【完結】ラストワルツ(作品231202)

菊池昭仁

ラストワルツ

第1章 出会いを求めて

第1話 

 3年前、私は実家を出て一人暮らしを始めた。

 理由は男が出来たからだった。

 その男性は同じ銀行に勤める上司で、いわゆる不倫だった。

 許されない恋と頭ではわかっていても、その関係を絶つことが出来ず、ダラダラとその背徳の泥濘の中を彷徨っていた。


 そんなある日のこと、彼に次長の内示があった。

 いつものように私のベッドでコトを終えた後、彼が言った。


 

 「ゆかり、今度俺、上尾支店の次長になることが決まったんだ」

 「そう、それは良かったわね。

 あなたは随分がんばってきたもの。遅いくらいだわ、おめでとう」


 私はまどろみの中で彼に甘えた。


 だが次の彼の言葉で、私はどん底へと叩き落とされた。



 「そろそろ潮時だと思うんだ。俺たち・・・」


 私は一瞬言葉を失った。

 それは当然の成り行きだったからだ。

 今までのような支店長代理とは違い、銀行内での権限も格段に強くなる。

 過激な支店長の椅子取りゲームが始まったというわけだった。

 

 もし万が一、自分たちの関係が銀行にバレた場合、私は自主退職を迫られ、彼は余程の後ろ盾がない限り、出向は免れないだろう。


 別れたくは無かった。

 たとえ明日のない恋でも、私には彼とのこの時間が唯一の安らぎだったからだ。


 「好きになった相手にたまたま奥さんと子供がいただけ・・・」


 今まではそう考えるようにしてきた。

 それにより罪悪感を払拭しようとした。


 だが彼のこれからのバンカーとしての将来を思えば、別れる理由としてはそれが一番自分を納得させることができる理由だった。



 「そう、私もそれがいいと思う。

 あなたの家庭を滅茶苦茶にしてまであなたを奪いたいなんて私はそんな強い女じゃないから。

 でももう少し、一緒にいたかったかな?

 いいよ、それで・・・」

 「ごめん、縁」

 「ただ約束してね? もう二度と会わないって。

 そうじゃないと私、今度こそ本当に自分を抑える自信がないから。

 あなたの奥さんからあなたを奪う、絶対に」


 私はベッドから起き上がると、右手の薬指から彼に貰ったルビーのリングを外し、彼に返そうとした。


 「これは縁にあげたものだ。持っていて欲しい」

 「ありがとう。ここの鍵は置いていってね?」



 白いワイシャツを着てネクタイを締める彼の後ろ姿を私は裸のままぼんやりと眺めていた。

 不思議と涙は出なかった。

 それが彼に対する本当の気持ちだったのかもしれない。

 私は恋に恋していただけだったのだとその時気付いた。



 彼は合鍵を下駄箱の上に置き、何も言わずに部屋を出て行った。


 私の3年間の恋が終わった。




第2話 

 「どうしたの縁、ぼんやりして?」



 日曜日の昼下がり、久しぶりに大学時代の親友、由美にランチに誘われた。


 そこはいかにも女子ウケしそうなカフェ・レストランで、私は手長エビの雲丹クリームパスタを前に、フォークが止まっていた。



 「彼と別れちゃった・・・」

 「彼って例の彼? どうして?」

 「出世のためかな? 彼の」

 「縁、捨てられちゃったの?」

 「そういうことになるのかなあ、やっぱり・・・」

 「それで縁は何て言ったの?」

 「「わかりました」って言った」

 「アンタ馬鹿なの?

 3年も付き合って、縁のいちばん旬の時を独り占めしておいて、アンタそれで平気なの?

 私だったら泣き叫ぶけどなあ、「別れたくない! 私のこと捨てないで!」って」

 「イヤよ、そんな未練がましいこと言うの。彼が困るでしょ?」

 「困らせなくてどうすんのよ縁。それじゃあんたは単なるってことになるじゃない? それでもいいワケ?」

 「そうだね? 私は彼の「ただのセフレ」かも」


 私は彼を失った虚無感で、何もする気がなくなっていた。

 彼との3年間は一体何だったのだろう?


 洗面台に置かれた彼の歯ブラシも、未だに処分出来ないままだった。

 私はその彼の歯ブラシで歯を磨き、泣いた。



 「脅せばよかったのに、「奥さんに言いつけるから!」って。

 そして私ならおもいっきりビンタを3回して爪で体中をガリガリして、あそこを引っこ抜いてやりたいくらいだわ!

 ホントむかつく。縁をこんな目に遭わせて自分だけ出世するなんて許せない!」

 「でもね、意外に悲しくはないの。ただ何もする気が起こらないだけ。

 たぶん不倫だったから、自分の中の罪悪感が消えてホッとしているのかもね?

 かくれんぼしている自分を早く鬼に見つけて欲しかったのかもしれない。

 所詮、出口のない恋だったから」

 「そう? でもこれからどうすんの?」

 「どうすんのって、このままの生活を続けるしかないわよ、ほとぼりが冷めるまで」

 「ねえ、いっそのこと、結婚しちゃえば?」

 「結婚ねえ、それはいつかはしたいけど・・・」

 「縁、私たちはもう28だよ、若くないんだよ!

 そんな悠長なこと言っててどうすんの?

 復讐するのよ復讐。彼に後悔させてやりなさいよ、「ああ、もったいないことをしたな、俺」って。

 だってタダ乗りでしょう?

 そうだ縁、一緒にに婚活しようよ、本当は私もかなり焦ってるんだ」

 「婚活? 婚活パーティーとかマッチングアプリとか?」

 「そう、それそれ。ねえ、面白そうじゃない? やってみようよ、婚活!」

 「婚活かあ・・・」





 次の日曜日、由美と私は婚活パーティーに参加することにした。


 会場は市内の文化会館の会議室だった。

 私は初めてだったのでドキドキしていた。



 受付で番号札を貰い、プロフィールカードに自己紹介を記入した。


 参加費は女性が2,000円、男性が5,000円だった。

 立食ブッフェを予想していたが、紙コップに大きなペットボトルが2本置かれているだけで、それを自分で注ぐだけのものだった。


 参加者は男性が30人ほどで女性は20名ほどだった。



 「それではお時間になりましたので始めさせていただきます。これからフリートークとなりますが、3分毎に男性の方が順にお相手を移動していただきながらお話をしていただきます。

 その際、ご記入いただいたプロフィールカードをそれぞれ交換し、みなさんにお配りした相手に対するお気持ちの番号を書いてお渡し下さい。

 ではスタートいたします!」



 スタッフから渡された評価基準は5段階になっていた。



       1 ぜひお付き合いしたい


       2 まずはお友だちから


       3 もう少しお話ししてみたい


       4 面白い方ですね?


