?」
僕が思わず聞き返すと、
「ええ。柳田さんも講師とは言え博士マル
と、観測所長の青山さん――観測天文学研究室の教授――が、少し薄くなった髪を掻きながら応える。ちなみに所内には僕と彼の他にもう一名
「それは、そうですけど……ドクターの院生の指導は初めてですからね。しかも外部から、なんて……」
「大丈夫ですよ。外部と言ってもうちのマスターコースの卒業生ですから。どうも一度社会人経験を経て、やっぱりドクターコースに入りたくなったようですね」
「あ、そうなんですか。それじゃ企業に勤めながら研究もしたい、ってことですか?」
「いや、既に退職しているのでフルタイムの院生になりますね」
「そうですか……」
正直、マスターコースまでならまだいいけど、今の日本ではドクターコースに入ってしまうと卒業後の進路がかなり狭められる。会社、辞めなかった方がよかったのでは、と思うのだが……
「これが願書です」青山さんは一枚の紙を僕に向けて差し出した。
「どうも」
手にとってみる。願書の原本じゃなくてコピーだ。女性だな。小林 正子、二九歳。僕の五つ下か。学位は修士(計算科学)。最終学歴、石川大学大学院 自然科学研究科 計算科学専攻 博士前期課程……なるほど、確かにうちの大学でマスターまで取ったんだな。職歴もある。石川県警察、生活安全部……
……ん? ちょっと待て?
ってことは、ひょっとして……この人、あの小林警部?
そう考えると、写真もなんとなく彼女に似てる気もしなくもない……が……
彼女は計算科学専攻出身だ。うちは物質科学専攻。普通、ドクターコースに進むなら原則的にマスターの時と同じ研究室に戻るものだが、なんでわざわざ専門外の専攻の僕の研究室を志望してるんだろう。これはぜひ面接で聞いておかないとな……
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後期博士課程入試は金沢キャンパスの理学部棟で行われるので、僕はその日穴水に行かずに羽咋から直接金沢に向かった。基本的に後期博士課程の入試では筆記試験は行われない。
「失礼します」
ノックの後、面接室のドアを開けて入ってきたのは……まさしく小林警部だった。いや、警察は退職しているのでもう警部ではないか。紺のスーツを身に纏った彼女は、少しほっそりしたようだった。以前会ったときよりも綺麗に……というか、僕好みになった気がする。
面接官は僕と青山さんの二名だ。まずは彼女のマスターコース時代の研究をPCでプレゼンしてもらう。どうやら彼女はマスターの頃、クラスター分析や主成分分析と言った、いわゆる「教師なし学習」と呼ばれる分野の機械学習の研究をしていたようだ。いくつか発表について質問してから、ようやく僕は一番聞きたかったことを問いかける。
「どうしてマスターの時の研究室じゃなくて、うちの研究室を志望したんですか?」
「はい」魅力的な笑顔で、小林さんはハキハキと答えた。「実は、私がマスターの時の研究室は、先生が退官してしまってもう存在しないんです。それに、私は宇宙線についてとても興味があります。柳田先生の研究室では宇宙線観測所や観測衛星から得られたデータを分析する研究をしておられますよね? マスターの時の私の研究テーマはデータサイエンスでしたから、その知識が研究に役立つのでは、と思い、志望いたしました」
なるほど、セキュリティの専門家だと思っていたが、元々はデータサイエンティストだったんだな。そういう人に研究室に来てもらえるのは、こちらとしても実にありがたい。
「宇宙線に興味があるとのことですが、具体的に、宇宙線の何に対して興味をお持ちですか?」と、青山さん。
「宇宙線はその発生源など未だに不明な部分が多いですよね。私はそれを解き明かしてみたいんです。それに加えて、宇宙線が地球上の様々な生物や機械などに与える影響についても、調べてみたいと考えています」
非の打ち所のない回答。確かに彼女の言うとおり、宇宙線については未だに良く分かっていないことが多い。まさにそれこそが、僕の研究テーマなのだ。
青山さんを振り返ると、彼もこちらをチラリと見て、ニヤリとしてみせる。
これなら、合格ということでいいだろう。
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