第2話

「んだの? なんてタイトル?」


 茉莉花は本だけでなく、漫画もあまり読みません。その孫がずっと買っている漫画あるとは知らなかったのです。咲おばあちゃんは、漫画の新刊コーナーへ向かいながら興味津々で尋ねました。


「『Jジェイ』っていうの。人の闇がこれでもかって出てくる話なんだけど、主人公が格好いんだ」

「そうなの。ばあちゃんでも読めっか?」


 咲おばあちゃんの許容範囲はとても広く、純文学からライトノベル、児童書、SF、ホラー、ファンタジー、アクション、ほのぼの系、エッセイ、翻訳本、実用書、研究書……と、枚挙まいきょいとまがありません。


 それを知っている茉莉花は、くすっと笑います。


「うん、読めると思う。というか、おばあちゃんが読めない本ってあるの?」

「どうだべ。でも、この年になったって読んでない本は山ほどあるよ」

「あはは、毎月沢山の本が出ているもんね」


 茉莉花の返答に、咲おばあちゃんはちょっとだけ目を丸くします。


「茉莉花、本に詳しくなってるね。どうしたの?」


 すると彼女は得意そうな顔をして、「実はね、東京にいる友達が編集者をしているんだよ」と自慢げにいいました。


 咲おばあちゃんは、自分が買う本にはいつも敬意を払っています。

 作品を作る人がいて、それを本にするために色んな人たちが関わっていることは、その世界のことを知らなくても何となく分かるものです。


 その仕事に、茉莉花の友人が関わっていると聞いたら、急激に自分と本を作る世界が近くなったかのように感じて、咲おばあちゃんは何だか嬉しくなりました。


「んだのかー。それはすごいなぁ」

「それでさ、本って『初動』っていうのが大事らしくてさ」

「『しょどう』ってなんだ? 初めて聞いた」


 本には詳しくても、販売について詳しくなくて当たり前。

 情報社会になった現在では、これまで知られなかったようなことも知ることができるようになってきましたが、それでもすべての人が知っているわけでもありませんし、すべてのことを知ることができるわけでもありません。


 ちょうど新刊コーナーに辿り着き、咲おばあちゃんが小首を傾げていると、茉莉花が意味を教えてくれました。


「発売日から一週間くらいの売れ行きのことなんだって。それを見て、重版じゅうはんをかけるかどうかって決めるらしいよ。あ、重版っていうのは、またその本をするかどうかっていう判断らしいんだ。だから、作者さんもSNSで宣伝していたり、そういうネット記事を書いている人もいるみたい。それでね、私が買おうとしている漫画は、編集者をしている友達がいる出版社なの。だから、いつもは発売日がしばらく過ぎて思い出したときに買うんだけど、今日は早めにと思って来てみたんだ」


「んだのかぁ……」


 咲おばあちゃんはそう呟いたあと、きょろきょろと辺りを見渡します。茉莉花がどうしたんだろうと思っていると、咲おばあちゃんは「あった」と言って、『隣の家の山崎くん』というタイトルの漫画を手にしました。


 この漫画はほのぼの系な優しい内容で、主人公の「私」と隣の家の「山崎くん」が、隣人から友人として毎日を過ごすようになっていくお話です。ちょうど先月の上旬に最新刊の五巻が発売されたところでした。


「ばあちゃんが今手に取ったのって、もうひと月も前に発売されてんだけんど、その『初動』には入らないわけなのか」

「そういうことになるのかな。詳しいことは私もまだ分かんないんだけどさ」


 茉莉花は気にした様子もなくうなずきましたが、咲おばあちゃんは胸の辺りで、何だか今にも雨が降りそうな雲が渦巻いているような気持ちになりました。


(なんでだべ)


 不思議に思いましたが、このときはまだ答えが出ませんでした。


「そうだ。折角だから、おばあちゃんと別行動する前に、一緒に欲しい本を探してもらおう。ここから探すの苦手なんだよね」


「慣れてないと難しいの分かる」


 咲おばあちゃんは、うん、うんとうなずきます。

 昔、東京に行ったときにどんな本屋さんがあるだろうかと、好奇心だけでちょっと寄ってみたことがあるのですが、店舗が小さかったわりに所狭しに本が置いてあったため、どんなジャンルの本がどこにあるのかが分からず、欲しかったものが一冊も買えなかったということがありました。


 これがもし、慣れている人だったら気にせず買えていただろうなと思うので、茉莉花の気持ちはよく分かります。


「んだら、一緒に探すべ」


「うん! ありがとう! えっと、新刊だから、このコーナーにあるはずだよね?」


「うん。じゃあ、ばあちゃんはこっちの棚を見てみるな」


「分かった。私は反対のほうを見てみる」


 そう言って二人は分担して棚を見たのですが、中々見つかりません。二、三度舐めるように見ても結果は同じでした。 


「あれ、おっかしいな……。欲しい漫画がない」


「検索機があるから、それで見でみたら?」


「うん」


 咲おばあちゃんに提案され、茉莉花はレジの隣にある検索機に『J』を入れて見ます。ですが、「在庫なし」という表示になっていました。


「そっかないのか……。売り切れちゃったのか、それともそもそも置いていないのか……」


 はあ、とため息をつく茉莉花まりかでしたが、隣で見ていた咲おばあちゃんは、あることに気づきました。


「茉莉花、この本って発売日が今日なの?」


「うん、そうだよ」


「んだら、ここにはないべ」


「ええ? なんで?」


 小首を傾げる孫に、咲おばあちゃんは次のように説明しました。


「ここは東京からちょっと離れてっからね。発売の日が今日でも、店頭さ並ぶのは明日なんだ」


「え、そうなの⁉」


「んだ」


「おばあちゃん、何で知ってんの?」


「長年の経験だば」


 若いころの咲おばあちゃんは、新刊が出る度にその日に買いに行っていたのです。ですが、本屋さんにいくといつもなかったのです。

 あるとき理由を店員さんに聞くと「ここは一日ずれるんですよ」ということだったので、それ以来本屋さんでは発売日が一日ずれるのだということを知ったのでした。


「そうなんだね。じゃあ、発売になるのは明日ってことか」


「んだ。でも通販は違うよ」


「そうなの?」


「注文すっと、その日に届くことが多いなぁ」


「へえ、そうなんだ!」


 茉莉花が「すごーい」と言っている脇で、咲おぼあちゃんはしんみりと「あ、そういうことかぁ」と言いました。

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