       5 よくわかりません


 

 というものだった。

 

 「嫌い」という意思表示が5番の「よくわかりません」なのだろう。



 縁の緊張はすぐに消えた。

 参加者の男性の中に、付き合いたい男性はひとりもいなかった。

 縁は全員に5番を点けてそれを相手に戻した。


 

 ところが驚いたことに、縁に対する感想もすべて5番だった。

 縁は落胆した。


 (そんなに私って魅力がないの? 今日だって結構キメて来たつもりだったのに)



 だがそこには「からくり」があった。

 女性と男性ではその番号と内容が反対になっていたからだ。


 つまり男性の5番の感想は、「ぜひお付き合いしたい」だったのだ。

 縁は安心した。


 だがそれは時間の無駄でもあった。

 好きでもない男性に好かれても意味がないからだ。


 結局2組のカップルが成立し、残されて今後の注意事項の説明をされているようだった。

 

 女子トイレでは彼女たちがボヤいていた。


 「またいつものメンバーだよね? ホント、結婚なんて絶対無理なヤツばっか」


 どうやら参加者は常連のようだった。





 由美と居酒屋で反省会をした。


 「全然だめだったね? イケメンなんて一人もいなかった。

 ごめんね、縁」

 「ううん、誘ってくれてありがとう。

 勉強になったよ、婚活パーティーってあんな雰囲気なんだって。

 テレビで見るのとは全然違うんだね?」

 「彼女もいない連中だもんね? ただ女とやりたいだけ」


 由美はカシオレを飲みながらフライドポテトを指先でつまんで食べた。


 「男の参加者が言っていたんだけどさあ、ここに参加する男性は殆どが同じメンバーなんだって。

 「僕、これで3回目なんです」って言ってた」

 「こんなことしてたらすぐに三十路よ、マッチングアプリもやってみる?」

 「大丈夫なのそれ? 出会い系でしょう?」

 「まあね? でもさっきのよりは確率が高いかもよ。ねえねえやってみようよ?」



 由美は携帯を取り出すと、さっそくそのコンテンツを開いて見せた。


 「縁にも送るね?」



 私たちは登録事項を埋め、お互いに写メを撮影し、多少の加工をしてアップした。



 するとすぐにたくさんのお相手の情報が次々に送られて来た。



 「どう縁? 良さそうなイケメン来た?」

 「すごいね? 結構イケメンだよ、でも実際はどうかわからないんでしょう? 本物かどうか?

 これなんか由美の好みじゃない?」

 「どれどれ、うんうん、結構いい線いってるわね? それじゃ返信っと」

 「ちょっとそれ、私の携帯でしょ?

 勝手に送らないでよ」

 「まずは会ってみたら? 何事もトライ&エラーでしょう? 考えてばかりじゃ幸せにはなれないわよ」


 確かに由美の言う通りだった。


 私はその関口弘幸という公務員の男性と会うことにした。


 


第3話 

 縁は駅前のカフェで、その関口弘幸という市役所職員と待ち合わせをしていた。


 15時の待ち合わせ時間になっても関口は現れなかった。


 (時間にルーズな男はダメね。どんなにイケメンでも社会通念が欠けているのは問題外。初めてのデートで女を待たせるなんてありえない)



 店には縁と、小太りの髪の毛が薄い中年男性だけだった。


 縁は事前のメールで、

 

 

    私はバッグに赤いバンダナを

    巻いて行きますから

    それを目印に来て下さい



                   了解です では私の方から声を

                   掛かけさせていただきますね?



    関口さんの目印は何ですか?



                   大丈夫です 私が西條さんを

                   見つけますから



    そうですか? それじゃあ

    よろしくお願いします





 そもそも自分の目印を言わないのは何か理由があるはずだと縁は思った。

 怪しい男だったらそのまますぐに帰ろうと思った。



 5分が過ぎた頃、奥のテーブルにいた男が縁のところへ近づいて来た。



 「あのー、西條縁さんですか? 僕、関口弘幸です」

 「えっ?」


 縁は写メと実物のあまりの違いに絶句した。


 「すみません、写真と少し違いますよね?」


 それは少しどころか全くの別人だった。

 結婚して、すでに小学生の子供が3人はいるような風貌に、縁は唖然とした。



 「驚かせてしまい、すみませんでした。

 僕、これで53回目なんです。お相手の方と会うのは。

 最初は正直にこのままの画像をアップしていたんですけど、そうすると会ってくれる人は変な女性ばかりで。

 「幸運の壺を買いませんか?」とか「今はどんな保険に加入されていますか?」とか、挙句に果ては「今、母が病気で手術しなければなりません! 500万円が必要なの!」とか。

 もうガッカリだったんです。

 ところが同じ部署のイケメン後輩君の写真を載せた途端、たくさんの女性からお誘いのメールが届いて、それでこうなったわけです」


 縁はハッキリと言った。


 「これって詐欺ですよね? マッチングアプリ詐欺」

 「ごめんなさい。でもこうでもしないとまともな女性は会ってもくれません」

 「でも嘘はダメでしょ? 嘘は。

 その時点であなたとお付き合いするなんてありえません、さようなら!」


 縁は席を立った。すると関口は懇願した。


 「待って下さい西條さん! 5分でいいんです! どうか教えて下さい! 僕はどうすれば結婚出来るでしょうか?」


 縁は再び座った。


 「そんなに結婚したいの?」

 「はい。僕、あったかい家族が欲しいんです」

 「だったらマッチングアプリなんかより、どっかの結婚相談所に入会した方がいいんじゃない?」

 「もちろん入会しています、3か所に登録しているんですけど、どれもいまひとつでして」

 「結婚相手の理想が高いんじゃないの?」

 「いえ、全然。

 顔は新垣結衣、オッパイはGカップ。専業主婦をしてくれて調理師免許があってお料理上手。

 子供が大好きでエッチも大好き、それから大卒で犬好きで、ケアマネージャーと保育士の資格も持っている。

 僕の母親とも仲良く同居してくれて、絶対に浮気なんてしない女性というだけです。

 これって普通でしょ?」

 「アンタねえ、婚活の前に病院に行った方がいいよ、心療内科に」

 「でもお金はあります。

 親が地主でアパート収入だけで月500万円はあります。

 ですから私の給与はすべて貯金しています。

 それから株や先物取引もやっているので、そちらの資産は5億はあります。

 それなのにどうして僕は結婚出来ないんでしょうか?」

 「そんなにお金があるなら東南アジアでも行って、お嫁さんを買ってくれば?

 いくらでもいるでしょう? それなら」

 「西條さん、それではロマンがないじゃないですか?」

 「ロマン? アンタ馬鹿なの?」


 縁は飽きれて何も言う気がしなかった。

 この男は結婚を何だと思っているんだろう? 全部自分中心。つまり自己中なのだ。



 「自分も好きだから相手も好き」


 

 まともな女は誰も相手にはしない。


 「はっきり言って今のあなたの外見では厳しいと思う。

 高須クリニックにでも行って、顔を山ピーに整形して、ライザップでその付き出たお腹を6つに割って、それからアートネーチャーで増毛してもらうことね?

