悪い人が考えている小説を書く喜びについて

犀川 よう

まねしちゃだめだよ?

 小説を書く人間として、読者との会話でわたしが一番好きな瞬間は、「導いている」と感じられるときだ。それはどんな名文を書いたときにも、素晴らしいストーリーを仕上げたときにもない、背筋がムズムズするような達成感と充足感を与えてくれる。神様が見ていればすぐに地獄行き列車の特等席チケットを手配してくれるだろう悪行なのかもしれないが、作家としての快楽というものはなかなかに捨てがたいものがある。

 たしかに、わたしが一方通行の話を書いて読者を唖然とさせるどころかおいてきぼりにするのも悪くない。しかしながらそれは好きな瞬間の上から三番目くらいに位置する幼き悪戯心でしかない。

 読者をある感情に至らせていく――感動だとか感涙だとか胸が一杯になるとかいうやつだ――のも悪くない。それもまたある種の導きであるが、直接的で短絡的な呼び込みでしかない。上から二番目くらいだろうか。

 一番は読者を完璧に導くことである。それも自分が思っている方向に、読者が思っていない方向にだ。一言で説明するのはとても難しい。もし簡単であったらなら、こんな火遊びは何の価値もないではないだろうか。

 

 こんな話はどうだろう。わたしが小説を書いたとする。そして、冒頭部で出来るだけイメージが湧いてストーリーに興味を持ってもらうような話にしたとする。すると小説を読んだ読者が一人、また一人をわたしの前にやってくる。わたしは彼らや彼女らが迷わないよう、バスガイドが持っているような三角形の添乗員旗を手にしている。そこには「犀川読者ご一行」と書かれている。作家の強気な性格のわりにはとても慎ましく丸まった字体だ。旗の色は黄色の蛍光色、文字は黒である。

 読者はわたしの方へと少しずつ集まっていく。最初はありがたいことにわたしの小説の熱心なファンである若い女性三人組。続いてどこにでもいそうな家族連れ。おそらく妻のみがわたしの作品に興味を抱いている感じだ。夫はせっかくの休日だというのにと言わんばかりにあくびをしていて、寝ぐせも直していない。小学生くらいの娘は今日という日のため買ってもらったような真っ赤なスカート、それに白いシャツを着ている。どことなく緊張気味で、わたしが少しだけ微笑むと恥ずかしそうにうつむいた。

 他にも、いかにも小説好きな学生やサラリーマン、年配から高齢者まで、さまざまな人たちがわたしの添乗員旗を目印に集まっている。小説の冒頭部によって、これらの読者一行をわたしが従えて歩く準備は整ったようだ。

 わたしはメインストーリーやそれにまつわる例え話、あるいは登場人物の性格やエピソードなどを説明しながら、読者一行と緩やかな丘を歩いていく。熱心な信徒で固められた前列と違い、後ろ側の歩くペースは緩慢でやや間隔があいている。例の少女は下を向いたまま、母親の手に引っ張られるように歩き、わたしの小説どころか文学に 一家言がありそうな学生はくちゃくちゃとガムを噛みながら姿勢悪く歩いている。わたしはあの威厳のある旗を二、三度振りながら「はぐれないようにしてくださいね」と注意を促す。もちろん後列の読者たちは素直に聞かない。しかしわたしは納得して前を向き、歩き始める。言うべきことは言ったエビデンスを残せば十分なのだ。

 わたしは色々な態度の読者たち従え、もうすぐで美しい湖が見えるというY字路まで皆を連れてきた。そこでいったん立ち止まり、全員を点呼する。熱心なファンや家族連れ、学生やサラリーマン、杖を使いながらもここまで来てくれたご年配夫婦。点呼が終わり、誰一人脱落していないことが確認できると、わたしの心は持っている旗のような折り目のないピーンとした誇りに満たされた。

「みなさま、ここまでお疲れさまでした。この先、美しい湖を一周する遊覧船が待っております。あいにく時間がおしておりまして、Y字路のどちらからでも結構ですので、お急ぎをお願いしたく思います」

 わたしがそう告げると、読者たちは先にあるY字路を見る。すると何故か左側の山道には結構な額のお金が落ちている。右側はなんということもない、どこにでもあるような普通の山道だ。

 わたしの熱心なファンの三人は「どうせのことだから、お金の無い方にあえて落とし穴でもつくっているのではないかしら?」なんて言いながらお金のある左側へと駆け足で進んでいく。例の家族も妻が多少いぶかりながらも、夫の興味によって左側に進んだ。少女は早く遊覧船に乗りたいのか親を追い越さんばかりに走り出す。くせのある学生やサラリーマンたちもそれぞれ、一考の後、どちらかを選んで進んだ。

 悲劇の始まりは熱心なファンの三人からだった。拾ったお金が偽札であることに舌打ちしたのち、一歩先にある落とし穴にきれいに落ちていった。そのほぼ同時くらいだろうか。今度は家族連れが別の落とし穴に落ちた。落ちた穴から出てきた夫の寝ぐせはさらにひどくなり、妻は「だからいったでしょう!」と怒っている。少女だけはうまく穴を回避できたようで、真っ赤なスカートの裾を握りしめながら、心配そうに両親を見ている。

 残念なことに、お金が落ちているのは怪しいと踏んで右側を走っていた小うるさい学生も落とし穴にハマっていた。同じ右側を選んだサラリーマンは学生を助けようと近寄るが、向かう途中にある別の落とし穴に落ちてしまう。あらかじめ「危険だからわたしから離れないように!」とメモで渡しておいた老夫婦は、Y字路の両方で穴に落ちていく人たちを、わたしのそばで見て愕然としている。

 当然のことながら落ちた読者たちは怒っていた。それはわたしに対する怒りでもあるが、お金目当てで落とし穴に落ちてしまった情けなさや、小賢しい裏読みをしたくせに、どちらにも落とし穴がることを予測していなかった恥ずかしさも多分に含まれていた。この光景の中で立派なのはわたしの持っている旗だけで、あとの者たちは怒りと混乱の中で遭難していた。

 わたしはとても申し訳ないことをしたと精一杯わびた後、「実は遊覧船の話も嘘なんです。おわびにと言ってはなんですが、別の丘に果樹園がありまして、わたしと農家の方が一生懸命育てた桃とぶどうがあります。もちろん、お好きなだけ召し上がって下さい。桃なんて、東京まで出荷されますと一個千円なんて値段でデパートに並ぶ品質なんですよ」と説明し、そちらに向かうことを提案する。

 それを聞いて、読者一行は言いながらも、わたしの旗に向かって歩いてくる。わたしは少女と老夫婦にだけウインクをした後、別の小説の朗読を開始する。そして、というここまで読んでくれた人たちを、また別のY字路へと案内してゆく。

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