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 十四時。僕は石川県警の記者会見のライブ中継にスマホからアクセスする。研究室のPCは全部押収されてしまっているので、ネットから情報を得る手段はスマホしかないのだ。


 冒頭、県警本部長がお詫びの言葉を述べ、そこに並んでいた関係者が一斉に頭を下げた。フラッシュの閃光が次々に走る、お決まりのシチュエーション。


 マイクを持って質疑に応答していたのは中年の男性だった。サイバー犯罪対策課長、という肩書き。小林警部や久古刑事はそこにはいなかった。たぶん彼女たちの上司なのだろう。


 IPアドレスが県警のもので、その時刻にアクセスしているのがサイバー犯罪対策課のサーバマシンであることも明らかだったが、なぜそのようなことが起きたのかは不明だという。課内では当時とあるサイバー事件で用いられたと思われるPCを解析していたが、作業はネットから完全に切り離した状態で行っていて、当然サーバにも接続していなかった。だからそこからの感染ではあり得ないはず。それは監察官も確認済み、とのことだった。


 ……。


 たぶん、「とあるサイバー事件で用いられたと思われるPC」ってのは、僕の研究室のものなのだろう。それにしても、解析作業をネットにつながない状態で行うのは当然だ、とサイバーセキュリティ素人の僕でも思う。だからサーバから不正アクセスがあったとしても、それは研究室のPCと何も関係はないはずだ。


 だけど……


 偶然にしては、あまりにもタイミングが合いすぎる気もする。それに、サイバー犯罪対策課のサーバと同じく、僕の研究室のPCもどうやってマルウェアが侵入したのか分かっていない。本当に何も関係ない、と言えるのだろうか……


 記者会見が終わったところで、居室の電話が鳴った。久古刑事からだった。


『すみません、柳田先生。記者会見はご覧になりました?』


 心なしか、元気のない声だった。


「ええ。やはり、他人事じゃないような気がしまして……」


『いや、まさしくその通りなんですよ。先生、またお話をお伺いしたいので、恐れ入りますが今度は県警本部までお越しくださらないでしょうか』


「それは……任意で、と言うことでしょうか?」


『もちろんです。というか、前回と同じで、逮捕とかそういう話ではないんです。ただ、あまりにも分からないことが多すぎて……どうしても聞きたいことがたくさんあるんです』


「……わかりました。どっちみち今はPCがなくて研究が出来ないので時間もありますし、そちらにお伺いしますよ」


 このセリフには、精一杯の皮肉を込めたつもりだ。


『そうおっしゃっていただけると本当に助かります。ありがとうございます』久古刑事は神妙な口ぶりで言い、ふと、思い出したように付け加える。『ああ、もし来ていただけるのなら、念のため、スマホもお預かりして構いませんか? その日のうちにお返ししますので』


「ええ、構いませんよ」


  ---


 穴水から金沢までは、のと里山海道を使えば1時間くらい。爽やかな秋晴れの空の下、僕は愛車ジムニーを駆って金沢へと向かった。


 県警本部は石川県庁の隣だ。サイバー犯罪対策課は五階の生活安全部の中にある。エレベータで五階に上がると、さっそく久古刑事が出迎えてくれた。やはり、どことなく憔悴しているように見える。


「わざわざご足労いただきまして、すみません」


 案内された会議室の椅子に、二人向かい合わせに座る。


「小林警部は、いらっしゃらないんですか?」


「ああ……」微妙な間を開けて、久古刑事は続けた。「彼女は今日、ちょっと休んでおりまして……」


「……そうですか」


 なんか、ちょっとだけ残念に思ってしまうのは……気のせいだろうか……


  ---


「こんなことはありえない」


 説明の中で何度その言葉を繰り返しただろうか。久古刑事は憤然とした様子を全く隠そうともしなかった。


 僕の研究室のPCの調査は、ネットワークはおろか全ての電波を遮断する部屋で行われていたらしい。そして、マルウェアらしきものは何も見つからなかったという。もちろん自らを消すタイプのマルウェアも珍しくはないのだが、それでも何かしらの痕跡は残されるのが普通だ。しかし、それすらも見つからなかった、という。警察庁のサイバー警察局による調査でも同じだった。


 しかし、ほぼ時を同じくして課のサーバから不正アクセスが始まった。もちろん彼らはサーバも徹底的に調査したのだが、やはりマルウェアもその痕跡も全く見つからなかったという。


「ねえ、柳田先生」すがるような眼差しで、久古刑事が言った。「なんでもいいんです。先生の研究室のPCがおかしくなったことについて、何か心当たりはありませんか?」


「……すみません」僕は首を垂れる。「何もわからないんです。そりゃ、普通にネットにつながってはいましたが、おかしなサイトにはアクセスしていないはずですし……」


「ですよねぇ……」久古刑事は頭を抱えてしまった。「こちらでも調べてみましたけど、それらしいアクセスは一つもありませんでしたよ。ただ、最近結構大量のデータをダウンロードしているようでしたけど、これは研究のためのデータですか?」


「ええ。ガンマ線観測衛星からのデータです。特に怪しいものではないはずです」


 そう。本当はそのデータをすぐにでも解析したいところなのだ。


「そうですか……だとすると、ですね」いきなり久古刑事の目つきが鋭くなった。「実は柳田先生は凄腕のクラッカーで、全く新しい超強力なマルウェアをお創りになった、ってことでは……」


「ええっ!」


 そんなふうに言われるとは……全く予想外だ。


「いやいや、待ってください。僕の専門は宇宙線物理ですよ。マルウェアを創るような知識なんか全然ありません。まあ、それを証明しろ、と言われても無理ですけど」


「ですよねぇ。それは悪魔の証明です。無理なのは分かってますよ」久古刑事の目尻が元に戻る。「それに……たとえ先生がスーパークラッカーで、スーパーマルウェアを創ったとしても、先生は素人ですからね。サイバーセキュリティのプロである我々が、素人に負けてしまうようではいかんのです。だから……いすれにせよ、うちのサーバからの不正アクセスを防げなかったのは我々の失態です。でもね……」


 そこで久古刑事は、大きくため息をついた。


「ほんとうに、全く分からないんですよ。侵入経路も何もかも。全くネットワークから遮断されたマシンからサーバにマルウェアをアップロードするなんて……」


 そして久古刑事は、本日何度目なのか既に分からなくなっているセリフを、今一度繰り返した。


「そんなことは、絶対にありえません」

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