ヒトツク〜他人が作った未完成RPG世界への転移〜
平手武蔵
第1話 エターナルの海
雑踏警備の現場仕事を終え、自宅で一息ついていた男が転移したのは大海原の上空であった。落下に伴う猛烈な風を下から受け、うつ伏せ、大の字の状態から身動きがとれない。男は恐怖に顔を歪め、その絶叫は風切り音に溶けていた。救いなどあるはずもない。これから先に起きることを想像し、男は固く目を閉じた。
(これが正真正銘、エターナルの海……!)
海面に叩きつけられるまでに少し時間がある。男が思い浮かべたのは、とあるRPG制作ゲームソフトにより作られた未完成ゲームをプレイした時に
男は三十七歳、独身、名前を
ただ、駄デブと見下されることだけは嫌だったため、チンピラっぽいファッション、サイドを刈り込んだ髪型、四角い縁無しメガネという、できるだけナメられないイカツイ装いを好んでいた。
そんなサカキにもいっぱしの趣味はあった。それが中古のRPG制作ゲームソフト収集である。対応ゲーム機が何世代も前のもので、ソフトはカセット方式、セーブデータもソフト自体に保存されるという、大変にレガシーなゲームソフトだ。
発売されてから相当の年月が過ぎたこのゲームソフトについて、制作されたゲームのセーブデータが削除されないまま中古市場に出回っていることが多々あった。このため、名作や駄作を発掘してネタとすることがゲーム実況動画界隈で一時期話題となっていた。ものによってはゲーム開始位置すらまともに指定できておらず初期設定のままになっており、大海原のど真ん中からゲーム開始を強いられた。誰が言い始めたか、この現象をエターナルの海と呼ぶようになったのである。
サカキも元はゲームクリエイターを夢見る少年であり、そのゲームソフトを使ってゲーム制作にいそしむ時期があったが、挫折を繰り返すことでゲーム制作をいつしかやめてしまっていた。動画の影響で当時を懐かしく思ったサカキは、他人が作ったゲーム――通称ヒトツクを収集し、その感想をSNSに載せることを日課とするに至ったのである。年月を経てゲーム実況動画界隈で下火になってしまったジャンルであるが、無駄に金と暇を持て余しているサカキの熱意はいまだ現役であった。
(呆けてる場合じゃねえ! これがヒトツクの世界なら……ゲーム開始位置をどこか陸地の座標へ再設定! ゲームリセット!)
祈るようにサカキは念じた。すると重力の気配が止まった。風切り音は消え、さざ波の音が聞こえる。
おそるおそる目を開けた。写真や映像でしか見たことがないような陽光きらめく青い海、白い砂浜だった。
「マジでヒトツクの世界なのか?」
思わず声を出していた。砂浜から波打ち際までサカキは歩いた。足を踏み出すたびに砂がギュッギュッと心地よく鳴いた。
泡立つ波に足が触れた。少し冷たく、透明。引いていく波を見送りながらサカキは考えた。自身が打ち立てた仮説をどう証明するかということである。すなわち、ここがヒトツクの世界であるということの証明だ。
(さっきはゲーム開始座標の設定、ゲームリセットを念じることで移動することができた。今度は装備設定をしてみるか。この世界で一番強い装備を!)
サカキはこの世界で一番強い装備を自身に設定することを念じた。しかし、何も起きない。
(できないこともあるということか? ならば、店売りされている中で一番強い装備を!)
やはり、何も起きない。
(店売りされていて、俺が装備できる中で一番強い装備を!)
今度はうまくいった。サカキの体に青銅の胸当て、具足、槍が装備された。鍛えていない体にずしりとした重みが加わり、サカキは膝からくずおれた。
(やばい! ゲーム序盤っぽい装備のくせに重すぎる! ステータスとかはどうなんだ!?)
その後、サカキはいくつか試行錯誤し、できること、できないことを整理した。
【できること】
・ステータスの閲覧
・店売り消費アイテムの入手
・現在装備可能な店売り装備アイテムの入手
・インベントリへのアイテム出し入れ
・手にしたアイテム説明文の閲覧
・現在地座標の取得
・ゲーム開始座標の再設定
・ゲームリセット
【できないこと】
・ステータスの変更
・店売りされていないアイテムの入手
・店売りされていても現在装備不可能な装備アイテムの入手
・店売りアイテムの短時間での連続入手
・貨幣の生成
・モンスターを含むキャラクターの生成
・地形のすり抜け
・地形の改変
(ゲームバランスを著しく壊すような権限は自分にはないようだな)
ちなみにステータスの閲覧結果、レベル1、ジョブは警備員、各種能力値はいずれも一桁であった。本当に警備の仕事をしていたが、ほぼ自宅警備員であり、まあそんなものであろうなとサカキは思った。
ゲームリセット後については、装備しているアイテム、インベントリのアイテムは引き継がれることが分かった。引き継がれない要素があるのかは今後要検証である。
装備については青銅の胸当て、具足では重さでまともに動けなかったため、残念ながらインベントリ行き。新たに布の服シリーズを装備した。瓶に入った超絶美味である最高級のMP回復薬を吸いながら、サカキはこの状況について少し考える。
(ゲーム開始位置がエターナルの海ということは、ゲームを全く作っていない初期データ、あるいはイベント制作をしていないということが考えられる。前者についてはジョブやアイテムがしっかり設定されていることから完全に否定可能。ということは設定ばかりに注力してゲーム制作が頓挫したパターンか。食料は権限で店売りアイテムを無限に入手できるし、寝るところもまあ安全なところを探せばなんとかなるだろう。でも何を目的にこの世界を生きていけばよいのか)
「だめだ! 分からん!」
サカキは砂浜に突っ伏してから仰向けになった。太陽の眩しさに目を細める。
(ヒトツクの世界に来て、最初は興奮したさ。でも、それで終わり。スマホもないし、この気持ちを誰にも伝えられないじゃん。誰かと話がしたい。友達なんかいなかったけど)
しばらくしてからサカキは立ち上がった。
「探そう。街か人か」
その表情は亡霊のように生気のないものであった。
◇
海からしばらく離れると植生が現れ始め、茂みや木陰に小動物の気配も感じられるようになった。ゲーム開始座標を適当に指定してゲームリセットをかけてもよいのだが、不確かなことはできるだけ避けたい。大海原に叩きつけられそうになった時は緊急的に行ったが、壁や地中に埋まる可能性も捨て切れない。このため、それは今できることがなくなってからとサカキは考えていた。
(フィールドは結構作り込んでいそうだな。モンスターとかやっぱいるよな)
サカキは手に持った青銅の槍を握りしめた。周りから音がするたびに振り向いてしまう。そして出会ってしまった。
「キィィィ!」
「出たな、ゴブリン!」
小柄で緑色の肌をして、がりがりなのに腹だけぽっこりした醜悪な人型モンスターが襲い掛かってきた。ゲームにプリセットされたグラフィックでおなじみのゴブリンだ。このグラフィックのモンスターに強ステータスを設定することはまずないはずだ。
サカキが渾身の力で青銅の槍を突き出すと、ゴブリンの胸をあっさり貫通してしまった。
「あ」
全年齢に配慮したような粗いポリゴンの粒が傷口から漏れ始め、ゴブリンも光になって消えてしまった。二次元のゲームがリアルな世界になって、倒した時のグロさはサカキにとって若干の懸念事項であったのだが、安心安全の仕様であった。
(おいおい、一撃かよ。まあ青銅の槍っていうと二段階目か三段階目かの武器だよな、普通。武器が強すぎたんだな)
サカキは自分を納得させ、ゴブリンのドロップアイテムを確認した。
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