 どうせお金があるんだから」


 関口はため息を吐いた。


 「結局、女の人は外見ですか? 内面よりも」

 「アンタ、内面はいいと思ってるの?」

 「ええ、誠実だしフェミニストですから」

 「それに嘘吐きだしね」


 関口は半べそをかいていた。


 「だって僕、結婚したいんですよ!」

 「アンタの話を聞いているとさあ、結婚がしたいんじゃなくてセックスがしたいだけなんじゃないの?

 それなら結婚なんて面倒臭いことしないで、デリヘルでも呼んだら?」

 「デリヘルとかの風俗ではイヤなんです。

 だって愛がないじゃないですか?」


 (お前に抱かれるのはお金のためだろ? そこに愛を求めるか普通? 一生独身でいろ!)


 「とにかく私は無理だから」


 縁は自分の珈琲代を払うため、レジへと向かった。

 関口の刺さるようなイヤらしい視線をお尻に感じながら。




 由美から電話が掛かって来た。

 

 「どうだった? イケメン公務員は?」

 「ハゲた高木ブーだったわよ。もう最悪」

 「縁もそうだったんだあ。こっちも同じ、身長182センチどころか私よりも10センチも低いし、年収もダメ。

 結婚しても私も働かなきゃ食べていけないレベル。

 やっぱり結婚相談所しかないかなあ、高くても確実だしね?」

 「でもなんだか現実が見えて良かったわ、マッチングアプリは賭けね? シンデレラになれるかどうかの」


 縁と由美は深いため息を吐いた。



 「次よ次、がんばろうよ縁。お互いに」


 由美は本気で結婚に憧れているようだった。


 縁はそんな由美が羨ましかった。




第4話 

 マッチング・アプリの顔が宛にならないことを学んだ縁は、関口のやり方を応用することにした。


 つまり、待ち合わせの相手の目印を先に言わせ、プロフィールと異なる場合はそのまま会わずにドロンすることにしたのだ。

 今度のお相手はジャニーズ系のイケメン・コックだった。

 年齢は26歳で縁よりも2歳年下だった。

 金髪に耳にピアス。結婚相手としてはいかがなものかとは思ったが、好みの顔だったので会って見たくなった。


 (今度もハズレか?)




 縁は待ち合わせに大宮駅のマックを指定した。

 客の多いマックなら、客に紛れてその野島という若者を観察するのに都合が良かったからだ。



 10時の待ち合わせの5分前に縁はマックに着いた。

 野島は赤いキャップを被ってくると言っていたので店内を見渡すと、彼はすでに到着していて、スマホでゲームに興じていた。


 縁は嬉しくなった。写真と実物が同じだったからだ。

 縁は野島に声を掛けた。



 「野島、豊さんですか?」

 「うんそうだけど、お姉さんが西條さん? 実物の方が断然いいじゃん、ラッキー!」


 縁は野島に褒められ気分が良かった。



 「ごめんなさいね? 待たせちゃって?」

 「ううん、俺もさっき来たばっかだから大丈夫。

 ゆかぴょんは銀行のお姉さんなの? いいね? お金がたくさんあって」


 (コイツ、いきなり「ゆかぴょん」と来たか? 女に慣れてる感じ)



 「お金って言っても私のお金じゃないけどね?」

 「えっ-、宮沢りえちゃんみたいに好きな男のために持って来てくれんじゃないんだ? つまんねーの」

 「映画の『紙の月』のお話しね? どうかしら? 豊君にそれだけの魅力があればの話だけど」


 縁も負けてはいなかった。

 年上の余裕を見せてやろうと思い、ゆたかを挑発した。



 「でも安心した。昨日の女なんて最悪だったから。

 ブスでデブで、おまけに上から目線で偉そうに説教まで垂れて。

 エッチする気にもならなかったよ。

 でもゆかぴょんは全然オッケー、いくらでもしたい」

 「豊君はコックさんだったよね? どんなお料理を作っているの? フレンチ? それともイタリアン?」

 「俺? ヒルトンのフレンチのコックだよ、今度、食いにおいでよ、ご馳走するから」

 「ヒルトンなんてすごいじゃない!」

 「別に大したことはねえよ、だって俺がすごいんじゃなくてホテルがデカいだけだから。

 俺、パリの三ツ星レストランで修業して、東京で自分の店を持つのが夢なんだ」

 「へえー、凄いじゃない。ただのチャラ男じゃないんだね? 素敵な夢ね?」

 「夢がなかったら生きている意味がないっしょ!

 ゆかぴょんの夢は何?」

 「私の夢?」


 縁は即答出来なかった。

 とりあえず結婚はしたいと思って婚活は始めたが、具体的な夢はなかった。

 結婚後の生活についても同じだった。


    

     「こんな暮らしがしてみたい」


 

 というものが見つからなかった。


 毎日銀行と家の往復。男とも別れ、寂しい毎日を送っていた。



 「ゆかぴょんは夢ねえの? 辛くねえのそんな毎日で?」

 「夢ってなくっちゃ駄目なもんじゃないでしょう? 

 強いて言えば「夢を見つけるのが夢」かな?」

 「まさかゆかぴょん、「結婚するのが夢」、なんて言わねえよね?

 それじゃそこいらのヤリマンと同じだぜ? 結婚なんて夢じゃねえよ、あんなのクソだ」

 「何よ偉そうに。結婚したこともないくせに」

 「あるよ」

 「バツイチなの? 豊君?」

 「俺、20歳の時に5歳上の女と結婚して、5歳のガキもいる。

 息子は女房が引き取って、もうずっと会ってねえ。会わせてくれねえんだ」


 豊は少し寂しい顔をした。


 「子供さんに会いたいとは思わないの?」

 「そりゃ思うよ、思うけど会わせてくんないんだからしょうがねえだろう?」

 「そうだったんだ? どうして別れちゃったの?」

 「俺がだらしねえからだよ。

 浮気はするわ、パチンコに競馬とギャンブル好き。愛想をつかされて当然じゃん」

 「そりゃそうだね? あなたが悪いよ、それは。

 でも今は真面目にやってるんでしょ? ヒルトンで働いているんだし」

 「今はね? ちゃんとやってるよ」


 縁はそんな豊が嫌いではなかった。

 おそらくそれは母性ではなく、ダメな弟をかわいいと思う姉の気持ちに近いものかもしれない。

 縁には男兄弟がいなかったので、弟が欲しいという願望は子供の頃からあったからだ。



 「ねえゆかぴょん、これからお馬さんを見に行かない?」

 「馬って牧場とか?」


 豊は笑った。


 「まあ牧場といえば牧場だけど、馬が走っているところを見るんだからね? あはははは」




 縁は豊かに連れられて、大井競馬場にやって来た。



 「ゆかぴょんの誕生日は何月?」

 「2月だけど」

 「じゃあ好きな数字は?」

 「8」

 「よし、じゃあ2-8の馬連で勝負だな?」



 豊は2-8の馬連馬券を500円だけ買った。



 「これで来たらすごいよ、万馬券だから5万円以上になる。

 ゆかぴょん、もしこれで当たったらさあ、俺たち、付き合うのってどう?」


 縁はそれも面白いと思った。

 もしも当たったらこれは運命の出会いのはずだと。



 「いいわよ、どうせ当たりはしないんだから」

 「当たればの話だよ、当たればの話」




 レースが始まった。

 2番の馬は先頭集団にいたが、8番の馬は最後方にいた。


 ところが第3コーナーを回ったあたりから、ぐんぐん8番の馬が追い上げて来た。



 やがて2番が先頭に立ち、8番が2着に上がってきた。

 縁も豊も叫んた。


 「そのまま、そのままー!」



 

