宇宙戦闘機「地球」

Phantom Cat

第一章 能登編

1

「実は柳田先生の研究室のPCから、複数組織への不正アクセスがありまして……」


 四限が終わる時間に研究室にやってきた、目の前の女性から告げられたそのセリフは、まさに寝耳に水だった。自分でも血の気が引くのがわかる。


「そ、それは……本当ですか?」声が震えていた。


「ええ。先程情報処理サービスセンターで確認した結果、くだんのアクセスを行ったホストのIPアドレスは、先生のPCに割り当てられたものでした」


 小林、と名乗った女性は慇懃に応える。石川県警サイバー犯罪対策課の警部。年齢は僕と同じ三十代と言ったところか。ボブヘアに柔和な顔立ち。ややぽっちゃり気味の体をグレイのパンツスーツに収めている。傍目には全く警察官には見えない。


「信じられない……僕には全く心当たりがないのですが……」


 それはごまかしではなく、本心だった。セキュリティアプリはちゃんと機能しているし、研究室内のファイアウォールにも問題はない。一体どうしてそんなことに……


「そうはおっしゃいましても、確たる証拠がございまして……というわけで、恐れ入りますがここのPCをすべて押収させていただきたいのです。あと、先生にも事情を伺いたいので署までご同行願えますか?」と、小林警部。よもやドラマでよく聞くセリフを実際に耳にする羽目になるとは思わなかった。


 おそらく、これは任意同行というヤツだ。拒否もできる。だけど一体何が起こっているのか、僕にも全く分かっていない。もし何か勝手に不正ソフトウェア《マルウェア》が研究室のPCにインストールされたのなら、僕が調べるよりも警察のプロの鑑識員に任せるべきなのかもしれない。


 とは言え、今僕がいる国立大学法人 石川大学天体観測所は、能登半島のほぼ真ん中の鳳珠郡ほうすぐん穴水町あなみずまちにある。穴水は「星空のまち」とも呼ばれていて、夜は星がよく見えるのだ。冥王星の存在を予言した天文学者である、かのパーシヴァル・ローウェルも訪れているという。しかし金沢市の県警本部からは、直線距離でも七十キロメートルほど離れている。


 時刻は十七時過ぎ。今からパトカーに乗せられて行ってしまったら、帰ってくるのはかなり遅くなりそうだ。自宅は羽咋市はくいしなのでそちらに帰るのならまだ近いが、予報によれば、今日から明日にわたって能登地方はずっと雨だ。自宅は七尾線の駅から二キロメートルほど離れているので、雨の中三〇分近く歩かなくてはならない。しかも車は観測所に置いたままだから、明日の朝七尾線とのと鉄道を乗り継いで観測所に行かないといけなくなる。僕がそう伝えて自分の車で行ってもいいかと聞くと、小林警部は思案顔になった。


「なるほど。いずれにせよここのPCは全部押収させてもらいますが、それは構いませんね?」


「ええ、もちろん。特に見られて困るようなものもないので、隅々まで調べて下さい」


「わかりました」小林警部が可愛らしい笑顔を見せた。「でしたら、別に逮捕や拘留が控えているわけでもないですし、取り調べと言うより本当にお話を聞くだけなので、ここでも結構ですよ」


「そう言ってもらえると助かります」僕もほほ笑んでみせる。


  ---


 というわけで、五台あった研究室のPCは待ち構えていた数人の署員らによって瞬く間に全て持ち出されてしまった。もちろん証拠隠滅を阻止しなければならないからそれは当然だろうし、彼らが予告もなく僕の研究室に電撃的にやってきた、というのもおそらくそれを見越してのことなのだろう。研究が滞るのは不本意だが、いずれにせよマルウェアにやられているかもしれないので、これ以上僕がPCを使うのはある意味迷惑行為になる恐れがある。だから、どっちみち研究はしばらくストップせざるを得ない。やれやれ、せっかく観測衛星から面白そうなデータが得られたというのに……