 だが、ゴール直前で5番の馬に8番の馬が躱されてしまった。

 馬券はハズレてしまった。


 縁は馬券がハズレたことより、豊と付き合えない事の方が寂しかった。

 縁はがっかりした。


 ところが豊は飛び上がって喜んでいた。


 「やったー! やったよゆかぴょん! ほら万馬券だよ! 本当は2-5で1,000円買っておいたんだ!

 だから15万円! やったー! やっぱりゆかぴょんは「あげまん」だよ!」



 縁は豊かに強く抱き締められた。

 縁は久しぶりに男に抱かれ、体が熱くなった。


 その日から縁は豊と付き合うことになった。


 このロクデナシの寂しがり屋と。

 

 


第5話

 年上とばかり付き合ってきた縁は、豊とのそれはとても新鮮だった。


 話し方も仕草も、まるで弟のようだった。

 セックスを除いては。



 豊のセックスは縁をクタクタにさせた。


 彼のそのテクニックはまるで手慣れたAV男優のようだった。


 体が蕩けそうな口づけから始まり、カラダ全体をくまなく攻めて来る。


 乳首を抓ったり舌で転がしたり、クンニリングスに関しては縁の大きめのクリトリスの皮をめくり、フェラチオをするかのように舐めたり吸い出したりして、エクスタシーの谷へと突き落とされてしまう。


 縁がマゾ体質なのを素早く見抜いた豊は、縁のカラダを拘束して自由を奪うと、軽く叩いたり、言葉責めをしたりした。


 「ほら、こんなにぐちゅぐちゅにして、スケベな女だな? 縁は。

 ここか? ここをこうして欲しいのか?」


 さっきまで縁を「ゆかぴょん」と呼んでいた豊は、ベッドの上では「ゆかり」と呼び捨てにした。



 豊は縁のアソコに自分のペニスを擦り付け、焦らした。



 「入れて欲しいか?」

 「お願い、早く入れて!」

 「入れてじゃねえだろう? 「入れて下さい」だろう?」

 「い、いれて下さ、い・・・」



 じわりじわりと縁の濡れたヴァギナに、豊の若いいきり立った男根が深く挿入されて行った。


 縁の子宮にそれが届くのを確認した豊は、数回のピストン運動を繰り返すと、突然ペニスを引き抜き、バックスタイルの体勢になると、縁の髪を鷲掴みにし、激しく腰を打ち突けた。


 「ほらほら、もっと声を出しなよ、やめてもいいの? 縁?」



 お互いのクライマックスが近づいてきて、縁の喘ぎ声は絶叫へと変わった。


 年配の不倫相手では味わえない、激しい絶頂感に縁は我を忘れた。


 

 豊は射精する直前でペニスを抜き取り、縁の顔に射精をした。

 美しい色白の縁の顔を汚した征服感に、豊は笑みを浮かべていた。


 彼の若いペニスがいつまでもビクンビクンと力強く脈打っていた。



 縁の髪にまでザーメンが飛び散ったが、縁の女性器の収縮は続いていた。

 縁はベッドの上で小刻みに痙攣していた。




 ようやくカラダが落ち着いた頃、豊が言った。


 「ゆかぴょん、どうだった? 俺のセックス?」

 「凄かったわ、とても・・・」

 「なら3枚でいいよ」

 「えっ? お金、取るの?」

 「当たり前っしょ、ボランティアじゃないんだからさあ。仕事だよ仕事」


 縁は財布から3万円を取出すと豊に渡した。


 「サンキュー、ゆかぴょん。やりたくなったらいつでも呼んでちょ!」

 「いつもこんなことしてるの?」

 「そうだよ、副業副業。

 俺も大変なんだよ、色々とねー。養育費も払わなくっちゃなんねえしさ。

 でもゆかぴょんさ、そうとう溜まってたんだね? ほら、シーツがびっしょりだもん」


 豊は縁のラブジュースとオシッコでぐっしょりと濡れたシーツを手のひらで撫でた。



 「パリにお料理の勉強にはいつ行くの?」

 「行くわけないっしょ、信じた? あんなの嘘に決まってるぴょーん!」


 縁は全身の力が抜けた。

 でも縁は思った。


 (ホストと遊んだと思えば安いものだわ)



 「俺、バイトだから行くね?」

 「ヒルトンに?」

 「居酒屋『昼豚ひるとん』にね? それじゃバイチャ!」


 豊はそう言ってホテルを出て行った。



 縁は大声で笑った。涙が出るほど笑った。

 自分の愚かさがまるでコメディのようだったからだ。


 縁は裸のまま、由美に電話を掛けた。


 「もしもし、由美?

 今度は結構良かったわよ、お金は取られちゃたけど面白かった。

 結婚対象外の子だったけど、あっちの方は超一流だった。

 公務員とかお金持ちのおじいちゃんと結婚して、セフレにするにはいいかもしれない。あはははは」

 「えっー、お金取られたっていくら?」

 「3万円」

 「それ、警察に言った方がよくない?」

 「いいのよ、ホストで遊んだと思えば安いものよ。

 それに結婚セミナーの受講料だと考えれば諦めもつくしね? 久しぶりに何回もイッちゃった」

 「私の方は最悪。

 今度はヨボヨボのジジイだった。

 しかも会っていきなり、「やらせろ!」よ。どうして男ってそればっかりなのかしら。ガッカリしちゃう」

 「由美、私そろそろ真剣に考えようかな? 結婚のこと」

 「真剣じゃなかったの?」

 「実はあまり気乗りしなかったの、ゴメンね。

 でもお陰で目が覚めたわ。

 明日、結婚相談所に登録してくる」

 「そうか? 本気になったか、縁も。

 じゃあ今度は縁が私に教えてね? よかったら私も入会するから」

 「うん、また連絡するね?」





 縁はネットで近くにある結婚相談所を検索し、3か所に絞り込んだ。


 「さあて、白馬の王子様を探しに行くとするか!」


 縁の心は躍った。


 若い男に抱かれ、モヤモヤが一気に吹き飛んだ縁の心は快晴だった。




第6話 

 縁は大手結婚相談所に登録することにした。

 駅のショッピングモールにある婚活相談所で利便性もよく、モールの一番奥にあるため、プライバシーにも十分配慮されていた。


 担当者は中年のハキハキとした女性で、縁はこの手の女性が少し苦手だった。


 「初めまして、担当させて頂きます今野こんのです。

 では西條さん、早速ですが書類を確認させていただきますね?

 独身証明書、所得証明書、それから大学の卒業証書のコピーと運転免許証、あと資産を証明するものがあればお願いします」



 縁はそれらを提示すると、今野さんはそれをひとつひとつ丁寧に確認していった。



 「明治大学を出られているんですね? そしてお勤めは銀行の総合職。収入的にも問題ありませんし、女優さんみたいにお綺麗。

 そんな西條さんがどうしてここに?」


 少しうれしくなった。

 今野さんの印象が初対面の時とは異なり、信頼が持てる人だと感じた。



 「中々いい出会いがなくって。

 マッチングアプリとかもやったんですけど最悪でした。

 私、真剣に結婚したいんです」

 「銀行にお勤めなら、素敵な男性も多いでしょう?」

 「いい人はすでに妻帯者ばかりで、それに年下はちょっと・・・」

 「そうですか? 海に漂う小舟というワケですね?」

 どういう意味ですか?」

 「水はたくさんあるのに飲めない塩水という意味です」

 「なるほど」

 「それでは当社のシステムについてご説明いたします。

 まず登録していただきますと、優先的に上位に西條さんの情報が弊社のサイトにアップされます。

 おそらく西條さんの場合、もの凄い数のお見合いの申し込みがあると思います。

 ただし、遠方の方とのお見合いを希望される場合は、西條さんがそこへ自己負担で赴かなければなりません。

 つまり、大阪の人に西條さんがお見合いを希望される場合は、大阪まで自費で行っていただくことになります」

 「会いたいと思った方が相手の場所へ行くということですね?」

 「おっしゃるとおりです。

 最初のお見合いは1時間程度だと思って下さい。もちろん、個人的に住所や連絡先の交換は厳禁です。

 これは万一の防犯対策でもありますので、必ず守って下さい」

 「わかりました」

 「そしてお見合いの感触が良ければ、次にデートとなりますが、これはつまり、友人以上、恋人未満の状態です」

 「お試し期間というわけですね?」

 「はい、その通りです。

 その間は複数のお相手とお付き合いすることも可能です。

 それから結婚を意識しての交際になりますと真剣交際となり、検索がブロックされて他のお相手との同時交際が出来なくなります。

 この段階まで進みますと、ほぼゴールインとなります」

 「なるほど」

 「では登録してみますね?」


 今野さんは手慣れた操作でパソコンに縁のデータを入力していった。



 すると、ぞくぞくとお見合いの依頼が殺到して来た。



 「さすがは西條さん、凄い人気ですね?

 まずは一番いい条件の男性を絞り込みましょう。

 年収1千万円以上でイケメン、次男で・・・・。

 この方とかはいかがですか? 外科のお医者さんのようですね? どうですか?」

 「お医者さんですか? 私と釣り合いますか?」

 「まったく問題ありませんよ、縁さんなら十分釣り合います」

 「そうでしょうか? では、せっかくなのでその方と会ってみます、嫌われたらそれまでですもんね?」

 「そうです、あくまで選択権は西條さんにあります、強気でのぞみましょう!」





 そして2日後、縁は初めてその外科医とお見合いをすることになった。


 幸村俊一、32歳。名門医大病院の外科医だった。



 お見合いは都内の一流ホテルのカフェだった。



 「初めまして、幸村俊一といいます」


 縁は一目で幸村が好きになってしまった。

 医者だというのに偉そうな態度は微塵もなく、やさしくて理知的な物腰の男性だった。


 何事にもスマートで、包み込むような眼差しで縁を見ていた。


 (幸村さんなら、たとえ余命宣告をされても素直にそれを受け入れることができる)



 「なんだかうれしいなあ、あなたのような人とお話しが出来るなんて」

 「お上手ですね? 幸村先生のような方なら引く手あまたじゃないんですか?」


 まんざらではなかった。縁は少し意識してダージリンを口にした。


 「それなら西條さんだって同じでしょう? エリート銀行員の憧れの的じゃないんですか?」


 幸村と縁は笑った。



 「大学病院なんて意外と出会いがないものなんです。

 特に僕の場合は手術を担当しているのでストレスも強くあります。

 常に命と向き合っているのでね?

 だから家に帰った時は癒されたいし、奥さんを労わってもあげたい。

 そんな温かい家庭を作りたいと思っています」

 「私も同じです。

 毎日毎日、他人のお金を数えていると、ストレスも酷い物ですよ。

 「間違えました」ではすまされないお仕事ですから」

 「そうですよね? 僕は命を、そして西條さんはお金を扱っている。

 お互いに労りあって生活できたらいいですね?」


 縁の気持ちはすでにこの時決まっていた。




 後で今野さんにお付き合いを希望する旨を伝えると、


 「幸村さんも大変あなたをお気に入りのようでしたよ。

 良かったですね? ビッグカップルの誕生ですね?」

 「ありがとうございます。

 幸村さんてお医者さんなのにすごく謙虚な人でした。

 どうですか? 婚活のプロ、今野さんから見て幸村さんは?」

 「あまりにも第一印象が良かったので要注意かとも思いましたが、それは杞憂のようでしたね?

 何度かデートを重ねれば、より親近感が湧くと思います。

 もし、ひとつだけアドバイスをするとすれば、幸村さんはお酒が飲めると資料にありましたので、一度、へべれけになるほどお酒を飲ませてみるのもいいと思います、酔うと本性が出ますから」

 「わかりました。試してみます」


 縁の心は躍っていた。


 (きっと大丈夫、幸村さんなら)



 今度の週末の夜、縁は幸村と食事デートをする約束をした。 


 


第2章 恋の始まり

第1話 

 幸村は理想の相手だった。


 イケメンで背が高く、理知的で優しさに溢れていた。

 医者で収入もあり、開業すれば贅沢な暮らしも予想出来る。


 そして何よりも良かったのは、幸村の話が面白いことだった。

 デートの度に、いつも幸村は縁を楽しませてくれた。




 縁たちは青山のお洒落なレストランバーにいた。


 「幸村先生はあまりお酒は飲まないんですね?」

 「いえ、好きですよ、お酒は大好きです」

 「いつもあまり召し上がらないようなので」

 「担当が外科なので、我慢しているんです。

 いつ患者さんの容態が急変して、病院から呼ばれるかもしれないので。

 本当は飲んで暴れてみたいですよ、縁さんとなら」

 「大変なお仕事なんですね? お医者さんって。

 実はね、コーディネーターの人から言われたんです。

 「幸村先生のようにパーフェクトな人は、一度、酔わせてみて本性を見るのもいいですよ」って。

 ごめんなさい」

 「そうでしたか? いい事を言いますね? 彼女。

 そうですよね? それが一番いい方法かも知れません、本当の相手を知るには。

 では縁さん、あなたの本性も知りたいなあ。

 いいですか? あなたをもっと酔わせても?」

 「私、こう見えてもお酒は強いんですよ。うふっ

 酔いませんよ、そう簡単には」

 「では今夜はとことん飲んで下さい。

 酔った縁さんの本性が見てみたい」

 「いいですよ、じゃあ少し強いお酒に変えますね?