 どうやら僕がPCの押収を拒否した場合、ほぼ有無を言わせずに同行、場合によっては逮捕の可能性まであったらしい。しかし僕が押収を快諾したので、小林警部は単なる事情聴取に切り替えたようだ。


 その事情聴取は僕の居室で、小林警部ともう一人、久古くごという、ややいかつい感じの若い男性とで行われた。久古刑事が厳しく矛盾点を追及してきて、小林警部が「まあまあ、そこはそのくらいにしておいて……」と取りなすという、刑事ドラマによくある展開が目の前でリアルに繰り広げられていた。


 二人の話によると、うちの研究室のPCはなんと二〇か所以上にわたるインターネット上のホストマシンに対して同時に侵入を試みたらしい。それらのホストに特に何か共通するものは無かったが、セキュリティホールがそのままになっていた五つほどのホストについては、実際に侵入に成功したようだ。そしてそれらからさらに他のホストに対して攻撃が行われている、とのこと。


 全く気づかなかった。研究室のファイアウォールにも問題となるような記録ログは残されていないようだし、僕がPCを使っているときにそんな状況になっていたら何かしら影響が感じられそうなものだが、レスポンスにも回線速度にも何の問題なかったのだ。


  ---


 二時間ほどで事情聴取は終わり、小林警部と久古刑事は居室のソファから立ち上がった。


「ご協力、感謝いたします。ありがとうございました」二人は並んで敬礼する。


「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけして、申し訳ありません」僕は深々と頭を下げた。


「そんな……今のところは、柳田先生が頭を下げる必要は何もございませんから、お気になさらないでください。お預かりしたPCから何かわかりましたら、またお伝えしますね」


 小林警部がニコニコしながら言う。やっぱ可愛いな、この人。


「ええ、よろしくお願いします」


  ---


 翌日、午後になってM1エムイチ(大学院前期博士課程マスターコース1年)の北条君とM2エムニ(前期博士課程2年)の時国君がやってきた。PCが全て姿を消しているのを見た瞬間、二人とも驚きの声を上げる。


「えええっ!?」


 ちなみに僕は大学院所属の専任講師で、学部については講義も学生指導も何も担当していない。だからこんな金沢キャンパスから遠く離れた場所にいられるのだ。


 しかし、一応大学院の講義と院生の指導は担当することになっていて、今はこの二人の院生が僕の担当になっていた。後期博士課程ドクターコースの院生はいない。マスターの院生は研究よりも教育する方が主なので、ドクターの院生がいてくれると研究が捗るのだが……


「柳田先生、ひょっとして俺らのせいですかね?」


 僕が事情を説明すると、時国君が申し訳なさそうに言った。


「え、何か心当たりがあるの?」


「いや、特にないんですが……調べ物してるときに、怪しいサイトを踏んじまったのかな、って」


「君、研究室のPCでいかがわしいサイトを見たりしてるのか?」僕が疑いの眼差しを向けると、時国君はあわててかぶりを振った。


「いえ、俺はそんなことしませんって! 北条、お前は?」


「俺だってそうッスよ! つか、大学院に入ったばっかでそんなことする勇気はさすがに無ぇッス」


「ま、そうだろうな。だけど、くれぐれも研究室のPCは研究以外の用途には使わないでくれよ」


「分かりました」「了解ッス」


  ---


 それから二日後のことだった。


「ええええっ!」


 研究室でネットニュースの見出しをスマホで見ていた僕は、思わず声を上げてしまった。


 そこには『石川県警のPCより不正アクセス』という文字が並んでいたのだ。


 慌てて僕はリンクをタップしてみる。どうやら同一のIPアドレスからネット上の複数のサイトに不正アクセスが行われていて、調査の結果そのアドレスが石川県警のものだった、という。本日の十四時より緊急記者会見が行われる、とのこと。


 まさか……僕の研究室から押収したPCから感染したんじゃないだろうな……

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