 すみませーん、テキーラを下さーい! ショットで!」



 ところがその日は幸村とのデートが楽しくて、仕事の疲れもあり、縁はいつもより早く酔いが回ってしまった。



 「もう、そのくらいでいいですよ、縁さん。

 十分わかりましたから、縁さんがいかに楽しくて面白くて、そして涙もろい、やさしい女性だということは」

 「何を言ってるのよー、俊一。いえ、俊ちゃん!

 私はまだまだ大丈夫なんだからあ~、酔ってなんかいませんよ~だ」

 「わかりました、わかりました。

 ではそろそろ帰りましょうか? 送りますよ、ご自宅の近くまで。歩けますか?」





 目が醒めて、頭がズキズキした。


 気が付くと、縁は自分のベッドの上に寝かされていた。

 服を着たままで。


 そしてベッドの下でネクタイを緩めて幸村が眠っていた。


 すぐに縁はこの状況を理解した。


 (やってしまった!)


 

 折角の結婚もこれで終わりだと思った。

 幸い部屋はきれいにしていた。

 それはいつ不倫相手が来てもいいようにと、それが習慣になっていたからだ。



 縁は下着が干してあるのを見つけ、慌ててそれを回収した。



 「ああ、すみません、寝ちゃったみたいですね?

 でも信じて下さい、何もしていませんから」

 「ご、ごめんなさい、家まで送ってくれたんですね?」

 「ええ、すみませんでした。あんなにお酒を飲ませてしまって。

 縁さんを近くまで送って帰るつもりだったんですが、縁さんに誘われてつい部屋まで上がり込んでしまいました。

 私も疲れて眠ってしまったようです」

 「いいえ、自分で飲んだだけですから、本当にごめんなさい」

 「でも縁さんといると凄く楽しいなあ、いつかあんな風に縁さんと飲んでみたいと思いました」

 「もう、幸村さんの結婚対象外ですよね? 私」

 「えっ? 僕じゃダメですか? 結婚相手には?」

 「逆ですよ! こんなふしだらな大酒飲みの私では幸村先生には相応しくないんじゃないかと思って・・・」

 「寧ろもっとあなたが好きになりました。

 真剣交際へ進んでもいいですか?」

 「ホントですか!」


 縁は思わず幸村に抱き付いてしまった。


 「それからお願いがあります。

 これからは先生じゃなく、名前で呼んで下さい。夕べみたいに」

 「しゅん・・・」


 縁は恥ずかしそうに幸村のことをそう呼んだ。


 「ありがとう、ゆ・か・り」



 そしてその後、ふたりの結婚へ向けた最終チェックがベッドで行われた。


 カラダの相性もぴったりだった。


 


第2話 

 その日から縁と幸村の真剣交際が始まった。

 縁は毎日が楽しかった。

 すべてが輝いて見えた。



 銀行の女子トイレで化粧を直していると、後輩の杉浦美香が声を掛けて来た。


 「主任、何だかとても楽しそうですけど、何かいいこと、ありましたね?」

 「別に何にもないわよ、いつもと同じよ」

 「怪しいなあ、もしかして彼氏さんと結婚が決まったとか?」

 「その時は大々的に発表するわよ。

 それよりあんたはどうなのよ?」

 「私はまだ先です。

 だって若いうちにもっと仕事してお金も貯めたいですし、色んなイケメン君と遊びたいじゃないですか?

 私、まだ結婚には興味がありません」

 「子供とか欲しくないの?」

 「そりゃあ欲しいですよ。だからこそ簡単には結婚したくないんです。

 なるべくいい環境で子育てしたいじゃないですか?」

 「そうね? 結婚は条件とタイミングだもんね?」

 「主任はいいですよ、モデルさんみたいに美人ですから。

 私みたいな童顔ぽっちゃり体形では中々厳しいですからね?

 この前も彼に言われちゃいましたよ、私が上になってエッチしていたら、「重いっ」て。

 ホント、失礼でしょう?

 ダイエットしなくっちゃ」


 (ごめんね美香、私、イケメンドクターと結婚するの。

 だから私、今、最高にしあわせ!)



 


 私と俊一は出来るだけ一緒の時間を作った。

 彼が大学病院の医者をしているので、会える時間は少なかった。

 だが限られた時間だからこそ、ふたりの愛も燃え上がった。



 「ねえ、今日は何が食べたい?」

 「そうだなあ? 肉がいいな、すき焼きとかどう?」

 「それいい! すき焼き大好き!」



 縁と幸村は夕食の買い出しにスーパーにやって来ていた。


 ショッピングカートを押す幸村。

 食材や調味料を吟味し、カートへ入れていく縁。

 ふたりはすでにラブラブの新婚夫婦のようだった。


 縁は思う、女の幸せとは結婚だと。


 男が歳を取るのと、女が歳を取るのではニュアンスが大きく異なる。

 男は年齢とともに収入と資産も増え、社会的地位も上がり、人間としての円熟味も増していく。

 だが女の場合は、そのままカラダが衰えて行くだけだ。

 肌のたるみや皺、どんどん美しさが失われ、ただのオバサンやお婆さんになって行く。


 だから女の旬の内に、自分が美しい時になるべく自分を高く売りたい。

 年齢が高くなればなるほど、相手に求める条件を、下げていかなければならないからだ。


 旦那も子供もなく、迎える孤独な老後など考えたくもなかった。


 経済力ももちろん必要だが、何よりも毎日、「楽しい会話」が出来ることは大切だ。

 そして愛し合うことも。


 現実問題として、セックスが合わない夫婦の末路は悲惨だ。




 今日は幸村のマンションで夕食を食べた。

 ふたりは軽くビールを飲みながら、すき焼きに舌鼓を打っていた。



 「安いスーパーのお肉でも、結構美味しいね?」

 「それは縁の調理が上手いからだろう?」

 「ありがとう、俊にもっと喜んでもらえるように勉強するね?」

 「俺も勉強しようかな? 料理。

 結婚したら一緒にキッチンに立つのもいいよなあ」


 縁はしあわせだった。




 いつものようにセックスを楽しんだ後、縁は幸村に体を寄せ、ピロートークになった。



 「ごめんね俊。私、貧乳で」

 「俺は小さい胸の方が好きだよ。

 お互いに勘違いしているんだと思う、先入観に囚われすぎだよ。

 「胸は大きい方がいい」とか「アソコは大きい方がいい」とかさ。

 食事と同じだよ、結局は相性じゃないのかな?

 俺は縁のカラダ、好きだよ。感じ易いし」

 「俊のエッチ」

 「セックスしていて女の子が醒めてたり、「それはヤダ」とか、「あれは止めて」とかいうのも萎えるよなあ。

 「もういいやっ」てなっちゃうからね?」

 「私は俊のことが大好き。いつも「こうしてくれると気持ちいいのになあ」というところをちゃんとしてくれるもん」

 「この世に女がいなければ、世の中は終わるよ。

 子孫は残らないし、男は働く気力もなくなる。

 男にとっていいお嫁さんを娶ることは、「いい人生を手に入れる」のと同じことだからね?

 俺は本当にツイているよ、縁と出会えて」

 「私もそうだよ、もっともっと俊のために尽くしてあげたいと思うもん。

 ギブ&ギブでいいの。私は」

 「俺も縁にギブ&ギブするよ」

 「じゃあ、もう1回して。お願いします」

 「喜んで!」


 夜の第3ラウンドが開始された。




第3章 究極の愛

第1話 

 着々とふたりの結婚準備は進んでいた。


 両方の両親にも挨拶を済ませ、後は式の段取りをするだけだった。



 「式場はやっぱり都内のホテルの方がいいかしら?

 俊の病院も都内で近いから」

 「縁は大丈夫なのか? 本店は埼玉だろう?」

 「私の方は大丈夫、銀行の人は義理で呼ぶだけだから」

 「そうか? じゃあなるべく招待者が来やすいところを選ぼうか?」

 「うん、それでいいよ」


 縁はうれしそうに式場のパンフレットを見ていた。


 その時、幸村の携帯が鳴った。

 携帯のディスプレイの表示は病院からだった。


 「はい、幸村です。

 ・・・、わかりました。すぐに行きます」


 「悪いが呼ばれたから行くよ」

 「大変ね?」

 「患者さんの容態が思わしくないようだ。おそらく病院に泊まりになるだろうから、式場は縁に任せるよ」


 幸村はそう言って縁にキスをし、家を出て行った。


 医者と結婚するということは、こういうことなんだと縁は納得していた。


 デートの途中でもよくあることではあったからだ。

 だが、寂しくもあった。

 それは縁の幸村への感情が、恋から愛に変わった証でもあった。


 (彼のためにもっと尽くしたい)


 縁はそう思った。





 病院に着き、幸村が手術着に着替えていると、背中に違和感を感じた。


 (筋肉痛?)




 手術が終わり、着替えようとしてからの記憶が幸村から消えた。



 「先生! 幸村先生!」


 気が付くと幸村は病院のベッドにいた。



 「先生、大丈夫ですか?」

 「俺、気絶していたのか? 過労かな?」


 起きようとしたが、すでに何本かの点滴が装着されていた。

 そしてその点滴を見て、幸村はそれがただの過労ではないことをすぐに悟った。


 「池内先生かな? 俺を診てくれたのは?」

 「はい」


 看護師の里見はすぐに感情が顔に出る。

 幸村はすべてを理解した。


 自分が膵臓ガンだと。

 しかもかなり進行しているようだった。



 池内医師がやって来た。

 彼は膵臓ガン治療のエキスパートだった。


 「池内先生、クレプスですね?」

 「ああ、でも心配するな。まだ病理から検査結果が出ていない。

 すべてはそれからだ、治療方針を決めるのは」


 だがその時、すでに幸村のガンに完治の見込みはなかった。

 すべては遅すぎた。

 余命6か月と推察された。

 医者である幸村にもその実感はなかった。


 (俺が死ぬ? そんな馬鹿な! 俺はこれから縁と結婚してしあわせになるというのに!)


 幸村のカラダからチカラが抜け、涙が溢れた。





 幸村は一旦自宅に戻った。


 「おかえりなさい。患者さん、大丈夫だった?」

 「ああ、持ち直したよ」

 「ねえ? 少し高いんだけど、この際だから皇居の前のパレスホテルはどうかしら?

 東京駅にも近いし、地方から来てくれる親戚やお友だちにもいいし」

 「悪いが結婚は出来なくなった」

 「ちょっと俊、悪い冗談は止めてよね、縁起でもない」

 「縁、落ち着いて聞いてくれ。今日、病院で倒れたんだ。

 それで俺は末期の膵臓ガンだと分かった。

 あと半年もつかどうかだ」


 縁の顔からみるみる血の気が引いて行った。



 「女でもいるの? どうせ吐くならもっと上手な嘘にしなさいよ!

 何? その末期ガンで半年の命って。

 安っぽいテレビドラマじゃあるまいし。

 素人だからってバカにしないで!

 私のことが嫌いなら、「嫌いだ」ってそう言えばいいでしょう!

 そんな見え透いた嘘なんていらない!

 別れて欲しいなら別れてあげるわよ! 今すぐに!」


 すると幸村は胸ポケットから封筒を出し、縁にそれを静かに渡した。


 「僕の診断書だ」

 「イヤよそんなの、そんなの見ないから! そんなの見れるわけがないじゃない!

 イヤよ、そんなの・・・。

 そんな話ってある? これからでしょう? 私たちの人生って?」


 幸村も縁も泣いた。

 抱き合って声を出してずっと泣いた。



 「縁、僕は思うんだ、これが僕の寿命なんだと。

 人は病気や事故で死ぬんじゃない。寿命なんだよ、人が死ぬのは寿命が来て死ぬんだ。

 失恋は僕も経験している、そして君もだ。

 男の場合、その人を忘れるためには付き合った時間と同じ時間が必要だ。

 3年交際すれば3年、10年付き合えば10年と、その傷が癒えるには時間がかかる。

 僕と縁は出会ってからまだたった4か月だ。

 4か月経てば君も僕を忘れることが出来るはずだ。

 すまないが、新しい相手を探してくれ」

 「そんなのイヤよ!

 俊みたいな男性、何処を探してもいるわけがないわ!

 これからも、その先もずっと!

 だったら連れて来てよ! 俊と同じ人を!

 その髪も声も! その澄んだ瞳も肌の温もりも!

 そしてあなたのように美しく優しい心を持った人を!

 私、あなた以外の人なら結婚なんてしなくていい! ずっとひとりでいい!

 その方が幸せよ!」

 「縁、死ぬのは僕だけじゃない。

 みんな死ぬんだよ、もちろん縁もみんな死ぬんだ。

 それが早いか遅いかだけの違いだ。  

 だから君は生きるんだ、生きなければいけない。

 楽しく幸せに。

 人間は悲しむために生まれたわけじゃないんだから」

 「結婚しよう、結婚しようよ私たち」

 「君はバツイチになってしまうんだよ」

 「それでもいい、いえ、寧ろその方がいい。

 あなたは私が本当に愛した人だから。

 お願い、だから私と結婚して。式も何もしなくていい、入籍だけでいいから。

 そして残された時間を精一杯、たくさんの思い出を私に頂戴・・・」


 すると幸村は鞄から小さな箱を取り出した。


 「正式なプロポーズはまだだったよね?

 サプライズにしたかったんだけど、これ、婚約指輪だ。

 縁、僕と結婚して下さい」

 「・・・はい」


 縁は左手を幸村に差し出した。

 幸村は跪き、縁の薬指にダイヤの指輪をはめた。


 そしてふたりは抱き合い、泣きながらキスをした。


 それは悲しい涙のキスではなく、儚い希望の涙のキスだった。




第2話 

 翌日、縁と俊一は役所に婚姻届を提出した。


 そして近くのカルバリー教会へ行き、牧師に事情を話した。



 「おお、ジーザス! この悲劇の者たちにご加護と祝福を」



 ふたりだけの結婚式が始まった。

 聖歌隊も誰もいない静かな結婚式。

 教会に響き渡る牧師の声。



 「病める時も富める時も、ふたりを死が分かつその日まで、汝、この者を妻と娶るや?」

 「はい」

 「汝、この者を夫とするや?」

 「はい」

 「では指輪の交換と誓いのキスを」


 縁と幸村は互いの指に結婚指輪をはめ、誓いのキスをした。


 教会には縁と幸村、そして牧師のすすり泣く声がチャペルを彷徨った。




 新婚初夜は熱海の老舗温泉旅館にした。


 その交わりは極めて神聖なものだった。

 そこに肉欲は存在せず、死を前にした者とそれを受け入れようとする凝縮された愛の営みがあった。



 ふたりは同じ床の中で微睡まどろんでいた。



 「ソクラテスだったかなあ、「死はいうまでもなく、肉体からの解放である」と。

 僕は今、とても満たされている。

 殆どの人の死は突然の人生の中断だ。まるでコンセントを引き抜かれた扇風機のように、無情に停止してしまう。

 だが、僕にはその猶予が与えられた。

 僕は幸せな男だよ。

 縁と出会えて僕は最高にしあわせだ」

 「これからも私のことをたくさん愛してね? 私も思い切り俊を愛すると誓うわ。

 私ね、俊と出会ってわかったの。人を愛することがどんなことなのか。

 愛って自分を忘れ、相手にすべてを捧げる想いなのね?

 私はあなたに私のすべてをあげる。

 だけどひとつだけ欲しいものがあるの」

 「それは何?」

 「あなたの赤ちゃんが欲しい」

 「縁がひとりで育てて行くというのか?」

 「ううん、私がその子に育ててもらうの。あなたのいない人生を生きる勇気を、その子から貰うの」

 「大変だよ、それは」

 「子育ての大変さであなたがいない悲しみを忘れることが出来るじゃない?」

 「気持ちはうれしいけど、それは出来ないな」

 「どうして?」

 「君と君の子供にはもっと素敵な旦那さんと、お父さんがいて欲しいから」

 「あのね俊、明日のことなんて誰にも分らないわ。

 仮に私がこの先、別な男性と結婚して子供が生まれたとしても、その人は死なないと誰が保証してくれるの?

 同じじゃないの? 私たちの子供も。

 私が俊よりも先に死んでしまうかもしれないし。

 私はあなたが死ぬなんて信じないわよ。絶対に」



 ふたりは抱き合い、お互いの肌の温もりを、永遠に体に刻み付けようとした。


 青い月の夜だった。


 


終楽章

最終話 

 そして半年後、真面目な彼らしく、幸村は余命を全うした。



 不思議と涙は出なかった。

 私は幸村の子供を妊娠していたからだ。




 親友の由美が縁を心配して慰めに来てくれた。



 「お腹の赤ちゃんは順調なの?」

 「うん、順調だよ。来月から産休に入るつもり」

 「そう。ねえ縁、後悔してない?」

 「後悔? どうして?」

 「だって・・・」

 「そうだよね? 普通はしないもんね? 死ぬとわかっている男と結婚なんて。ましてや子供を作ったりなんてしないわよね。

 でもね、私は満足なの。

 私ね、生まれて初めて本当に人を愛することが出来た気がするの。

 今までの恋愛はすべて恋だったと思う。

 好きだとか憧れじゃなく、本当に俊一にすべてを捧げたいと思った。

 私は今まで寂しかっただけなのよ、そしてみんなと同じになりたかっただけ、安心したかっただけののよ。

 不倫もそう、本当は彼のことなんて愛していなかった。

 彼に出会ってそう思ったの。

 だから簡単に別れることが出来たんだと思う。

 背が高いとか、イケメンだとか、次男じゃなきゃイヤとか、年収が高くないとなんてどうでもいいの。

 私は彼の事を愛しているわ、もちろん今でも。

 そして彼は死んではいない、このお腹の子を私に残してくれたから。

 だから私は辛くはないわ」


 縁は自分のお腹を摩りながら言った。



 「縁は強いよ、尊敬する」

 「ううん、その逆。

 私、この子がいなかったら彼の後を追って死んでいたかもしれない。

 寂しくて悲しくて、彼のいない人生なんて何の意味もないから。

 でもね? この子が生きる勇気を私にくれたの、弱い私を強くしてくれた」

 「女は弱し、されど母は強しかあ」

 「ありがとう由美、あなたのお陰よ」

 「それならいいけど、私、なんだか気が重かったから。

 縁を婚活に引き摺り込んだみたいで」

 「絶対に良かったよ。そうじゃなければ適当に結婚していたもの。

 この前ね、元カレから電話が来たの。「また付き合いたい」って」

 「それで?」

 「言ってやったわ、「私は人妻だからもうかけて来ないで」って。それでおしまい。

 彼の私への想いは私のカラダが目当てだったから。

 それはただの肉欲、恋愛じゃないもの。

 私が最初、結婚しようと思ったのは、彼に対する単なる負け惜しみだったんだと思う。

 当てつけ?

 いかに彼よりハイスペックな男性と結婚することで、それを見せつけたかっただけなのかもしれない。

 「ざまあみろ」ってね?

 結婚って幸せになるためにするものだと思ってた。

 でも違うの、本当の結婚は。

 結婚は条件じゃないの、その人を愛せるかどうかなのよ。

 彼が最期に言ってくれたの、


   「縁、ありがとう」って。


 私、すごくうれしかった。

 だって最期に私の名前を呼んでくれたのよ?

 臨終の床で最期に名前を呼ぶ人が、本当に愛した人だと思わない?

 だから私はしあわせよ」

 「縁、結婚って何だと思う?」

 「結婚はね、人生という障害物競争を一緒に走るパートナーシップのことね?

 だって明日はどうなっているのか、誰にもわからないでしょう?

 夫婦になることで喜びは倍になり、悲しみや苦しみは半分になるから」



 午後のカフェテラスにライム色の風が吹き抜けて行った。


                         

                          『ラストワルツ』完

  




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【完結】ラストワルツ(作品231202) 菊池昭仁 @landfall0810

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